知研フォーラム345号。「読書悠々」は「平成時代の366名言集を編む」。

知研フォーラム345号。連載中の「読書悠々」は、「平成時代の366名言集を編む」を書いた。

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2004年9月28日から、ブログ日記を毎日書いている。すでに5000日を超えている。続けるためには、環境の変化に対する日々の工夫、自分の意欲などのコントロールに配慮する必要がある。そういった問題解決の連続の中で、継続ができることになる。何ごとも続いているということは、工夫ができているということなのだろう。

2016年からは、毎日の日誌的な記述に加えて、「名言との対話」というコーナーを設けた。毎日、人物を取り上げて、その人の生涯を概観し、何をなしたか、人生から絞り出した言葉、そして私の感慨など記すという「修行」だ。

2016年は、その日が「命日」の人を探した。人が見つかるか、材料があるか、書く時間が確保できるか、自分の意欲が続くか、さまざまな障害が予想された。毎日必死で立ち向かっているうちに何とか終わった。その成果は『偉人の命日366名言集』という本になった。

2017年は、「誕生日」でいくことにした。これもやり遂げて、『偉人の誕生日366名言集』という本にすることができた。

2018年は、どうするか。平成が終わる日が近いことから、個人で平成を送る意味で、平成の30年間に亡くなった人を取り上げることにした。期間が短く、人選に苦労することは目に見えており、完成することはできないだろうとの予測のまま決行した。平成時代の人選は、偉人というより、自分と同時代に生きた人物となっていった。予想どおり、今までで一番難しいプロジェクトであり、何度か挫折しそうになったが、何とか終了することができた。それはこの7月に『平成時代の366名言集』という本に結実した。

2019年の今年も、「平成」版を継続中で、半年が何とか終わった。この「名言」シリーズは、「命日編」が478P、「誕生日編」が550p、そして「平成編」は667pである。毎年100pほど増え続けている。

今回の「読書悠々」は、7月発刊の『平成時代の366名言集』について記そうと思う。平成時代の人には、人物記念館はない人がほとんどだ。書くためには、本を読まねばならない。この本を書くためにアマゾンで古本を買いまくり、日々読まねばならない。結果的に、244冊の本が、この本の末尾に参考文献として並んでいる。

8月21日は平松守彦大分県知事を取り上げたので例としてあげてみよう。

平松守彦(ひらまつ・もりひこ) (1924.3.12 ~ 2016.8.21)

「リンケージ(人々とのふれあい、つながり)こそが究極の生き甲斐なんですよ」

日本の政治家。大分中学、五高、東大法学部卒業後、商工省入省。「佐橋大臣」と呼ばれた佐橋滋次官のもとで通産省統制派官僚として活躍した。課長補佐時代には、木下大分県知事にのちの大分臨海工業地帯となる臨海工業地帯構想を進言、そして日本のコンピュータ業界の離陸に関わる。課長時代以降はコンピュータのソフトウェアに関する法律作成、三大コンピュータグループ形成などの重要な施策を展開した。

1975年に望まれて大分県副知事を引き受ける。妻に先立たれ、娘二人を東京に残した人生の再出発だった。1979年大分県知事に就任し、以後6期24年にわたり県政を担当し、「一村一品」運動などを展開し、世界にも広げた名物知事だった。

平松の思想は、『グローバルに考えローカルに行動せよ』(東洋経済新報社)、『地方からの発想』(岩波新書)などの著書に集約されている。今回『地方からの発送』を読んだ。「陳情とは情を陳べると書く。理屈を述べるのではない」「地方自治とは教育である」「リーダーとはコロンブスの卵を生む人、生み続ける男でなければならない」「一村一品の『品』は人品、品格の品であり、『人づくり』にほかならない」「豊の国づくり塾の塾是は、『継続、実践、啓発』。塾歌は『若者たち』」。

平松知事の代名詞となった「一村一品」運動は日本全国に展開したが、世界にも影響を与えた。特に中国では武漢の「一村一宝」があるなど盛んだった。

2010年9月に私は中国政府の国賓館である釣魚台の昼食会に招待されたことがある。食事は西洋料理で、世界の名品をそろえていたが、ジュースの中に故郷大分の「つぶつぶ かぼす・日田の梨」のジュースがあり、平松知事の「一村一品」運動の浸透に感激したことがある。

また、平松知事には、草柳大蔵さんとは学徒出陣の仲間だった縁で開催された故草柳文恵さんのお別れの会、大分県人会、親しい友人であった野田一夫先生の縁、などで何度もお会いしている。温厚な紳士という印象を持っている。

また、大分県の先哲先哲叢書を10年かけて完成させていることも特筆すべきだ。福澤諭吉、田能村竹田、滝廉太郎、福田平八郎、双葉山、三浦梅園、広瀬淡空、ペトロ・スカイ岐部、野上弥生子大友宗麟……。人づくりに関心が高く、子ども達に先哲から刺激を受けて欲しいとの考えだった。この本では、福澤諭吉の『分権論』を取り上げ「政権と治権」を論じている。地方行政の担当すべき治権とは、人民の生活に密着したものであり、警察、道路・棟梁・堤防の営繕、学校・寺社・遊園地の造成、衛生の向上などであり、福澤の考えに沿って地方自治の本義に向かってのライフワークである地方行政の仕事に邁進したのだ。

「リンケージ(人々とのふれあい、つながり)こそが究極の生き甲斐なんですよ」の前には、「人間、地位がある、金があるでは満足できないのです」という言葉がある。生き甲斐とは、ふれあいであり、つながりである。高齢化社会を生きる指針として心すべき箴言だ」

 ・どうやって人を探すか?インターネット上に「没年月日(命日)データベース」がある。誰もが知る有名人から素晴らしい業績を残しながらも有名でない人まで個人的観点で収集し続けている没年月日のデータベースだ。例えば2019年7月7日の収録数は 22084人(男性:19576人、女性:2508人)。「訃報新聞」では、亡くなった著名人が、日付ごとにリストアップされている。新聞の「毎日の新聞の訃報欄」も見逃せない。マスメディアでの死亡の公表は死去から数日後以降の場合が多いのが困る。死亡の発表は2-3日後になることが多い。

「平成時代」では「命日編」「誕生日編」と比べて、特定の期間であり、かつその期間が短いので人選が難しい。7月1日に広島県厳島での講演出張時に、適当な人物がいなくて絶望で頭を掻きむしっていたところ、テレビのニュース速報で桂歌丸師匠逝去の報が流れた。不謹慎ではあるが、それでようやくこの日を埋めることができた。人が死ぬのを待っている感もあるが、こちらも必死なのだ。

 ・どうやって本を選ぶか?毎月中旬頃に日ごとに人を決める。その人の本をアマゾンで調べる。自伝、伝記、著作、評論などの順番に選び、注文する。毎月20冊以上の本が到着する。それを書棚に積み上げて置く。

 ・どうやって書いているのか?

ほとんどの人はウィキペディアで生年月日、死亡年月日と短い紹介がある。その上で読んだ本に書いてある著者紹介、年表を読みながらどんな人かを知る。そして本を読みながら黄色のマーカーで気になったところ、本人の言葉などを中心にしるしをつける。その作業は、往復の通勤途上、自宅での風呂場(1時間以上になることも)が中心だ。テレビをみながらのこともある。

次に、しるしをつけたところをチェックし、必要と思われるところに再度ペンでしるしをつけ、その部分のページの端を折っておく。これで準備が完了だ。翌早朝5時からブログ日記に書き始める。前夜に少し材料を書き始めておくと、呼び水となり翌朝の執筆がスムーズになる。

まずその人の代表的な名言を決める。そして前半は人生の経歴を追う。中盤は人物が残した言葉などを選んで紹介する。後半は人物の生涯や業績についての総括と私の感慨や意見、学んだことなどを書く。以上4部構成が基本だ。短い場合は原稿用紙2枚ほど。長い場合は5-6枚になる。書き終わったら、noteというサービスに原稿をコピーし、字句の修正を行う。最近、文章に合う写真を無料で使えることがわかったので、イメージにあうものを適当に選ぶ。その後、多くの人に読んでもらいたいので、フェイスブックツイッターで拡散する。

 ・自転車操業読書法!毎日、「選び、読み、書く」という行為を続けるのが習慣になっている。この習慣は日々、断絶する危機にある。出張時には資料が少ないなどの問題がある。さらに私自身の書く意欲の問題がある。酒を飲んでいたり、疲れていたりして書こうとする精神状態の維持がなかなか難しい面がある。だから、だいたいは出来がよくない、あるいは書けない。帰宅してから手をいれたり、数日分の遅れを取り戻すこともよくある。最近は、アイフォンの音声入力も試している。精度も高いから、寝転がっていても文章ができあがるので、便利だ。インフルエンザの場合は当然ながら書けない。ベッドの中でグジグジ考えるが、よくなったらすぐにとりかかる。まさに自転車操業そのものだ。

 ・同時代史であり自分史でもある!「命日編」「誕生日編」では、取り上げた人物との私との関係をできるだけ書くようにしている。いつ著作を読んだか、その感想など。「平成時代」で取り上げた人物は、いわば同時代を生きた人でもあり、テレビや雑誌、新聞などで見かけていたり、実際に会っていることもあるので、エピソードも含め情報をできるだけ入れるようにしている。思い出の中にある情景を書き写すという感覚だ。同時代史でもあり、私自身の自分史にもなっている。この作業は、毎日「弔辞」を書いているようなものだ。

 ・「日本人とは何か」?この3年半で1200人以上の人物を書いたことになる。これらの人々は、文化人、事業家、創作者、芸術家など、ひとかどの人物だ。優れた日本人の生涯のシャワーを浴びている。毎日心が洗われる思いがする。優れた日本人のエキスに触れ続ける日々だ。日本人とはなにか、という問いの答えをさがす旅ともいえる。

 ・教養がつく!1000人以上の人物を「命日」「誕生日」でランダムにピックアップしているから、あらゆるジャンルの人が選ばれている。スポーツ、日本文化、事業などについて、興味がなくてもある程度は知る必要があり、結果的に、少し教養がついた感じもある。こういったやり方は、教養を身に着けるのにいいのではないか。

 ・新しい読書法!「平成時代」では、本がメインの資料となるから、毎日のように読んだ。244冊がリストになっている。興味・関心があるから、人から勧められたから、ベストセラーだから、というようなきっかけではない。関心があろうがなかろうが、人が読んでいようがいまいが、関係なく、読まねばならない。

こういう読書法の本は聞いたことがない。一種の乱読ではあろうが、書くために読んでいるから、意味のある読み方になっているように思う。新しい読書法かもしれない。広く、浅く、そして深く読む。この読書法は精読でもある。なぜなら使うための情報を収集しようとするから、一冊一冊は割合きちんと読んでいる。そして、手にする本のジャンルは広い。乱読でなおかつ精読ということになる。これは「積ん読」でもある。「一日一冊の読書法」も書ける気がしてきた。

 ・真実の本人か?このやり方は一種の人物論であるから、その人物を深く知っていないで書いているという批判もあるようだ。伝記や評伝では、対象となった人物に関するあらゆる資料を読み込み、関係者に取材することで、真実の姿を浮かび上がらせる。そういう観点からみると落第であることは間違いない。私の場合は「この人から何を学ぶか」をテーマとしているから、本人像が真実でなくても一向にかまわない。主体性を持った読書でもある。

 ・インターネット時代!インターネットは、やはりこういう活動をするには便利だ。ユーチューブという映像配信サービスで、歌手なら本人の歌声を、津軽三味線弾きならその人の演奏する姿を、スポーツ選手ならインタビュー映像を、みることもできる。「NHKアーカイブス」では、「あの人に会いたい」というシリーズがあり、短い時間で本人の肉声も聞くことができる。そこで見つけた名言も多い。早朝の1時間の「名言との対話」の時間は、私にとって神聖な時間、至福の時間である。

 ・「修行僧みたい」?最近友人から「修行僧みたいだね」と言われて苦笑している。現在4年目だが、来年以降は、戦後編、昭和編、現代編、近代編、と続けていければいいと思っている。日本史を遡りながら、日本人の精神を探検する旅だ。いつまで続くかは神のみぞ知るが、ライフワークに育ってきている感もある。続けていきたい。

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「名言との対話」9月16日。樋口廣太郎「前例がない。だからやる」

樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年大正15年)1月25日 - 2012年平成24年)9月16日)は日本実業家アサヒビール中興の祖

住友銀行に入行し、最年少記録を更新し、1982年に56歳で副頭取に昇進する。1986年、アサヒビール社長に就任し、「スーパードライ」の大ヒットで再建を果たし、キリンに次ぐ業界第2位に躍進させた。1992年から会長。経団連副会長など財界人としても活躍した。樋口は専門バカにならないように、一日一冊を実行する読書家だった。

かつて36%あったシェアを落とし続け沈滞し、ナイアガラの滝のように9.6%まで落ち、「夕日ビール」と揶揄されていたアサヒビール。樋口は味でトップになるしかないと考え、世界一高品質の原材料、マネはしない、健康指向、新鮮な商品開発を主導する。人員整理はしない。そして給料はサッポロ以上、ボーナスはサントリー以上、勤務時間はキリンより短くという目標を掲げた。

スーパードライ」の大成功しか目に入らなかったが、『前例がない。だからやる』を読んで、再建への道も簡単ではなかったと思った。若い社員たちの「ドライなビール」という提案を役員会は2度否定している。最後は現物をお客様に試飲してもらって発売に踏み切る。口に含んだときの芳醇さであるコクとのど越しの清涼感であるキレの両立。その延長線上に夢のような軽くてのど越しのがいいドライなビールを目指し、「スーパードライ」が誕生し思いがけない売れ行きとなり、大ヒットとなった。「この味がビールの流れを変えた」のだ。味の革命である。ビジネスマン時代にこのビールを飲んで「うまい」と感じた。それ以来、私はスーパードライ派になった。

以下、経営者としての心掛けや言葉も参考になる。

・経営者は消音器ではなく集音器になれ。

・杓子定規で個性がなく全員が同様・無難な内容を答える金太郎飴集団ではなく、猿、イヌ、キジ、それをまとめる桃太郎が鬼退治をする、といいう桃太郎集団を目指そう。

・仕事のOBラインは広くとる。狭いフェアウェーでは慎重になる。思い切って振り切れ。それがリーダーシップだ。

・軌道に乗せるまでは楽しい仕事だった。果実はみんなで分け合う。

・後継者をつくることはトップの責任。4代続けて住友銀行からの社長だったが、生え抜きを選ぼうと考えた。

ビールのシェアでは、2010年から9年連続でアサヒがトップでシェアは39%。アサヒは1986年から急激に伸びて、1989年に2位、そしてどんどんシェアを伸ばし、2001年にはキリンを抜く。圧倒的なシャアを誇っていたキリンは1年だけトップに立ったがまた2位になり2018年は32%、サントリーは16%、札幌12%。キリンとの差は小さく、勢いは止まっている感じがする。

6代目社長の樋口は人事面でも驚くべき施策を実行している。役員待遇の理事は取締役全員の投票、取締役は常務以上の経営会議メンバー、社交は取締役全員の投票で決まる。瀬戸雄三は最多得票となり後継社長となった。樋口は、一気にシェアを拡大する時期だから、次は営業系がいいと考える。そしてその通りになった。その後の、福地茂雄、池田弘一、萩田伍、泉谷直木、小路明善、平野伸一という歴代社長の選び方は、まだ続いているのだろうか。

スーパードライが人気になったとき、あのつくりかたは昔から理論的にはわかっていたという業界の声はあった。しかし、誰もやらなかったのだ。この商品はコロンブスの卵だったのだ。やるか、やらないかが勝負を決める。

前例がない。だからやる!―企業活性にかけた私の体当り経営

前例がない。だからやる!―企業活性にかけた私の体当り経営