YAMI大祭(200人が参加)。深呼吸学部(30人)に参加。

後姿探検隊。今朝は案山子(かかし)たちの後姿をとらえることができた。

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 YAMI大祭に155名参加。深呼吸学部は30名。20時から2時間のイベントに参加。

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  •  YAMI大は作家の田口ランディが学長の私塾ネットワーク。現在は戦後の闇市がでてきた時代と同じという時代認識。
  • 橘川・田原対談:参加型メディア。インターネットは再開の場。闇しばり。5年前からZOOM革命。粘菌。闇の経験。3・11からマレーシア。アナキスト、、、
  • よろめき歩き学部。シャーマニズム学部。感じる学部。深呼吸学部。U-35くらい学部。旅から学部。あわい学部。こどもオモ学部。糺命学部、、、など怪しげな学部が乱立していて興味深い。
  • YAMI大学は、コロナ情況の中で解体されていく旧来型の教育システムを眺めながら、敗戦後の闇市の中に立ち上がる新しい学びの場です。学校というフレームに価値があるのではなく、教える人と教えられる人とが作り出す学びの時間と空間が大切だと思います。さまざまなテーマにおける「教える人」が中心になって私塾を立ち上げます。基本ツールは、コロナ情況によって一気に普及したZoom。(深呼吸学部の橘川幸夫学部長)
  • 私の「図解塾」(深呼吸学部の学科)の説明をする機会もあった。

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 「名言との対話」8月27日。松旭斎広子「マジックは夢を売る仕事だと思っています」

松旭斎広子(1916年10月20日〜2007年8月27日)は、マジシャン。

13歳で松旭斎天勝一座に入る。5年間はダンス、日舞、声楽、パントマイム、太鼓、三味線、マンドリン、そして奇術のの基礎を学んだ。巡業は九州から北海道、外地では樺太満州、朝鮮、台湾までの興行に参加した。21歳、助手の山崎金之助と結婚。山崎は後見の名人だったが、1977年に死去する。

1944年、初代天勝が没し、広子は夫一座を結成し、独立する。1947年、占領米軍兵士の慰問のライセンスをGHQからもらう。日劇ミュージックホールや大阪梅田のミュージカルホールに出演する。1951年、松旭斎広子一座を再旗揚げNHKテレビにも出演した。1968年、日本魔術団を結成し、日劇大阪万博でも公演している。1972年、有楽町よみうりホールで「日本の奇術」を公演し、翌年文化庁・芸術優秀賞を受賞。1982年、黄綬褒章。1994年にはテンヨー手品フェスティバルで80歳の広子は出演し、トリを「つとめている。「魔術の女王」として活躍し、1982年日本奇術協会会長に就任した。

大道具仕掛けの奇術が得意で、「人造人間」、「ガラス箱」、「野獣と美女」、「伸縮する女体」、「大砲」などが代表作だ。

松旭斎広子は「マジックは夢を売る仕事だと思っています」に続けて、「マジックの楽しさを知っていただきたい。マジックは夢を与える、見る側は夢を持ってみていただく、というのが理想です」、としている。

さて、そもそもマジシャンとは誰のことか。 奇術師、あるいは手品師と訳すべきか。マジシャン派遣会社の「MAGICDOOR」によれば、磨き上げたテクニックで、「見ている人に驚きと夢のような感動や興奮を与える職業」と説明している。高橋匠、引田天功などが現在のトップランクのマジシャンだが、小道具を使うテーブルマジック、大型の仕掛けを用いるステージマジック、心理学を応用したメンタルマジックなどさまざまな種類がある。各種イベント、ホテル、飲食店などでみかけることがあり、すそ野は広い。そして若者にマジックが流行しているそうだ。

バブル時代だったか、JAL時代に赤坂で、俳句の江國滋先生と食事をしたとき、めったに見せないカードマジックを披露してもらって感嘆したことがある。同じく俳句の日本語への名翻訳者だったジャクスタムのカードマジックも酒場でみたことがある。

2005年に仙台で東京から見えた編集者と同行してきたマジシャン(肩書きにはマジック・アーティストと書いてあった)と知り合い、いくつかのマジックを見せてもらった。きれいで不思議なマジックに魅了された。二つほど、ツールをもらい、私も実演してみたが、うまくいった。リングを使うマジックとトランプを使うマジックだ。自宅で、習ったマジックを家族に披露した。みんなの驚きが嬉しかった経験がある。

マジックという言葉を思いつくままあげてみる。仰木マジック。マジック・セナ。吉田五十八マジック。北斎視角のマジック。小出マジック。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)。、、、、。野球人、建築家、画家、レーサー、スポーツ指導者、音楽家などの快挙をあらわす場合などにも使われている。本物のマジシャンの松旭斎広子と同じように、信じられないほどの驚きの成果を挙げ、人々に「夢」を与える人々もマジシャンなのであろう。