三島由紀夫。石田礼助。ベン・ジョンソン。エリザベス・ヴァイニング。

徒歩で往路・復路とも通勤。

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 「名言との対話」の抜けているところを執筆。

三島由紀夫「嫉妬こそ生きる力だ」

石田礼助「生来、粗にして野だが卑ではないつもりだ」

ベン・ジョンソン「世の中が悪いと、不平を言うのは間違っている。優秀な人間が無視され続けた例は、見たことがない。成功できないのは、たいてい本人のせいなのだ」

エリザベス・ヴァイニング「わたしは、平和と和解のために献身したいという強い願いを持っていた。日本が新憲法において戦争を放棄したことは、わたしにはきわめて意義深いことに思われた。平和のために一切を賭けようとしてしている日本の人々にはげましを与え、それからまた、永続的な平和の基礎となるべき自由と正義と善意との理想を、成長期にある皇太子殿下に示す絶好の機会が、いま眼の前にあるのだ」

 

「名言との対話」1月13日。大森実「日本はまだ、米国から完全に独立していない。戦争の清算は済んでいないんだ。そろそろ真の独立をするべきだね。」

大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 - 2010年3月25日 日本時間3月26日)は日本のジャーナリスト兵庫県神戸市出身。ボーン国際記者賞(1960年) 、UCLA国際ジャーナリスト賞 、日本新聞協会賞を受賞。

 ベトナム戦争が激化した1965年、外信部長として現地に乗り込み、エネルギッシュな取材をもとに長文のスクープを次々に打電した。この時の連載「炎と泥のインドシナ」は大きな評判を呼んで、新聞協会賞を受賞している。その記事に対するライシャワー大使の抗議を受けての新聞社の対応を不満として退職する。
「お豊さん、お先に」と逝かれるとは思ってもみませんでした。最後に会話したのは約10年前。私がパリから米カリフォルニア州の大森さん宅へ電話をしたら、「持つべきものは友だな」と懐かしがってくれました。ベトナム戦争の報道で米政府の怒りを買い、最後は憤然と退社したが、戦争批判のペンを止めなかった。真のジャーナリストでした。(大森さんと毎日新聞大阪本社時代に机を並べた間柄。山崎豊子さんは元毎日新聞記者)

国際ジャーナリストの魁であった大森実は、毎日新聞のスター記者として、また独立ジャーナリストとして、そしてアメリカカルフォルニア大学の教授として、日本とアメリカの関係をみつめていた。冒頭の言葉は最晩年に友人に語った言葉だ。遺言である。

 

「副学長日誌・志塾の風170113」

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