楡周平「プラチナタウン」-老人介護と若者の雇用の結合で地方創生

楡周平「プラチナタウン」(祥伝社)を読了。

プラチナタウン (祥伝社文庫)

プラチナタウン (祥伝社文庫)

出世街道からはずれた総合商社・四井商事部長の山崎は、気がついた時には膨大な負債を抱えた故郷・宮城県の緑原町の町長を引き受ける羽目になった。ひねり出した財政再建の道は、老人向けテーマパークタウンの誘致だった。そのビッグプロジェクトに成功するまでを描いた、提案型の小説だ。
3万坪の遊休地にシルバータウンでも、ゴールドタウンでもなく、さらに上のプラチナタウンが出現する。
「老人介護と若者の雇用の結合」がテーマだ。ここには、地方創生のヒントがある。

‐2LDKタイプで、入居金1000万。完全介護のワンルーム対応は400万。月額管理費10万円。食費4万。都市部にすむリタイヤ組。リバースモーゲージ
‐共有棟:寿司屋、レストランカフェ、ディスコ、ライブハウス、美容室、理容室、ショッピングモール、、、。近所には、総合病院、屋内プール、スカッシュ、テニスコート、ゴルフ場、植物園、岩名釣りのできる川、リンゴのオーナー、陶芸、手芸、絵画、園芸、農園、、、。
‐夏休みや冬休みは家族そろって過ごせる別荘に。

  • 「ぽけもんGO!」をインストールし試してみた。新しい世界が広がる。

今日のオーディブル
司馬遼太郎「女は遊べ物語」

「名言との対話」7月23日。児玉源太郎

  • 「初めから他人の助けを、当てにするような人間は、決して成功せん」
    • 児玉源太郎(嘉永5年閏2月25日(1852年4月14日) - 明治39年(1906年)7月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は陸軍大将正二位勲一等功一級子爵。日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した。児玉源太郎日露戦争を終えると役割を果たしたようにすぐに亡くなった。わずか一晩で亡くなった。
    • 日本初 の植民地経営だった台湾統治は成功だったと評価されているが、総督は児玉源太郎、 民政長官は後藤新平、殖産局長は新渡戸稲造という豪華版だった。1898年から1905年度にかけて、台湾の財政独立を実現した功績は大きい。
    • 「もうそろそろ戦争をやめる時である。何をぐずぐずしているのか!」日露戦争奉天会戦勝利直後、参謀本部次長の長岡外史に面会しての発言である。局地戦で勝ったが日本の国力はまだ弱く、このまま続けたら必ず負けるという見通しがあった。さっさと日露戦争を終結させ有利な状況で終わらせろという意味だった。
    • メッケルは「日本に児玉将軍が居る限り心配は要らない。児玉は必ずロシアを破り、勝利を勝ち取るであろう」と述べたという。
    • 独立の覇気、自立の気概を持て。