本日の最後は、学内でもっとも高い場所にある「物見の塔」で飯田先生主催のちょい飲み会。半数の先生たちが入れ替わり立ち替わり集合して楽しく過ごした。
窓からは、横浜、立川、新宿、聖蹟桜ヶ丘などが遠望できる。また三方の満開の桜に囲まれて、天守閣に居るように実にいい気分だ。聚楽第の主であった豊臣秀吉の気持ちがわかる。新入生には愛校精神を養うために、学内ツアーでここを見せようという話になった。飯田先生、またやりましょう!
10時:学部運営委員会
10時40分:教授会
12時20分:人事委員会
12時45分:金先生:アクティブラーニング研究会の進め方。教学マネジメント会議。
13時:ビジネススクエア多摩企画運営委員会。多摩センターに資源が集積しつつある。
・近況報告:多摩大・多摩市・多摩信金
・平成29年度事業計画。平成30年度事業計画。意見交換
15時:松本先生:多摩大出版会の企画編集委員会の開催。
15時:高野課長:多摩大出版会の運営の件の調整。
「名言との対話(平成命日編)」3月28日。氏家齋一郎「70年以上生きてきて、何もやってこなかった男の寂しさが分かるか」
氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年)5月17日 - 2011年(平成23年)3月28日)は、日本の実業家。
東大時代は共産党の活動家だったが、革命至上主義で主体性のない運動があるはずがないと失望し離党している。大学では後の歴史学者・網野善彦と読売新聞の渡部恒雄が親友だった。卒業後は読売新聞入社し、経済部長、広告局長、取締役、常務取締役。日本テレビ副社長、社長、会長。
父から技術者になれと言われた氏家は零戦をつくった堀越次郎に憧れて戦闘機の設計、製造をやりたいと思ったが、敗戦でかなわなかった。学生の頃から刹那主義だったという氏家は盟友の渡部恒雄に誘われて新聞記者になった。記者は目先の競争の勝ち負けが大事で、猟犬のごとく仕事をし、特ダネ記者として有名だった。
新聞の役目は体制批判だと思っている人が多いが、新聞は反権力であってはいけない悪いところは徹底的に叩くが、良いところは賞揚する。新聞の役目は反権力だけじゃなくて、非権力だ。以上が氏家の新聞観であり、現在も続く読売新聞の立ち位置だ。しかし、ジブリの鈴木敏夫に観察によれば氏家は「反権力の思想を持ちつつ、権力の座に居座る」人である。
外見には立身出世を果たしてきたとみえる氏家は、「この世の中で大成した人で、人騙して上がってきたっていう人いないもの」と言う。そして意外にも「俺の人生、振り返ると何もやっていない」「死ぬ前に何かやりたい、、、」と語っている。刹那主義で目前のテーマや闘いに勝ち続けて来たが、しかし何も残せなかったと振り返る寂しい姿がみえる。氏家には自らの存在証明としてのライフワークがなかったのだ。最後は氏家は共産主義者の匂いの残る高畑勲監督の「かぐや姫」に日本テレビの20億円を注ぎ込み、製作=氏家齋一郎」となり、それが残ったのである。