東京ステーションギャラリー「没後40年 幻の画家 不染鉄」展。

  東京ステーションギャラリーで開催中の「没後40年 幻の画家 不染鉄」展を先日観た。

 約20年前に、一度回顧展を開催したことがあるこの画家はほとんど知られていない幻の画家である。

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 不染・鉄(1891年生)は、東京小石川生まれの不良少年は画家を志す。

伊豆大島で3年暮らす。27才で京都市立絵画専門学校に入学し、特待生となり首席で卒業する。旧制研究科に進学。奈良に転居。神奈川大磯。横浜。戦時中は仏心から従軍画家になることをはばんだ。

戦後は55才で奈良の正強中学校理事長・校長として活動するが61才で退任。その後政治家への転身を考え65才、日本社会党に所属する。1976年この世を去る。享年84。

 「芸術はすべて心である。芸術修行とは心をみがく事である」

「図画は好きだがお手本を見てかくのは好きではない」

「淋しいんだから淋しい一人で眺める画をかこう、、、野心作だの大努力作よりも小さい真実をかこう」

「正しい美しい心がからだ一パイになると、あふれてこぼれるようになるといい美しい画になります」

「天国も地獄も全て心の中にある」

不染鉄の代表作は「山海図絵(伊豆の追憶)」である。

下から三分の一は太平洋の海岸線、波間に群れ泳ぐ魚や漁をする船。中央に富士山の裾野。最上部には左右対称の富士山と列車、そしてしんしんと雪の積もった日本海の家並み。富士山を真ん中に置く構図は珍しい。俯瞰と接近の相まった独特の視点である。マクロ視点とミクロ視点の混淆だ。

日本では狩野元信「富士参詣曼荼羅図」などの社寺参詣曼荼羅や大正期吉田初三郎の鳥瞰図絵などがあり、世界ではドイツ・ルネサンスのアルブレヒト・アルトドルファーの「アレクサンドロス大王の戦い」、ブリューゲルの「バベルの塔」などが近い思想だ。

この絵には富士山の眺望と富士山からの眺望が混在している。マクロの視点の(鳥瞰)図とミクロの文とが共存している。マクロの全体構造にミクロの細部を組み合わせることによって世界を描き出そうとしている。世界を自在に把握し、再構成することによって、世界を創造しようとする態度に他ならない。

「名言との対話」7月9日。神谷正太郎「経営者には六段階の時期がある。 社長個人でお金を儲けようとする時期。 会社として利益を生み、蓄積を考える時期。 売上高や社員を含めて、会社全体を大きくしたいと願う時期。人や組織作りに一生懸命になる時期。業界や、世の為、人の為に尽くす時期。 死んだとき悪口をいわれないように努める時期 」

神谷 正太郎(かみや しょうたろう、1898年明治31年)7月9日 - 1980年昭和55年)12月25日)は日本の実業家。トヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車営業部門)社長・会長・名誉会長。

「私は需要とは創造すべきもの、つくり出すべきものだと信じています」

「どの種の困難であれ、これを乗り越えていく最大の武器が『誠意』である」

「一にユーザー、二にディーラー、三にメーカーの利益を考えよ」「私は自信をもってこの車(初代カローラ)はご披露する。、、、将来、この車を世界のファミリーカーに育て上げるつもりである」といった神谷正太郎は、トヨタ自動車系ディーラーの礎を一代で築き上げ、その豪腕から「販売の神様」と称された。神谷正太郎の経営者進化論は腑に落ちる。成功を実現した後は人づくりと社会貢献にいそしむ。最晩年の「死んだとき悪口をいわれないように務める時期」では何をすべきだろうか。