戸板康二『あの人この人 昭和人物誌』(文春文庫)を読了。
著者の戸板康二( )は77年の生涯の50年ほどの期間に172冊の著作を世に出した。
演劇評論、劇評、随筆、小説、俳句など守備範囲の広い文人だった。「人物歳時記+人物風土記」ともいうべき珠玉のエッセイ集だ。34人の昭和史を彩る各分野で傑出した人物たちの見せる際だった個性を楽しみながら書いたものだ。この人は締めきりに遅れたことがないというのだが、本を読んでいくと苦しみながら書くのではなく、楽しみながら書いている姿が浮かんでくる。
取り上げた各人物にまつわるエッセイのネーミングが実にうまい。
江戸川乱歩の好奇心。徳川夢声の話術。有吉佐和子の笑い声。芥川比呂志の酒席。三島由紀夫の哄笑。川口松太郎の人情。田辺茂一の大鞄。花森安治のスカート。寺山修司の国訛。大谷竹次郎の劇場愛。渋沢秀雄の童顔。小泉信三のステッキ。東山千栄子の挨拶。、、。
・乱歩は若い頃から自分に関する新聞雑誌の記事や読者からの書簡をファイルしスクラップブックに張り込むのが楽しみだった。それが『探偵小説40年』という大著の基本資料になった。年譜、作品年表、交友録を丹念に記録していた。乱歩全集は推理文庫で65冊。
・徳川夢声は1時間のひまがあると時間にかかわりなく映画をみて、本屋で何か買うという習慣。新しい話題を持っていたが、スキャンダルと猥談はしなかった。禁酒ならぬ停酒。
・芥川比呂志は酒をいくらでも飲めた。芥川飲み介。渋谷の「とん平」、新宿の「五十鈴」、代々木の「なおひろ」。エッセイというもおは、その人の人柄を、くっきりと浮かび上がらせる。(この本の他のところで出て来る店をピックアップ。銀座の「「はちまき岡田」、出雲橋の「はせ川」、七丁目の「よし田(そば)、、。)
・獅子文六という筆名は、四四十六をもじったのではなく、文五(文豪)に一つ足したのだと笑っていた。
・田辺茂一。「夜の市長」。『わが町・新宿』には田辺のすべてが語られている。
・渋沢秀雄は訥々とした口調と童顔の人。父の栄一の遺伝か。
・玉川一郎。『シャレ紳士録』。秋深し水洗便所の音高く。
読んでいて、昭和の雰囲気と、その時代を生きた文化人たちのほのぼのとした味わいを感じる名著だ。
「副学長日誌・志塾の風」171108
多摩大は文科省の平成29年度「私立大学研究ブランディング事業」に採択された。
「大都市郊外型高齢化へ立ち向かう実践的研究--アクティブ・シニア活用への経営情報学的手法の適用」。期間は5年間。
http://www.mext.go.jp/a_menu/
ラウンジ
・樋口先生:想い出話。幻燈の話題。母に電話で確認。
・杉田学部長:研究ブランディング
・杉本係長:小論文・スピーチコンテスト
・中澤先生:千葉市美術館
「名言との対話」11月8日。団藤重光「死刑の存続は一国の文化水準を占う目安である」
団藤 重光(だんどう しげみつ、正字体:團藤、1913年(大正2年)11月8日 - 2012年(平成24年)6月25日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授。1974–83年(昭和49–58年)最高裁判所判事。1981年(昭和56年)日本学士院会員。1987年(昭和62年)勲一等旭日大綬章。1995年(平成7年)文化勲章。岡山県出身。
師の道義的責任論とその師の性格責任論を止揚して人格責任論を提唱するなど、戦前に新派と旧派に分かれていた刑法理論の止揚を目指し、発展的に解消、継承し、戦後刑法学の学説の基礎を築いた。
最高裁判事として強制採尿令状を提唱。大阪空港訴訟では深夜早朝の差し止め却下に対して反対意見を述べている。自白の証拠採否については共犯の自白も本人の自白と解すべきだという反対意見を述べた。学者時代は共謀共同正犯を否定していたが、実務家としては肯定説に立った。
もともとは死刑に賛成の立場であったが、ある裁判の陪席として出した死刑判決に疑念を持ったことから、その後は死刑廃止論者の代表的人物となった。退官後も死刑廃止運動などに関与した。
晩年にはイエズス会から洗礼を受ける。洗礼名はトマス・アクィナスだった。『神学大全』で知られる中世・イタリアのスコラ学の代表的神学者をもじった名である。団藤は老衰のため2012年に98歳で没している。
著書を眺めると、刑法学以外の『反骨のコツ』(朝日新書)が目に入った。典型的なエリート街道を走ってきた団藤は、実は反骨の人であったのだ。
「人間の終期は天が決めることで人が決めてはならない」という団藤重光の死刑廃止論を読みたい。