公文公記念館--「足に靴を合わせる教育」

昨日は大阪泊。
午前中は東豊中桃山台で降りて、「公文式」の創業者である公文公記念館を訪問。

玄関を入るとスリッパが多数並べられていた。午後には東京本部から今年度の新入社員が50名ほどが研修で来ることになっており、その準備だそうだ。
公文教育研究所社長室の稲本さんが館内をくまなく説明していただいた。


この記念館は公文公、公文毅の二世帯住宅だった。
1998年の創業40周年を期して記念館とした。
庭には銘盤があり、20年以上公文の教師をした人達の名前が刻まれている。毎年500人以上がでるので、最近は本の形式で名前を保管している。日本以外には、アメリカ、カナダ、コロンビア、オーストラリア、イギリス、スペインの人の名前が書いてあった。

公文公(1914-1995年)は高知の土佐中学、高知高校を経て、大阪帝国大学理学部数学科の第1期生となった。阪大では後に総長となった正田健次郎(?)に教えないで自分で考えさせる教育を指導される。

卒業後、郷里高知の高校の数学の教師となる
息子の毅に夕食前に自分でつくった数学の教材を小学2年生から解かせ、帰宅後採点し、翌日の問題をつ来るという作業を毎日実行する。6年生では高校の微分積分を終了してしまう。この教材を近所に分けたのが、公文式の始まりだ。その原典が並べてあった。
学年は無視し、出来る子はその人なりに、出来な子はその子なりに。
ポイントは、少しづつ、細かいステップを、一歩づつ登っていくという教材をつくったということだ。公文式は自然発生したのだ。「自学自習」でなだらかに成長していくしくみである。
今では「E−pencil」という音声の出るペンを開発していた。

今では、日本人は135万人、アジア、米州を始め世界で460万人の子供たちが公文式で学んでいる地図は圧巻の迫力で迫ってくる。
数学、国語、英語、そしてフランス語やドイツ語にも教材が開発されている。
英語の教材にはグリム童話を使っている。
特に幼児教育には公文式は絶大な効果をあげるようだ。
教材の問題配列の滑らかさ、という言葉も印象に残った。

55歳まで33年間の教師生活を送るのだが、1952年には禎子夫人の実家のある大阪の高校に移る。この間、公文式の実践は禎子夫人を代表とした会社で行っている。
創業は1958年で、44歳の時である。公文式教育研究所となった。
一日30分、大学入試の問題を解けるようにという目標で、階段を登らせる。
障害のある人向けに学習療法も試みている。東北大の川島先生も協力者だった。

後継者の毅は神戸大学経営学部を出て3年ほど野村証券に勤務した後、公文に入っている。将来を期待されたが、惜しくも50歳の若さで夭折する。

  • 色紙「千里馬常有 伯楽不常有」
  • 足に靴を合わせる教育。
  • 生ものの本が読めるように。
  • 1人の人間にできることは、ほかの人間にもできうはずだ。
  • 自習する習慣
  • 悪いのは子どもではない。
  • やってみとう。やってみなければわからない。
  • ちょうどの学習。ちょうどの追求。
  • もっと速く、もっと高く。
  • こんなものだはいつもなく、もっといいものはいちもある。
  • 生徒から学ぶ
  • 公文式をよく知るということは、子どもをよく知ること。
  • 粗雑な教材か能力に応じた教材か?
  • 学力はスピードで計れる。
  • 「気づかせる」教材
  • 女性的教材より男性的教材。

丁寧に説明していただいて公文の真髄を理解できた気がする。
偉大な教育実践者だ。これほど多くの子どもに影響を与えた人もいない。影響力の大きさで偉さをはかれるという私の考えからすれば、公文公はとてつもなく偉い人である。
このすがすがしい雰囲気の記念館は学びの聖地である。

                                                          • -

新大阪から新幹線で夕刻に東京着。
大丸の8階で知人と待ち合わせて、打ちあわせ。

                                      • -

名言の暦 4月14日。

没。

  • 野村胡堂1963年:人間は、頭よりも胃の腑が大事だ。モリモリ食べて長生きすれば、青白き秀才の三倍は仕事ができる。
  • 三國連太郎2013年:役者には、うまい、へたは関係ない。強いて言えばそこには人間学しかない。

誕。

  • トインビー1889年:国家の衰亡につながる厄介な要因は、自分で自分の物事を決めることができなくなったときだ。
  • 徳富蘇峰1863年
    • 大局さえ見失わなければ大いに妥協してよい
    • 人生の要は七分の常識に三分の冒険心を調合するを以て、適当なりとなすべし
    • 人間は書物のみでは悪魔に、労働のみでは獣になる
  • アインシュタイン1879年:天才とは努力する凡才のことである。