「年賀状廃止宣言!」から10年

「年賀状廃止宣言!」を発したのはもう10年前の2005年の年末だった。

「年賀状廃止宣言!」(2005年12月13日)
毎年、数百枚の年賀状のやり取りをしているが、その労力は膨大にもかかわらず、多くは儀礼的なもので、年に一度の交流が多くなってしまっている。
まず、ここ数年ネット時代の中でホームページ、メルマガ、ブログといったメディアに挑戦してきており、この世界での知り合いが多くなってきたので、年賀状の役割はこういったメディアで代用したい。メルマガには、知人の多くに登録してもらっているので、漏れる人はそう多くはない。むしろやり取りをする人が増え、人との縁が広がっていくということになる。
また、大切な友人や先輩、先生に対しては手紙や葉書で一人一人に近況をきちんと知らせるようにするなど交流を強めていきたい。人との縁が深くなっていくということになる。
親戚に関しては、家族で写った写真を載せた年賀状を送るのが我が家のならわしとなっているがこれは継続する。子供二人の成長や夫婦の状況も、この写真年賀状を見ればわかるから、親戚には好評だ。我が家の歴史にもなってきているので続けられるだけ続けていきたい。

こちらからは出さず返事も出さないから、当然のことながら次第に年賀状は来なくなるので元旦の年賀状を読む楽しみはなくなるが、それでも痛痒は感じない。

近所の日枝神社にお参り。
今年の運勢は「大吉」だった。昨年は「吉」だったから少しいいかもしれない。
 
ときくれば かれきと みえし やまかげの さくらも 花のさき にほひつつ
(初めは冬の枯木の葉、おちて花もなく淋しくこの末如何ならんと気遣うも其の内に春となりて花咲く如く末よき運なり何事も慎め退屈せず時をまてば必ずよし)

娘夫婦と孫、息子が揃い、賑やか。


「名言との対話」1月1日。

鳩山一郎

  • 「闘病生活は一つの精神闘争なのである。」
    • 1月1日が誕生日である鳩山一郎という人は、ゴルフ、囲碁など趣味も多彩で、それぞれ真剣に向き合っているから何に対しても独特の自分の考えを持っている。戦後の追放の時代には、軽井沢で百姓生活を身につけたように、環境に恬淡と順応しながら捲土重来を期すというところがある。いざ追放解除を間近に控えた時に、脳内出血にみまわれる。そうなると、この病気に向き合って飼いならそうと考え体調をコントロールし現在の鳩山会館に陣取ってついに総理の座を射止める。長い闘病生活では体を労わること以上に精神的に参らないことが重要であると悟る。肉体的の問題というより、精神闘争であるという結論には深く納得できる。政界引退後には、希望や楽しみのなくなった年寄りが長生きするには、よほど人生に対する考え方を変えなければ耐えられるものではないと今日の高齢時代に示唆を与える感慨を述べている。
    • 人心には必ず飽きがくるから「政治家は権力の座に長く留まるべきではない」として、大仕事であった日ソ国交回復に挑む前に「日ソ交渉を果たし終えたならば引退しよう」と考え、成功裏に終わった後、総理を辞任した。東条内閣の戦時刑法特例法案に抵抗して都落ちするときもそうだが、出処進退が潔い。人間的な深みに加えた潔さ、それが吉田茂内閣の後を受けて出発したときに起った鳩山ブームの原因だろう。