目黒で橘川さんと。神保町「猫の本棚」で。

目黒で橘川さんと。

  • 食事:「活美登里 回し寿司活」(アトレ)
  • 打合せ:「林屋茶園」:

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神保町のシェア書店「猫の本棚」を訪問。店主の樋口さんと雑談。

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店主の樋口尚文さんのtwitterから。
「ちょっといい話。「猫の本棚」の最ベテランの棚主さんで著述家の久恒啓一さん(人生100年書店)と最年少の高校生棚主さんNくん(一回堂)はなぜか毎回ご来店がハモるのですが笑、受験前のNくんに久恒さんからエールを籠めてこんなご著書がプレゼントされました!なんと素敵な棚主さん交流でしょう\(^o^」
私の「人生100年書店」。

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「名言との対話」6月9日。有島武郎「小さき者よ。不幸な而して同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れる前途は遠い。而して暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ」

有島 武郎(ありしま たけお、1878年明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜みなく愛は奪ふ』がある。

幼時から文明開化の気風になじむ。学習院を経て札幌農学校入学。のち渡米し、ハバフォード大学とハーバード大学大学院に学ぶ。ホイットマントルストイに傾倒し、キリスト教入信の一時期もある。東北帝大農科大学教授もつとめた。

軽井沢の別荘・浄月庵で人妻である婦人公論の記者・波多野秋子と心中して45歳で亡くなった。2005年にはこの軽井沢の有島武郎別荘を訪ねたことがある。作家の里見弴は10歳年長の有島武郎、6つ上の有島生馬の末弟である。祖母の実家を継いだために山内姓となったが、武郎、生馬と一緒に育っている。小説家の有島武郎、画家の有島生馬、作家の里見弴の3兄弟は若い頃から有名だった。そろって「書」でも優れていて、武郎は品位、生馬は玄人はだし、弴は力強い書だったと、別冊「住近代芸術家の書」で紹介されている。その里見弴は、長兄の有島武郎が美人で婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と心中し46歳で亡くなったとき、「兄貴はあんまり女をしらないからあんなことで死んだんだ」と言っている。

2009年に真駒内からタクシーで15分の札幌芸術の森にある、有島武郎旧邸を訪問した。
芸術の森の一角に、紅葉に彩られて、洋風の瀟洒な素敵な家が建っている。この家は復元されたものだが、北大の寮として使われた時代もあって、北大有島寮と呼ばれていた。木造二階建て、建坪165.1へーべ、延べ面積259.7へーべの立派な家である。

 明日知らぬ命の際に思ふこと 色に出ずらむあじさいの花(絶筆)
 我児等よ 御空を仰げ今宵より 汝を見守る星出づ(妻・安子追悼歌)
 書冊の形でする私の創作感想の発表は、この「著作集」のみに依ることとします。私の生活を投入するものはこの集の外にありません(著作集刊行の言葉) 

「死ぬまで少年の心でいることの出来る人は実に幸いである」(有島武郎「驚異」)

ウオーキング中に有島武郎の『小さきものへ』をオーディブルで聞いた。幼くして母を亡くした3人の子どもたちへの愛情あふれ遺言である。27歳で亡くなった妻・安子との間に設けた子らに言葉を示している。

その最初は、「小さき者よ」を書く動機を書く動機だ。「 お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいなか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡くりひろげて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。時はどんどん移って行く。お前たちの父なる私がその時お前たちにどううつるか、それは想像も出来ない事だ。恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代をわらあわれんでいるように、お前たちも私の古臭い心持を嗤い憐れむのかも知れない。私はお前たちのめにそうあらんことを祈っている。お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固がんこなのを嗤う間にも、私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。」

母親について。「私がお前たちの母上の写真を撮ってやろうといったら、思う存分化粧をして一番の晴着を着て、私の二階の書斎に這入って来た。私はむしろ驚いてその姿を眺めた。母上は淋しく笑って私にいった。産は女の出陣だ。いい子を生むか死ぬか、そのどっちかだ。だから死際しにぎわの装いをしたのだ。――その時も私は心なく笑ってしまった。然し、今はそれも笑ってはいられない。」

最後。「私は私の役目をなし遂げる事に全力を尽すだろう。私の一生が如何いかに失敗であろうとも、又私が如何なる誘惑に打負けようとも、お前たちは私の足跡に不純な何物をも見出し得ないだけの事はする。きっとする。お前たちは私の斃れた所から新しく歩み出さねばならないのだ。然しどちらの方向にどう歩まねばならぬかは、かすかながらにもお前達は私の足跡から探し出す事が出来るだろう。

全文を載せたいほどの、そして涙が出るほどの心のこもった名文である。父親としてのあふれる愛情と子どもへの憐憫と期待、「産は女の出陣だ」という母親の出産に立ち向かう気概、こういった言葉に、子どもたちは心が打たれただろう。

父と母の子どもであった私、父親となった私、一男一女を生んで母親となった妻、そして私たちの子どもがもうけた3人の孫たちのことを思った。この「小さき者へ」は、有島武郎の代表作の一つにとどまる作品ではない。日本の父と母の心境をあらわす名作だ。