リアルとリモートの併用セミナーにトライ。合同懇親会は成功。

夜は代々木のアジトで、私の担当で知研セミナー「古今東西の幸福論から学ぼう」を開催しました。

リアルとズームの併用セミナーの実験です。リモート7人、リアル4人、懇親会1人で、合計は12人でした。

合同懇親会は、リアル会場組と自宅での参加者の合同でやってみました。会場での個人と個人のリアル交流と、大画面を通じた「車座」感覚の全員でのコミュニケーションが同時に行われ、予想以上に盛り上がった会になりました。

リアル会場ではビールとつまみが用意されていい気分でしたが、自宅組は飲み物を用意する方が良かったようです。今後もこの方式でやれると思います。

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参加者の感想から。

  • 幸福論は、先人達の発言だけでなく、自分の周りの身近な人達の考え方も聞いて、まとめた方が為になると思いました。
  • それぞれの幸福論を伺い、自分とは違う生き方が参考になりました。自分にとっては、周りの人達から感謝される時に、幸福を感じます。今後は、他に感謝し、される事で幸福を積み重ねていきます。今日は、ありがとうございました。
  • 幸福論感想等①感想:幸福論には関心があります。それは、自分の辿ってきた今までの人生で必ずしも成功とはならなかった実感等の我欲剥き出しの言動・反発から来る困難な制約とか、偶然的な種々の巡り合わせ状況の好悪とかを、体験等を整理納得し、変な嫉妬心を起こさないような独自の価値を見出せるヒントを得られればと考えるからです。②雑感:先生の紹介された論者の名言で、蓄財家の本多静六氏の言は当たり前のこととしか感じられませんでした。曽野綾子さんの宗教的な視点(細かい点はもう忘れてしまいましたが)からの言は、自分の信じる正義や倫理観に基づく期待等と、現実的諸場面との折り合いの付け方かと思い、共感できる面があると感じました。自分も含めた世の中の諸状況は薄っぺらいものであってはならない。損得勘定だけというのは賛成できない。現実は出来る限り理想に近づけるべく努力が必要だが、個人を犠牲にしての全体の繁栄も間違っている。自分では、いろいろな人の伝記や、歴史的事件の諸解釈などと、現実経験との比較類推結果を、参考にしております。
  • 本日もありがとうございました。 時間の関係もあり、古今東西の人々の幸福論のレビューについて深堀りはなかったけれども、いかに多くの人々が「幸福」を希求しているかについて理解することができました。 人生そのものが幸福の希求である、と言っても過言ではなく、言われてみるとそのとおりだと思うことが、言われなければ気づけないという社会の課題があると感じました。 来年から始まる幸福塾が楽しみになりますね。
  • 久恒先生が世界の識者の幸福論を紹介され、幸福とは人により、様々であることが理解出来ました。只、共通していることは、自分が一番、価値あると思っていることに、一生懸命に打ち込んでいる状態が幸せだと言うことです。久恒先生は人物に興味を持ち、人物記念館の旅を続けておられますが、それは各人の幸せを辿る旅といえます。
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今日のヒント
野見山暁治「これまで七十数年間、束の間の幸福だったなあ」
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「名言との対話」12月17日。野見山暁治「自分が絵描きなのではなくて、自分のなかに絵の神様が入りこんで、描かせているんだな」

野見山 曉治(のみやま ぎょうじ、1920年12月17日 - )は、日本の洋画家。
福岡県飯塚市出身。小さな炭鉱屋の長男。子どもの頃から「絵描き」になりたいと考えており、東京芸大に進学。兵役が決まると和辻哲郎『古寺巡礼』の影響もあり、奈良にを旅行する。

私はこの人との絵をみており、また本も読んでいるから、縁がある。

2014年に、ホテル・ニューオータニ美術館で「野見山暁治展」を観てきた。毎日練馬のアトリエで絵を描いている。また、福岡県の糸島にあるアトリエでも過ごしている。23歳で渡仏。12年間をパリで過ごし帰国。47歳、東京芸大助教授。51歳、教授。57歳、「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。79歳、文化功労者。84歳、菊池寛賞。目に触れる作品は公共施設のステンドグラスだ。抽象画のような具象画のような作品だ。2008年に東京メトロ副都心線明治神宮前駅に飾られた「いつかは会える」、2011年にJR博多駅に飾られた「海の向こうから」、2013年に福岡空港国際線ターミナルに飾られた「そらの港」の3点のステンドグラスの原画を中心とした展覧会だった。この画家は93歳で、現役として活動中だったことに驚いた。


翌日のNHK日曜美術館は、その野見山暁治の特集だった。この画家は文章がうまい。「絵も描くのか」と言われたり、「どうして文章のような絵を描かないのか」と言われたりしているのが、おかしい。
「描いていると少しづつ描きたかったものがみえてくる」。「毎日、毎日、これじゃないよな。わからない、何かがある」。「美しい自然の中にある魔性のものをつかまないと」。「常にえい児の如くあれ」。「色はてんでに少し主張しすぎるようだ。形はどんなに虚勢を張っても慎ましやかだ。おのれの限度を知っている」。「男はぼくの絵に戸惑う。、、、女のひとはよく出来たもので、モチーフについてつまらぬ詮索はしない。
ぼくたちにミューズの神はいるのだろうか。、、、いったいエカキとは何なのか。画面に向かっていることが、取りも直さずその疑問を問いつめていることであり、生涯問いつめてゆくその所業を、そうした人間の在りようをエカキと称んでいいのではないかとぼくは思っている」。「絵描きが「考える」ということは、画面に向かって手を動かすことだ、という気がする」。「ぼくにとって、絵とは心情を吐きだすもの、生身の自分を晒すことだった」。


94歳の野見山を80歳になった横尾忠則との対談が載っている『『創造&老年』(SB Creative)』を2021年8月に読んだ。野見山の発言は、「年をとたっという自覚がない」「人間だけが自分の年齢を知っている」「絵の学校に行くのが一番いけない」「頭は空っぽ」「毎日同じ画面に向き合う」「絵を描くことで、元気はエネルギーが自分の中に湧き出る」などだった。


今回は2018年発刊の『のこす言葉 野見山暁治 人はどこまでいけるか』(平凡社)を読んだ。97歳時のエッセイだ。年譜を眺めると、35歳、パリで最初の妻は29歳でガンで亡くしている。50歳で再婚した妻は野見山が80歳の時に75歳の妻をガンで亡くしている。31歳からパリ留学12年。セザンヌグレコに傾倒する。ビュッフェにも傾倒し絵が似てくるので待たないようにした。「自分というものを確立させてから、誰のものでもない、おれの絵だというものを持っていかなければ」と決心する。

「自分が描く絵が、限られた画面のなかに、広い宇宙観を確立していかなきゃ意味がない」絵描きのオリンピックは、宇宙の奥深いところまで入っていけるか、その競争みたいなものだという。果てしない。どこまでいけるか。それに懸けている。野見山がパリからの帰国後、驚いたのは日本は人工物を含め色にあふれていたことと述懐している。欧州は色感が悪い。逆に日本人の感性は素晴らしいという。

76歳、長野県上田市に「無言館」を開館。戦没学生の遺族を訪ねて彼らの遺作を展示する。この仕事をやりとげて自身も変わったと自覚している。93歳、文化勲章

野見山暁治は「いくら平和を唱えても、戦争は必ず起こるものだ」という確信があり、「やがて人間は自らつくった原爆で滅びる」と語っている。戦後は束の間の幸福だったという観察だ。

この本の最後は、「自分が絵描きなのではなくて、自分のなかに絵の神様が入りこんで、描かせているんだな」という言葉で終わっている。1920年生まれであり、本日で101歳の誕生日を迎えた。現在も現役画家である。