フットサル全日本代表候補合宿。先生たちと交流。週刊誌のインタビュー。

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10時半:フットサルU21の全日本代表候補合宿が多摩大で開かれていた。この中に多摩大生が二人。杉田学部長と小仲さんと見学。練習を見てみたが、さすがにレベルが高い。

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11時。

研究室:講演準備。スケジュール。「遅咲き」のデータ。「独学」、、、。

ラウンジ

・中村その子先生:T-STUDIO「名言との対話」のPRを。

・増田先生:セブ島の語学研修

・金先生:入試。インターゼミの北京のフィールドワークの様子を聞く。

・杉田学部長:新潟での全国経営学部長会議に向かう

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 14時

多摩センターの京王プラザホテルで、新聞社系の週刊誌の取材を受ける。今回は、「スピーチ」がテーマ。1時間半ほどのインタビュー。どんな記事になるか楽しみだ。

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「名言との対話」8月29日。加瀬昌男「そこには今までなかった新しいことが書いてある。表現そのものが新しい。著者のぬくもりみたいなものが感じられ、類書がなく、しかも人の興味をグイグイ引っ張っていくようなもの」

 加瀬 昌男(かせ まさお、1931年 - 2011年8月29日)は、神奈川県出身の実業家草思社創業者。

早稲田大学文学部演劇科の卒業時「早稲田演劇」誌に一幕物の戯曲を応募して入選。卒業後日産自動車に入社し、工員などの職3年間ほど転々とする。1958年、「現代詩」誌の編集者となる。 1961年ヤマハのPR誌「ヤマハニュース」の編集長となるが、1969年に休刊になることが決まったため、草思社を創業。

初めに手がけたビートルズ伝記が10万部のヒットとなり、谷川俊太郎訳の「マザー・グースのうた」(全5巻)は総計110万部の売上を記録するなど順調な出発となった。

1976年の11月に徳大寺有恒の「間違いだらけのクルマ選び」シリーズが正編と続編をあわせて合計120万部を売り上げ、二つあわせて1977年書籍ベストセラーの1位を獲得。以後、30年同じテーマで発刊しつづけた。一人の著者が、これだけの年月、同じテーマで書き続けた記録は破られないだろう。徳大寺の車への批評は厳しかった。例えば「コロナ=平凡さがとりえだが、エンジンが弱いのが泣きどころ/カローラ=可もなく不可もないクルマの代表/セドリック=俗悪趣味の傑作車/バイオレット=こんなクルマでも買う人がいるから不思議/シビック=見せかけだけの新しさではすぐ飽きがくる/ファミリアプレスト=古くさいだけだ」。自動車業界を震撼させたが、読者の根強い支持があったのである。このシリーズが草思社の業績を支えた。

草思社の本はタイトルがユニークであり、ベストセラーがよくでる不思議な出版社という印象を私は持っていた。「なぜ美人ばかりが得をするするのか」「他人をほめる人、けなす人」「謝らないアメリカ人 すぐ謝る日本人」「ツルはなぜ一本足で眠るのか」、、、、、。いつのまにか、名前を聞かなくなったと思っていたら、草思社は、2008年に東京地裁民事再生法の適用を申請し、文芸出資の完全子会社となっていた。

冒頭に紹介した加瀬昌男の「いい本」とは、つづめていうと「内容が新しい、表現が新しい」ということだと思う。名編集長・扇谷正造は「目をつぶって「エイ、ヤッ」と左右の指で目次を指す。すると『中央公論』から天皇制、『主婦の友』からおいしい朝食が飛び出してくる。そこで「天皇の朝食」という企画をやればいい」と冗談半分ではあろうが、異質の掛け合わせが新しさを生むとしている。その思いつきを新しい表現を用いて企画にまで高めていくのが編集者の腕ということになるのだろう。ヒット企画の公式はないが、社長や編集長は内容の新しさを追い、担当編集者は表現の新しさを工夫する、という結論にまずはしておこうか。