- 作者: 桐野夏生
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/08/09
- メディア: 単行本
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「東京島」「ナニカアル」「バラカ」などは、この作家がただ者ではないことを十分に教えてくれる。
ただ、「抱く女」やこの「猿の見る夢」は、あまりにも主人公を戯画化しすぎており、違和感を感じた。
この本は「還暦」「定年」老後」などを扱っており、確かに現代社会を照射はしている。
しかし企業内部の暗闘を描いているのだが、男たちの類型化がはっきりしており、またや感情の揺れがあまりにも現金すぎる。終わり方にも救いがないのも残念だ。
こういうテーマでは最近では内館牧子「終わった人」が素晴らしかった。終わった人は、実は今からの人であった、という救いのある物語だった。
桐野夏生という作家には、もっと期待したい。
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先週のBS11寺島実楼の「未来先見塾」。テーマは「この夏に読む厳選本、、」。以下を注文。
「名言との対話」8月15日。阿南惟幾。
- 「戦争は味方が苦しい時は敵も苦しい。もはや退却という時に、突然敵が撤退するのは、戦場では珍しくない事例である。なによりも、戦意を失わぬことが肝要である。」
- 阿南 惟幾(あなみ これちか)は、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。1945年(昭和20年)4月に鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任した。太平洋戦争(大東亜戦争)末期に降伏への賛否を巡り混乱する政府において戦争継続を主張したが、聖断によるポツダム宣言受諾が決定され、8月15日に自害。「終戦の詔勅」が発せられた日、自決したのは、海軍では宇垣中将、陸軍では阿南大将。
- 浅田次郎「日輪の遺産」に登場する陸軍幹部のうち、阿南惟幾陸軍大臣は豊後竹田、梅津美治郎参謀総長は中津、そして、1945年の米艦ミズーリでの降伏文書に梅津と一緒に調印した日本代表が重光葵外務大臣も豊後高田の出身である。
- 豊後竹田の広瀬神社(軍神広瀬武夫を祀った)の一角に「陸軍大臣 阿南惟機 顕彰碑 岸信介書」という碑が建っている。阿南は明治20年竹田に出生。
- 映画「日本のいちばん長い日」。鈴木貫太郎内閣は1940年4月に誕生し、終戦という難題を終えるにあたって、天皇の終戦の意志を拝し禁じ手の聖断を二度までも仰いだ鈴木首相は、そうするしかできなかった世代の責任を痛感し、今後は若い人の時代であると退陣する。陸軍の輿望を担って登場した阿南陸軍大臣は、内心を秘めたまま、表向きは若手将校に賛同しながら、大きな暴発を防ぐという役回りだった。そして陸軍への責任をとって自決する。天皇は阿南に親しみを感じ、阿南は鈴木の懐の深い人格を尊敬していた。この3人の人間関係と信頼関係が終戦という難事業を完遂させたのだ。脚本・監督の原田真人(黒澤明監督を敬愛する)は「これは昭和天皇と阿南陸相、鈴木貫太郎首相の3人を中心とする家族の物語です」と述べている。
- 冒頭の言葉は、軍事作戦の要諦である。将官の性格が軍事作戦の勝敗を決することがよくある。阿南大将の最後の振る舞いは、いろいろな解釈があるようだが、戦争の終わり方と関与した自分の終わり方という意味から考えさせるものがある。何事も始めるのはやさしいが、終わり方は実に難しい。