『相田みつを 肩書のない人生』(相田みつを 相田一人編)

21日に訪問したたましん美術館での「相田みつを」展で、『相田みつを 肩書のない人生』(相田みつを 相田一人編 文化出版局)を買って、読み終わった。

以下、息子で相田みつを美術館館長の相田一人さんの観察と、相田みつを本人の言葉。

平仮名、漢字、カタカナを使った。一つの詩の中にこの3つを使うとバランスが難しい。あらかじめ計算をして書いている。

「アノネって始めると、頭に上っていた血が下がって、聞く人の心の中にすっと入っていける」

「漢字の時代が終わって平仮名の時代が始まる」。そして「光男」を「みつを」に改めた。

30歳くらいから「自分の言葉・自分の書」をテーマに掲げた。シンガー・ソングライターと同じ。詩と書との一致を目指した。

「技術だけでは、人を感心させることはできても、感動させることはできない」

60代では、ブロック分け、真ん中をやや上に飛び出させ、文字もわずかに大きくしている。余白も意識。視覚的な表現。豊かになっている。

「自分の言葉しか書かない。たとえどんなに拙いものであっても、そこには嘘がないから」

「子どもが書いたような字だが、読んだら感動したというほうがいい」

「自分の書に求めるものが、深くなればなるほど、迷いも深くなる。これでいいなんて書は一点もない」

書という造形の世界と、詩という言葉の世界の両方にまたがって作品を生み出した人。

「大きな夢を持ちたいのなら、根が深くならなければならない。反対に根が深くなればなるほど、夢も大きくなる」

「いのちの根、、、悲しみや怒りや屈辱にじっとたえる時に、深くなる」

「筆以外に副収入があると、生活は安定するかもしれない。しかし、自分は、弱い人間だから、それに頼って甘えてしまうだろう。その甘えが必ず書に出て、いい書が書けなくなる。だから、副業は持たない」

「常に本番用の紙しか使わない」。道具類には最高のものを使った。練習用の紙は一切使わなかった。

「持たない夢は実現しない。だから、まず夢を持つことが大事だ」「生きていくうえで、本当に必要なものなら必ず与えられるはずだ」

「就職すれば生活は安定するだろう。しかし、精神の自由は束縛される」

グラフィックデザインの営業方針:「人の紹介で仕事をもらいにいくことはしない」「その町で一番大きな店に行こう」「必ず手付金をもらう」

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息子が来て、家内と3人で夜遅くまで、いい話ができた。独学でやってきたこともあって、何事も自分の頭で考えることができるようになっている。

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「名言との対話」4月29日。田辺元「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」

田辺 元(たなべ はじめ、1885年2月3日 - 1962年4月29日)は、日本の哲学者。享年77。

第一高等学校理科卒業後、東京帝国大学理科数学科に入学する。文科哲学科に転科し、卒業。中学校の教師、東北帝国大学講師を経て、1919年、西田幾太郎の招きにより京都帝国大学文学部哲学科助教授に就任。西田と並んで「京都学派」の基礎を築く。1928年、教授。1945年、終戦前に退官し、北軽井沢に移居。戦後も執筆活動を続け、「懺悔道としての哲学」「キリスト教の弁証」「哲学入門」を著した。1950年文化勲章を受賞。

自然科学の哲学的研究から出発し、「絶対弁証法」をとなえ、「種の論理」で西田幾多郎を批判、田辺を京大に招くにあたって尽力した西田とともに京都学派の双璧となった。田辺は「類」を全体とする西田を批判し、全体(類)と個をつなぐ「種」を提唱した。種は民族や国家であり国家を絶対化する傾向も含み、戦争を正当化する論理となった。終戦後は「懺悔道としての哲学」で自己批判し、親鸞の他力に共感する立場から著作を書いた。

小説家・野上弥生子の日記を読むと、68歳の日記には「ある特定の対象とこれほど深い知的な、また愛情をもっての繋がりが出来ることを夢にも考へたらうか。」とある。ある特定の対象とは、京大退官後に隠棲した北軽井沢の地で生活する同年の哲学者・田辺元である。軽井沢の別荘で執筆する弥生子は田辺の講義を有り難く拝聴していた。「こんな愛人同士といふものがかつて日本に存在したであらうか」と日記に記した老いらくの恋である。

「懺悔とは、私の為せる所の過てるを悔い、その償ひ難き罪を身に負ひて悩み、自らの無力不能を慚ぢ、絶望的に自らを抛ち棄てる事を意味する」と田辺元は懺悔している。戦争を煽った有力者の中で、文学の高村光太郎は岩手の山荘で懺悔の厳しい生活を送ったし、徳富蘇峰も隠遁したが、その心境は同じく思想面で国家主義を推進した田辺元のこの厳しい懺悔の言葉と同じであったろう。田辺も軽井沢で隠遁生活を送るのだが、「日本民主主義」を提唱するなど、その思想は変化していったようである。

 田辺元哲学書は難しい。佐藤優『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』(新潮社)を読んだ。1940年に岩波書店からでた『歴史的現実』という本で、京都帝大での6回の講義をまとめたものだ。この内容を二泊三日で読み合わせをしながら解説している。「国のために死ね」という論理の本で、当時ベストセラーになり、動員された学徒が感化され納得して特攻隊で死んだ。それを佐藤は「悪魔の京大講義」と呼んでいる。

以下、田辺元の言葉から。

「国家は対内的に個人を統制して自己に統一する(内治)とともに、対外的に自己を主張する。この両面を統一することが政治である」。「個人は種族を媒介にしてその中に死ぬことによって却て生きる」。「個人は国家を通して人類の文化の建設に参与することによって永遠につながることができるのである」。「死を媒介にして生きることにより生死の対立を超え、生死に拘わらない立場に立つとという事である」。 「歴史に於て永遠なるものの建設に身を捧げ、かかる境地を実現した個人は、同時に他の個人を覚醒せしめる力を持つものである」

佐藤のかみくだいた解説を聴こう。

田辺元は戦争末期の1945年3月31日に退職して軽井沢にこもった。各国公館がある場所は空爆しないことになっていた。安全だったからである。軽井沢では野上弥生子と老いらくの恋をしている。こういう人は信用してはいけない。 

田辺元の「種の論理」について。全体主義の根底になるのは、その全体を作り出している「種」(種族)だ。この種がしっかり残っていないと集団は滅びるから、自分たちのグループがいかに生きるかだけを考えていく。いくつもある「種」から「類」が形成されていく。 中間的な「種」が基本単位で、そこから個体が生まれ、全体が生まれていく。それは全体主義である。全体は複数あり、切磋琢磨して世の中が成り立っている。これとまったく別なモデルが一つの原理で世界を覆おうという普遍主義だ。市場原理主義新自由主義は普遍主義だ。そこでは個体はアトム的なる。そこでは競争で勝った人間が総どりできる。普遍主義は強者に都合がいい価値観だ。

日本を種とみた場合は、個々の家族が個体となる。家族が種とみた場合は個人がそれぞれが個体となる。種と個体は固定的な関係ではない。

自発的、自主的に個人が協力することが種族の統一を維持発展することになり、種族のためと言うことが個人のためと言う意味を持つ。これが自発的協力という翼賛思想だ。

家族が同心円の中心にあって、その外側に国家があって、その外側に世界があると言う同心円。だから、国家すなわち自己とは何かと言うと、自己すなわち国家になってしまう。

いかによく生きるかという事は、いかによく死ぬかってことなんだ。人生は長く生きるとか、短く生きるとかってことじゃないんだ。

 お母さん、お父さん、妹、妻、娘、息子、友人、町の仲間、その延長線上にいる自分たちと同じような家族を持っている、1人ひとりの日本人。そんな同胞を守るために死ぬんだよ。それが結果として国家のためにもなるんだ。

日本でもテロが起これば、自由と権利が制限される事態が生じかねない。そのときは田辺元の展開した総力戦の哲学に似たものになる。

難解な田辺元の哲学を佐藤優が徹底的な批判をしながら読み解いてくれたので、大東亜戦争時に戦地へ赴く若者のバイブルとなった書を理解できた気がする。「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」というアジテーションは危険だ。佐藤は田辺元の思想を扱わざるを得ないほど危機的な時代にわれわれは生きているのだと警鐘を鳴らしている。この本は2017年に出ている。新型コロナという脅威も重なって、本当の危機が迫っているのかも知れない。