朝日新聞に橘川幸夫さんが「時代デザイナー」の肩書でロックな語りーー「活字からネットへ、そして活字へ」。紙の雑誌イコール」誕生!

本日12日の朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」の「交論」の「『音楽語り』は今」に、橘川幸雄夫さんが登場している。

インタビューの語り口は、「だったんだ」「来たよ」「見えたね」「すごいもんだよ」「なんじゃないかな」などで、実にロックだ。肩書は「時代デザイナー」と紹介されている。

「ファンたちがSNSやブログで発する語りの熱量、情報量はすごいもんだよ」。「今ほど人類が、言葉を使う時代はない。大衆的に言葉で表現する時代なんだよ。だから、ロッキング・オンのあの音楽語りは、今も形を変えて続いているってことなんじゃないかな」。

「何が今の時代における『ロック』か、なんだ」。「ロックな叫びが、活字からネットへ」というタイトルになっているが、その先にある答えが、紙の雑誌『イコール』だ。「個人の視点で時代を描く季刊誌」として紹介されている。わが「アクティブ・シニア革命」もその一翼を担っている。

「イコール」の0号から05号。

イコール0号 (季刊)

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「幸福塾」は「飛翔する構想力」の2回目の準備をしたが、今回は雑談会になった。

準備した偉人たちの名前:冨田勲大林宣彦高野悦子。飯田亮。泉真也。中村哲。寺田小太郎。志賀信夫西澤潤一佐々淳行高山辰雄中村雄二郎稲盛和夫平松守彦森英恵市田ひろみ。流政之。望月照彦。丸谷金保。石橋博良。椎名武夫。石井米雄

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「名言との対話」3月12日。中村幸昭「いらんこと考えやんと、失敗したらええがな。それが答えになる」

中村幸(1928年1月7日ー2024年3月12日)は、鳥羽水族館の創設者。享年96。

三重県鳥羽市出身。年間約100万人が訪れる日本屈指の鳥羽水族館の創設者で、水族館を観光名所にした。展示生物は1200種を超え、日本最大である。

ジュゴンなどの貴重な水生生物の飼育にも力を入れ、1976年に水族館では世界で初めて人工飼育下でスナメリの妊娠と出産に成功する。当時はまだ広く知られていなかったラッコを飼育した。ラッコの生態がわからずとまどっている館員に「いらんこと考えやんと、失敗したらええがな。それが答えになる」と励ました。モコモコ、エミ、プックのメス3頭と唯一のオスのコタロウを見ようと、全国から多くの人が押し寄せた。 4カ月後の1984年2月にはプックがチャチャを出産した。日本で初めてラッコの赤ちゃんが誕生したことで注目度はさらに高まり、翌年1985年の来館者数は年間200万人を超え大ブームとなった。中村館長は「ラッコ館長」と呼ばれた。ラッコに会える国内唯一の水族館となった。2005年から名誉館長をつとめた。

1988年から6期19年にわたって鳥羽商工会議所の会頭を務つとめるなど、地域の発展に大きな功績をのこした。亡くなったとき、鳥羽水族館の若井嘉人社長は「抜群の広報力により、水族館の知名度を飛躍的に向上させるなど、その多大なる功績に敬服します。中村さんの口癖である『夢とロマン』を忘れず、これからも水族館を盛り上げていきたい」とコメントしている。この水族館を訪れるのは8割が大人ということも珍しい。

この鳥羽水族館を地図で眺めると、対岸にミキモト真珠島がある。真珠の養殖を成功させた「真珠王」御木本幸吉が住んでいた観光名所だ。ここを訪れる観光客が対岸の水産会社の生け簀を帰りに見る人が多かったことでヒントを得たのである。「海洋観光都市」を標榜した鳥羽市と水産会社と組んで酷な26番目の水族館として1955年にオープンした。

この水族館は、大型水槽の中で、新入社員の水中入社式を行う。ウェットスーツの上からスーツを着て、ボンベと水中眼鏡、足ひれを装着し、防水加工した辞令を受けとった後に水槽のガラスを磨く初仕事を行う。それを見守る来館者に挨拶を行う。こういうアイデアを考え、実行に移し、広報活動に使うという自由闊達な風土をみると、創業者の理念が今なお生きている感じがする。こういう事例を積み重ねて、国内有数の水族館になったのだろう。

中村幸昭は、日銀総裁や大蔵大臣をつとめ、民俗学パトロンでもあった渋沢敬三から「良い水族館に育て、利益が上がったら学術研究、社会教育に還元しなさいと言われ、心に刻んだのだ。エジソン二宮尊徳を尊敬し、人生のモデルとし、「わしは、志摩の尊徳になりたい」と語っていた同郷の偉人・御木本幸吉を、70年ほど後輩の中村幸昭は意識していたのではないだろうか。その御木本幸吉と同じ96歳という長寿を全うした。