「図解塾」第4期③ーー千本ノックは「歴史人」・問題解決コーナーは「新任係長」。

図解塾第4期③

f:id:k-hisatune:20220209222012j:image

以下、塾生の「学び」。

  • 久恒先生、今日もありがとうございました。先生のアンテナに触れた言葉の紹介コーナーで、林真理子さん、浅田次郎さんのまだまだこれからという創作意欲・心持ちに触れる言葉に、高齢化社会を迎えても元気な日本であり続けるヒントをいただきました。求め続ける姿勢は、学びにも繋がり、本人も周りも元気にすると思います。図解の一つ目のテーマは雑誌「歴史人」の特集「日本史の名言400」の内容紹介文を図解するもの。「名言」「思想」「志」「詩」「過去から現代」…様々なキーワードの関係性をどう捉えるか、悩みました。『迷ったときは時系列』という先生のコメントは図解の名言としてメモしました。二つ目は問題解決テーマ。新任係長がキャリアアップを意識しはじめたけど、仕事が手一杯という悩みに寄り添うための面談でどのようにアプローチしていくか、塾生それぞれの実生活での立ち位置も影響している(?)様々な図解となり、楽しかったです。
  • 今日もありがとうございました。いつものことながら元気が出ます。演習そのものもそうですが、今日は冒頭の林真理子浅田次郎葛飾北斎の「まだこれからだよ。」という言葉に、非常に励まされました。大学院生なのにいっこうに論文を書けず、今後どうするか悩んでいたところなのでちょうどいい活力剤になりました。LINEスタンプや新しい出版の方法など、常に新しいものへのチャレンジには本当に感服します。今日の千本ノックも問題解決も、それぞれの方々のこれまでのご経験やお仕事などがよく反映されていて興味深かったです。今日は、書いては消せるのでA4のホワイトボードを使ってみましたが、ペンが太すぎたようです。また、うっかりこすると汚くなってしまうという欠点があるのが分かりました。図解塾の第三期のまとめ、新しい経験をして可能性を広げたいと思います。
  • 久恒先生、みなさま、図解塾第4期3回目、ありがとうございました。今回も楽しく参加させて頂きました。オープニングの、浅田次郎 古希の言葉「そろそろ本気を出しますよ」には爆笑してしまいました。面白い滑り出しで、頭がほぐれました。前半「図解千本ノック」は、『歴史人』3月号「日本の名言」の前書きを図解する、というお題。現代人に突き刺さる名言とは何かを図で解き明かす、というものでした。書いてある文章そのままの図になってしまいましたが、「迷ったら時系列で書け」というアドバイスで、作図のコツをひとつ理解できたように思いました。後半の「問題解決編」は、係長に昇格した情報サービス会社社員のキャリア相談。キャリアアップへの思い込みも感じられる事例で、視野を広げてもらいたいとのアドバイスを拙図で表現してみました。塾生のみなさんの図には、キャリアアップのイメージが分かりやすく描かれていて、とても参考になりました。久恒先生から、図を書いておくと頭に残ること、また1回考えておくと似たような場面に遭遇したときに対応できること、などの話があり、普段からなるべく図を書いて考える習慣をつけていきたいと思いました。次回から新しい企画も徐々に始動との話もあり、楽しみです。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、みなさん、今回もどうもありがとうございました。冒頭にご紹介いただいた言葉、浅田次郎さんの「そろそろ本気を出しますよ。」や、林真理子さんの「何も書いていない。」「まだまだ頑張ります!」、そして内田樹さんの「学ぶ力こそは日本の最大の国力でした。」などは、励ましの言葉として印象深かったのですが、実は、その後の図解千本ノックにつながってたんだと、後になって気づきました。千本ノックの1本目は、『歴史人』3月号「日本史の名言」の前書き。以前、本の目次を図解したことがありましたが、前書きは初めて。目次と違って文章で説明している分、図解にしやすいのかと思いきや、簡略化されているので、つながりがわからなくてまとめにくかったです。でも自分なりの解釈ですが、名言とは何かをやり遂げた人が発した言葉を、まだ道の途中にいる人の励みとなる言葉なのかあなと思うことができました。次に2本目の仕事の問題解決編。35歳、係長に抜擢されたばかりの女性会社員のお悩み。誰の目線で、どこからアプローチするのか、参加者のキャリアや職業によって図解に違いが出てきます。それぞれの説明を伺って、女性のこれまでの仕事の取り組み方に着目したり、キャリアアップとは何かに着目してまとめていたりと、自分には思いつかなかったことがいくつもありましたので、次回の図解に活かしたいと思いました。毎回緊張しながら参加していますが、それ以上にいろんな気づきをいただけるので、これからも楽しみです。よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。図解塾第4期3回目の本日、「そろそろ本気出す…」(浅田次郎1951生)、「代表作はまだ…」(林真理子1954年生)という「若い人よ元気出せ!」な気合のメッセージを先生から頂戴しスタートしました。前半の「図解ノック」では歴史ムック巻頭の「前書き文の図解」に挑戦しました。判り易そうな戦国時代や幕末に残された有名な出来事にフォーカスして「心に刺さる」言葉が並んでいましたが、読者は言葉そのものに気を取られてしまい、前書きの意図がちゃんと受け止められないんじゃない?という疑問に図解によって気付くことが出来ました。歴史に沿った夫々の時代でどんな背景のもとに生まれ残されたのか、今を生きるヒトはこれらをセットで受け止める事で初めてその言葉を理解し未来へ生かすことが出来る訳で、「ひっくるめて一言なんていうのか考える」という作図中のヒト手間が理解を一層深める、という事を学ぶ事が出来ました。後半の「お悩み図解解決」では、「情報サービス会社」「女性、既婚」「35歳」の中間管理職が抱える、キャリア意識と「目一杯」な現状とのギャップに対するメンターからの助言を図解で示すで、主人公が「公」「私」の狭間で苦しむ姿に当方もほろ苦い思い出とともに図解しました。真面目な主人公は「独力で切り抜ける」事を潜在的に意識してか、「もはや目一杯」と訴えています。なるほど1日24時間ヒト一人がこなせる仕事量に誰しも大差なしとすれば、その先プラスアルファの「パワー」として他者の力や知恵を借りて乗り切れ、それに向かって何をすべきかを考えよう。という構図に仕上げました。他者の力には「上司の力」が絶大ですし、塾生皆様の成果物からは「本当に雑務なの?」と自問を繰り返す愚直な姿勢にリアルな心情が伝わって来ました。まさに「これこそが俯瞰」と実感できますし、様々な成果物や意見を合体させることで、決して一人では成し得ない、図解塾生が結集する図解パワーの大きさを感じることが出来たことが本日の成果であったと確信した次第です。今後の活動として今迄の図解塾感想文を基に塾生成長の足跡を形にしていく作業が開始されます。まさに令和の浮世絵師集団の思いで益々興奮状態ですね。有難うございました、次回も宜しくお願い致します。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

今日のヒント。浅田次郎。「女性セブン」2月24日号。

人間の幸福って自然とともにあるって、この頃気がついた。

ーーーーーーーーーーーーーー

0.8万歩。

ーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」八木重吉「イエスキーツ。「萬葉」の人々.そして 私の桃子ちゃん!」

八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日 - 1927年10月26日)は、日本詩人。享年29。

東京都町田市生まれ。鎌倉の神奈川県師範学校。東京大塚の東京高等師範学校在学中にキリスト教に親しみ、21歳で徳永徳磨から洗礼を受ける。その後、内村鑑三の考え方に影響を受ける。

海辺の神戸の御影の兵庫県御影師範学校で4年、内陸の千葉の柏の東葛飾中学で1年、英語の教師をした。御影時代の教え子には「ゆきなさい。すすみなさい。ただただ、どんなときどんな」ことがあろう共、その純な眸のかがやきを失わぬ様にしてくれ」との手紙を書いている。21歳、スペイン風邪の罹患。快癒の後の下宿生活で、7歳年下ののちの妻の島田とみ子に出会う。23歳と16歳だった。二人は結婚し、桃子という女児をもうける。

澤村修治『八木重吉のことば』(理論社)を堪能した。八木重吉が詩を書いたのはわずか5年であった。書いた詩がたまると自分で小さな詩集を編む。手書きの詩、簡単なカット絵を描いた表紙、それをリボンで結わえる。一冊だけの手製の詩集である。1924年、27歳の重吉は生涯一冊だけの詩集『秋の瞳』を刊行する。以下、重吉の詩で私が好きなものを挙げる。

「花がふってくる 花がふってくる うたを歌おう」

「花はなぜうくつしいか ひとすじの気持ちで咲いているからだ」

「おだやかなきもちで こすもすの花をみていると そのうす紅い花がむねにうつるようなきがする」

「赤んぼが わらう あかんぼが わらう わたしだって わらう あかんぼが わらう」

「くものある日 くもは かなしい くもの ない日 そらは さびしい」

「この明るさのなかへ ひとつの素朴な琴をおけば 秋の美しさに耐えかね 琴はしずかに鳴りいだすだろう」

「どうせ短い命 出来る限り美しい心でいよう」

「いいものを ひとの足もとへそうっとおいて しらん顔をしていたい」

1909年(明治42年)から1918年(大正7年)は「日本近代史におけるもっとも輝かしい伊時代」だとドナルド・キーンが語っている。その時代にあっても、八木重吉は独特の存在だった。同時代の詩人たちは次のように語っている。

草野心平「美しさは独特で、こうした傾向のものとして類がない」

白鳥省吾「つつましい鈴を鳴らす順礼にも比すべきであるが、その心境は近代的で明るい、静かである」

高村光太郎「重吉の詩をおもい出すのはたのしい」「たのしいと言っただけでは済まないような、きれいなものが心に浮んで来る」

八木重吉の詩作の方法は、「純であれ。然し、リズム、メロディを失うな。美しかれ、しかし力あれ」だった。日記には「孤独は詩の電池だ」とも記している。

「社会のなかに独りぽつんと雪のかたまりのような存在だった」(草野心平

私の住む多摩ニュータウンから車で少し走ると「八木重吉記念館」がある。車で遠出をするときに、みかけて訪問しようと思うが、そのままになっている。今度こそは、生家を訪ねることにしよう。

八木重吉は肺結核にかかり療養中に、病床で自選詩集を編み、第二詩集『貧しき信徒』をまとめ、没後4ヶ月に刊行された。その詩集の中で重吉は「息吹き返えさせる詩はないか」と歌っていた。

「イエスキーツ。「萬葉」の人々。そして 私の桃子ちゃん!」という詩がある。

信仰と詩作、そして愛する家族。八木重吉の生涯を端的にあらわす傑作である。