熊本の松前重義記念館を訪問ーー敗戦興国

羽田から熊本へ向う。
熊本学園大学の岡本学長にわざわざお出迎え頂いて恐縮する。
空港から近い蕎麦屋で鴨なんばんをいただきながらお話を伺う。

学長車で熊本への途中にある松前重義記念館を一緒に訪ねた。
松前は1901年生まれ。東海大学の創業者であり教育者として名高いが、技術者であり、社会党の代議士であり、国際人としても大きな活躍をする。戦後の原子力の平和利用の推進にもこの人物が大いに関係している。

逓信省の工務局長の時に東条英機内閣の打倒運動を行い、42歳で懲罰招集を受けて二等兵として南方戦線に送られ九死に一生を得る。このエピソード一つとっても松前という人物の凄みがわかる。
青年時代、内村鑑三との邂逅があり、一切のけち臭い自己保存の意識を克服し、人生観、世界観、歴史観を確立し、自らの人生と社会に対する使命に邁進することを決意する。
記念館でいただいた、松前重義 わが昭和史、を読み始めた。
無装荷ケーブルの発明、柔道の山下泰裕の育成、国際柔道連盟会長、国際武道大学設立、科学技術教育を標榜する東海大学の設立、FM特許問題で政府を告訴、正力松太郎との対立と和解、逓信院総裁、公職追放、政界進出、、、と目次が踊る。
この記念館は一階は柔道場で二階に松前重義の資料が展示してある。

勇往邁進

若き日に 汝の思想を培え
若き日に 汝の体躯を養え
若き日に 汝の知識を磨け
若き日に 汝の希望を星につなげ

敗戦興国

青春に生きる

以上の書や言葉が目をひいた。

移設された生家の二階の勉強部屋からは阿蘇山が見える。松前重義生家と石に書かれた文字は、熊本県知事でもあった細川護煕総理の題字である。熊本では阿蘇でも、馬上少年過ぐ、という細川の書を見た記憶がある。

ホテルに入り、時間が少しあったので、熊本県立美術館に隣接する細川コレクション永青文庫展示を観た。細川家のお寺永源庵の永と、幽斎が奪回した青龍寺城の青を組み合わせて、16代の細川護立が命名したのが東京の永青文庫である。
近くの細川刑部邸にも入ってみた。大名屋敷の様子がわかる。

夜は、熊本学園大の経営企画担当理事の古田教授と馬刺しで有名な店で懇談する。同世代でもあり、大学運営について大いに意見交換。途中、共通の友人である宮城大学の三石先生と電話で話ができた。