「銀の匙」授業ーー広げて、じっくりと咀嚼する深く学ぶ奇跡の授業。

9月11日。橋本武「幸福とは、好きなことを、好きなように、好きなだけできること」

橋本 武(はしもと たけし、1912年7月11日 - 2013年9月11日)は、日本の国語教師、国文学者。

東京高等師範學校に入学。後半2年間は諸橋轍次大漢和辞典編纂を手伝う。じっくり考える、きっちり調べるという姿勢に感銘を受ける。それが後年の「『銀の匙』授業」の勉強法にも繋がっていく。卒業後、灘中学に奉職。遠藤周作が教え子。71歳で退職し、生前葬「寿葬」を行う。戒名は「教誉愛宝青蛙居士。

 100歳で刊行した『100歳からの幸福論』を読んだ。中勘助銀の匙』を灘中学の3年間かけて読み解く授業で有名になった。授業の流れは、「通読する、寄り道する、追体験する、徹底的に調べる、自分で考える」だ。たとえば、コロリがでてくればコレラの漢字を学ぶ、駄菓子が出てくれば実際に食べる、凧あげでは凧をつくり校庭で凧揚げ大会をする、鮨が出てくれば魚篇の漢字を集める、百人一首ではカルタ会を開く。小説の中身を体験させる授業だ。横道にそれて、知識を広げ、思考を柔軟にする。この授業は90も中ばを過ぎて評判になった。2005年、教え子の黒岩祐治神奈川県知事の『恩師の条件: あなたは「恩師」と呼ばれる自信がありますか?』でブレイクした。早稲田卒のフジテレビのキャスター時代の黒岩さんとはJAL時代によく一緒に遊んだ。「灘高の生徒会長で東大に入らなかったのは僕だけです」という言葉を今でも覚えている。彼は橋本先生の教え子だったのだ。

「大切なことは、人生を生きていくために必要となる「考える力」を養うことです。そして、人生の横道には、キラキラと輝く宝物がたくさん落ちていることを知ることだと私は思うのです」。今ではこういった授業のやり方は「スローリーディング」と呼ばれて広がっている。橋本の食事習慣「しっかり噛む」と同様に、横道にそれるというより、自分でじっくりと咀嚼する読み方であり、深く学ぶやり方だ。私の「名言との対話」も似ている。

橋本は21歳から71歳までの50年間を灘中・灘高で過ごした。50歳「銀の匙授業」2期生が京大合格者数日本一、56歳3期生が東大合格者数日本一。59歳、教頭。71歳で完全退職。この後の「おまけ人生」も実に充実している。趣味が多彩だ。社交ダンス。宝塚歌劇団。和歌。カメラ。旅行。能・歌舞伎。茶。郷土玩具。カエルグッズ。和綴じ本づくり。この人はチャレンジャーだ。人生を楽しむ人だ。86歳、紫式部になったつもりで『源氏物語』の現代語訳に挑戦し、足かけ9年かけて94歳で完成する。しっかり噛む、歩く、生酵母を愛飲、おしゃれ、などが健康の秘訣だそうだ。

98歳、数えで99歳の白寿を盛大に祝う。自宅の表札は「青蛙人形館」、自らつけた戒名も「青蛙居士」である。100歳時の次の目標は、数えで108歳の茶寿(茶を着る予定)、111歳の皇寿(金色の指輪を準備)、120歳の大還暦(真赤な服)と決まっていた。「生きるとはこの世にうけし持ち時間 悔いを残さず使ひきること」という歌を詠んでいるとおりの生涯を送った。この本を書いた翌年、101歳で天寿を全うしたが、悔いはなかっただろう。

100歳からの幸福論 伝説の灘校教師が語る奇跡の人生哲学

100歳からの幸福論 伝説の灘校教師が語る奇跡の人生哲学

 

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・大学:午前、秘書と打ち合わせ。昼休みは多摩大総研のミーティング。

・ジム:ストレッチ、ウオーキング30分、筋トレ、ストレッチ、バス。計2時間

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「名言との対話」7月25日。早川和男「確かに大地震である。だが、それを『大災害』にしたのは、このような脆弱な都市にしてきた行政にあるのではないか」

早川 和男(はやかわ かずお、1931年5月1日 -2018年7月25日)は、日本の建築学者。

日本住宅公団技師、建設省建築研究所建築経済研究室長などを経て、1978年神戸大学教授。1982年日本住宅会議事務局長。1993年『居住福祉の論理』で今和次郎賞受賞を受賞。

「住居は人権」という理念のもと、「居住福祉」の概念を国際的に展開する「居住学」の第一人者である。1979年刊行の早川和男『住宅貧乏物語』(岩波新書)を読んだ。過密化、環境悪化、遠距離通勤、生活不便、ローンによる家計圧迫など、住宅の問題を指摘している。加藤秀俊の「通勤電車、奴隷船」説が載っている。満員電車が事故で30分以上動かない時、気分が悪い人や、失神する人がでる。古代ヨーロッパの奴隷船が目的地に着くまでに4人に1人は死んでいた。それに近い環境なのだ。人生においては突然の不幸は、さまざまな形で襲ってくる。そのとき、住宅に不安があると生活は惨めな状態になる。たとえば交通事故による母子家庭、老人の賃貸拒否、、、これらの指摘は、40年後の今日も変わっていない。

1995年の阪神・淡路大震災では、老朽家屋の倒壊で多数の犠牲者を出したことから「行政が招いた災害」と指摘した。自宅のある神戸で被災した早川は「消防車は何をしているのか。湾岸戦争時のイラク爆撃の光景と同じでないか」と激怒する。2011年の東日本大震災もそうだが、天災が、人災とあいまって、大災害になるのである。 

住宅貧乏物語 (岩波新書)

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