外山滋比古「100歳人生はこう歩く」。村崎芙蓉子「誰も見たことのない100歳をめざして」

目黒で橘川さんと昼食:総研。学会。会社。「大鴻運天天酒楼」「神乃珈琲」。

夕刻から荻窪の出版社で打ち上げ会:社長夫妻。女性編集者。弁護士。発明家。コミュニティ。

電話:猪俣さん。hanaの野上さん。出版社:fbで近況報告あり。

帰宅後:BS1スペシャル「良心を束ねて河となすーー医師中村哲73年の軌跡」をみる。

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移動中に、NHKラジオ深夜便のインタビューの聞き逃し配信を2つ聴いた。2つとも期せずして「人生100年時代」がテーマだった。

  • 外山滋比古「100歳人生はこう歩く」:今年の8月6日に96歳で亡くなった「知の巨人」の95歳の時のインタビュー。朝寝、昼寝。レム睡眠。運動。300冊近い著書。自分のことは自分で。少食。牛乳。人のための料理。体の全部を動かす。耳を使う生活。声を出す。目は過去を活字で追う。4人。セレンデピティ。ワイガヤ。勉強会。おしゃべりの会。30か月までの幼児教育。旧制高校。ダベリング。幼保教育(音楽・絵画)。3歳から5、6歳までの天才教育。失敗から学ぶ。挽回力で伸びる。120。3回の入試で2回失敗。実験的に生きる。やってみる。100年時代は元気に暮らす工夫を。

  • 村崎芙蓉子「誰も見たことのない100歳をめざして」:85歳で現役の内科医。57歳から女性の更年期障害専門の病院を開き28年。このタイトルは気に入った。東京女子医科大学卒業後、同大付属日本心臓血圧研究所にて循環器医学を学ぶ。 その後、新宿三井ビルクリニック副院長を経て、1992年「女性成人病クリニック」を開設し、同クリニック院長。診療の傍ら執筆や講演活動を行っていたが、著書「カイワレ族の偏差値日記(鎌倉書房)」がTVドラマ化され話題となり、「カイワレ族」が流行語となるなどして広くその名を知られるようになった。第40回NHK紅白歌合戦にも、審査員として出場。

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「名言との対話」12月28日。内藤陳「コーヒー一杯を我慢すれば、文庫本が買えるじゃないか。単行本なら、一食抜けばいい」

内藤 陳(ないとう ちん、1936年昭和11年9月18日 - 2011年平成23年12月28日)は、日本のコメディアン俳優書評家

父はプロレタリア文学作家内藤辰雄。中学2年生で父親から勘当されて家出。役者を志し、喫茶店のボーイや八百屋の荷車引き、選挙運動の旗持ち、サンドイッチマン大道芸人などの職を転々とする。研究生として榎本健一映演プロを卒業。浅草のストリップ劇場の舞台に立ち、コミックショーを演じる。 1963年、トリオ・ザ・パンチを結成。1981年から『月刊プレイボーイ』で「読まずに死ねるか!」を連載。日本冒険小説協会を設立して会長に就任。新宿ゴールデン街イギリスの作家ギャビン・ライアルの冒険小説の傑作にちなんだネーミングのバー「深夜プラスワン」を経営した。

内藤陳は「冒険小説のみが男の小説だ」という。それでは、冒険小説とは何か?歴史的な事件、戦争革命秘境などを背景とし、SF推理小説、スパイ小説、海洋冒険小説山岳冒険小説などを含む。壮大なアクションが多いというのが一般的な説明だ。

内藤陳が会長の日本冒険小説協会は、毎年大賞を選んでいる。北方謙三船戸与一逢坂剛高村薫馳星周夢枕獏宮部みゆき大沢在昌、などが受賞している。1回、2回の連続受賞者の開高健が冒険小説大明神と奉られている。内藤陳によれば、最高は『三国志』だそうだ。冒険小説の要素がすべて入っている総合冒険小説と呼ぶべき傑作という評価で、吉川英治の「全4巻」をすすめている。

『読まずに死ねるか!』(集英社文庫)を読んだ。3枚半の1400字の各エッセイの冒頭の言葉が惹きつける。「オドロイタの、まあビックリしたよ」「ついに来た。この欄に、なんとファンレターが来た、しかもピンクのフートー」「まだ見ぬわが愛する冒険小説狂のみなさま、」「幕が降りた」「これが、どうにも堪らなくうれしいんだよな」「キタ、キタ、キタ!!」「エレクとしたペニスに良心はない」「「、、チンタラ、チンタラ忙しい」「ねェ、ちょいと読んだ?」、、、、、、。

内藤陳は、自身を「面白本のオススメ屋」という。「いいおすすめ屋であることは、確かですね。書評家っていうのとは違う」とし、「いいものをほめたい」と書き続けて、ファンからの圧倒的支持を得た。新宿ゴールデン街の小さな「深夜プラスワン」には、冒険小説のファンたちが集まっていた。草野心平の居酒屋「火の車」と同じく、一度行ってみたかったなあと残念に思ったが、調べるとまだあるらしい。寄ってみよう。

読まずに死ねるか! (集英社文庫)