四谷の美術愛住館の小杉小二郎展で、小杉画伯に迫るインタビュー対談。

四谷三丁目の美術愛住館で「甦る日々 静かに時は流れ 小杉小二郎展」。本日は日経新聞文化部の中澤義則編集委員のインタビューで小杉画伯に迫る対談。このイベントは高校同級生で小杉画伯の飲み友達の松田君からの推薦だ。そして中澤さんは私の20年来の友人ということで、妻と一緒に出向いた。

昼食は松田君と3人で摂る。小杉画伯(小杉放菴の孫)にも紹介してもらった。松田君からもらった『耶馬渓紀行』(田山花袋著・小杉放菴画)を帰りの電車で通読した。我々の故郷の中津・耶馬渓の紀行で、非常に興味深かった。この本のことは改めて記すことにしよう。松田君に感謝。

美術愛住館は、故・堺屋太一夫人の画家・池口史子(芸術院会員)の仕事場で、1984年に竣工、設計は安藤忠雄が指導している。2018年に改装し、1階と2階は展示室となった。その感じのいい展示室で対談も行われた。

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中澤さんの上手な引出しで、自分や作品を語らない小杉画伯もしだいに本音が出てくる。

「テーブルが舞台です。私はその舞台で踊る主役と脇役を選び、ディレクターとしてまとめていく」「自分という絵描きは、詩的な要素が半分、職人的な要素が半分、これが合わさってできている」「人生には、緊張感をもって生活していると必要な時に必要な人が現れる。画家の中川一政、画家の岡鹿之助、版画家の長谷川潔」「恐れないで新しいことにトライしています」「これからもずっと今のペースで続けていきたい」「なにゆえに描くのか。自分の知らない自分探しというところがある」

中澤さんの質問にもいい言葉が多かった。こういうインタビューは人を得ることが重要だ。小杉画伯「わかりやすく、よみやすい文章力のある人だからお願いした」。

「小物の存在感」「小二郎ワールド」「小二郎カラー」「自己を語らない人」「絵にドラマ、物語が流れている」「陰鬱、寂寥」「心の中で旅が始まるような「インナートリップ」「絵の力はすごいなあ。見る方が自由に想像が膨らむ」、、、、。

どの作品も幻想的でとてもいい。私は特に「海辺の唄」がいいと思った。近刊の『人生遅咲きの時代』を松田君、中澤さん、小杉画伯にお渡しする。

 

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 「美術愛住館開館記念 池口史子展」という図録を買う。

堺屋太一(一般財財団法人堺屋記念財団理事長)「妻、史子の絵画展、同時代の具象作家の作品展、堺屋太一の著書関連や万国博の企画の足跡を辿る展覧会を行いたい」

池口史子「20年、私たち夫婦はこの地で暮らした。とりあえず私の発表の場として出発する。いずれ二人の記念館になるようにと思っている」

本江邦夫館長の「日本の美術館は大きすぎる。広場の一隅に自然に生えた一本の若木のような等身大の美術館というイメージ」どおりの感じのいい美術館だ。いずれここは、堺屋太一・池口史子記念館となるのだろう。2018年に堺屋先生にあるイベントでおめにかかった時、「堺屋太一全集」の刊行が話題になった。昨年亡くなった堺屋太一は、周到に全集と記念館を遺すという偉業を成し遂げていたことに感心した。

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終了後、近所のミュージアムを二つ見学する。

四谷の東京おもちゃ美術館。

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四谷の消防博物館

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「名言との対話」2月22日。柳原白蓮踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反故(ほご)いだき立てる火の前」

柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年明治18年)10月15日 - 1967年昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人

柳原前光伯爵の次女。15歳で結婚し、一子をもうけるも破婚。その後に東洋英和女学校編入学し、村岡花子らと交流。佐々木信綱に師事し、短歌の道を志す。25歳年上の福岡の炭鉱王と再婚。帝大生・宮崎龍介と恋に落ち、夫への絶縁状を新聞に発表し、出奔するという「白蓮事件」を起こす。龍介との結婚後は、文筆活動、平和運動にかかわる。また、龍介の政治活動、アジア諸国との交流も支える。

『白蓮自叙伝 荊棘の実 柳原白蓮』は、龍介に出合うまでの日々を小説にした著書だ。43歳の時の作品。事実をそのままに写しだすのは困難な面があり、「それゆえにこれを小説体に綴ることにしました」。どこからどこまでが本当だか、作り話だかわからないようにしている。

この445ぺーじに及ぶ大著には、貴族社会のしきたりなどが詳しく書かれており興味深い。関係した人たちとのやりとり、感情の起伏などが細かに記されている。最後の「天国化地獄か?」の章では、「一人の青年宮川を知った。彼は口に貴族を蔑んだ。富豪を罵った。そして今日に飢えている多くの貧しき人々のために、この身を捧げるのだともいった。澄子の胸にはいつしか宮川の俤がしきりに動いていた」とある。宮川、本名・宮崎龍介は白蓮より7つ年下である。荒尾の宮崎滔天ら兄弟の資料館では、近代日中交流史の原点ともいえる宮崎兄弟の生家を復元しており、宮崎兄弟資料館がその一角にある。八郎、民蔵、弥蔵、寅蔵。末子の寅蔵が、宮崎滔天で、孫文を助けた。滔天がいなければ辛亥革命はならなかった。この龍介は中国革命を実現した孫文を助けた宮崎滔天の長男である。白蓮36歳、龍介29歳。この当時、この不倫騒動は大いに世間を騒がせた。その後、白蓮は81歳で天寿を全うするまで龍介と仲むつまじく暮らしている。

「ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身」

2014年のNHK連続テレビ小説花子とアン』は、『赤毛のアン』の翻訳者の村岡花子の半生を描いた作品で私もよくみた。平均視聴率22.6%は、大ヒットした『あまちゃん』『梅ちゃん先生』を超える人気となった。この中で仲間由紀恵が演じたのが柳原白蓮だった。第82回「ザテレビジョンドラマアカデミー賞」で村岡花子を演じた吉高百合子は主演女優賞、仲間由紀恵助演女優賞を受賞している。この番組をみていたおかげで、白蓮のことを多少知っていたので、自叙伝も興味深く読んだ。

以下、白蓮の歌から。

我歌のよきもあしきものたまはぬ歌知らぬ君に何を語らむ

 天地(あめつち)の一大事なりわが胸の秘密の扉誰か開きぬ

思ひきや月も流転のかげぞかしわがこし方に何をなげかむ

ああけふも嬉しやかくて生(いき)の身のわがふみたつ大地はめぐる

子をもてば恋もなみだも忘れたれああ窓にさす小さなる月

女とて一度得たる憤り媚に黄金に代へらるべきか

そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちに見つ

「ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身」と境遇を語り、そして「踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反故(ほご)いだき立てる火の前」と火のに飛び込まんとする心境。自叙伝を手伝った村岡花子の「数奇をきわめた一女性の半生の物語」、ひいては生涯のドラマは、歌を並べることで輝いていく。歌の力は大きいと改めて感じた。

白蓮自叙伝 荊棘の実

NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)で『花子とアン』が放送された。『赤毛のアン』の翻訳者として知られる村岡花子を主人公とする物語である。その中で、花子の東洋英和女学校以来の「腹心の友」である蓮子の巻き起こす恋愛事件がちょっとした話題になっていた。