「図解塾」を開催ーー「知識創造経営」と「図解思考」。「漆」「お辞儀」。

「図解塾」を開催。

野中郁次郎の「知識創造経営」と久恒啓一の「図解コミュニケーション」。

・日本文化の図解:「漆」「お辞儀」

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以下、塾生の学びから。

  • 本日の図解塾、どうもありがとうございました。久しぶりだったせいか、本題に入る前の近況・情報交換もたいへん充実していました。特に、25日に亡くなられた野中郁次郎さんについて、実はほとんど存じ上げていませんでしたがドラッカーが称賛していたとか、遅咲きだったということに加えて、ナレッジマネジメント暗黙知形式知に移るところが現代の様々な企業のみならずシリコンバレーもまねていたということを知って驚きました。また、われわれがやってきたアクティブ・シニア革命への取組もあてはまることを改めて認識しました。野中理論と久恒方法論、これにメタブレーンやAIがからんでくるとどうなるか、興味津々です。日本を知る105章では「漆」と「お辞儀」が取り上げられました。「漆」については、非常に丁寧に調べられていて、日本伝統工芸における漆の奥深さやバラエティを再認識しました。日本の芸術は、表に出ない所に非常に手間をかけてつくりあげるという特徴もすばらしいし、プロは手に持っただけでどれだけ表に出ない部分にも手間をかけているのが分かるというのも驚きでした。 「お辞儀」については日常あまり意識しないで行っている動作について改めて日本人の特徴を再認識しました。挨拶としてのお辞儀以外にも宗教的行事、儀礼、謝罪などもあり、これらの共通性を考えたとき「畏れ、敬意」という言葉があてはまると分かりました。さらに外国ではどうなんだろうという疑問が生じ、AIの助けを借りて調べてみました。課題のテキストにとどまらず、疑問が次々と浮かび、調べることによって深みや広がりができてよかったと思います。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は始めに久恒先生より経営学者・野中郁次郎先生が亡くなられたことに関連して、野中先生の「ナレッジマネジメント」と「図解コミニケーション」との関係について、興味深い話を聞くことができました。「ナレッジマネジメント」でいうところの経営の本質=知識の創造(暗黙知形式知の循環)は、図解コミニケーションの技術を以って実際に現場に落とし込むことができるという話を伺い、大変納得がいく内容でした。確かに、自分の経験でも、仕事場の暗黙知を見えるようにする方法はマニュアルの作成などが中心で、「図解」を積極的に活用していく意識はあまりなかったように思います。「方法論」が大事との話も併せ、図解の活用をもっと積極的に浸透させていきたいとのことで大変共感しました。 続いて『日本を知る105章』の図解は「漆」と「お辞儀」でした。「漆」では漆を使った工芸品の歴史や特徴、変遷などが一望できる図解で、平安時代に漆芸が頂点に達したことや、漆器は表面の仕事より見えないところに手間がかかるものであることなどが印象的でした。作り手も売り手も少なくなりつつあり、日本文化を担う後継者の不足という共通の課題がここにもあると改めて思いました。また「お辞儀」では、お辞儀が「相手にみだりに近づく意図がないことを伝える接触回避のしぐさ」と説明されているところがとても面白いと思いました。確かに、欧米の握手やハグと違い、お辞儀には一定の距離感を感じますが、神社などへのお詣りでお辞儀をするときと同じように、相手を敬う気持ちなども感じます。ときどき綺麗なお辞儀をする人を見ると憧れを感じることもあり、日本の良い伝統だと思いました。次回の図解塾も楽しみです。ありがとうございました。
  • 先生、みなさま、お疲れ様でした。野中郁次郎さんのお話を聞きながら、『アクティブ・シニア革命』の全体図ができあがる過程と、それを冊子としてものに作り上げていく過程とが重なり、暗黙知を形式化し、形式化が進んで、暗黙知になるという流れを体現できているのではないかと思いました。あと少し、頑張ります。日本文化の方は、久しぶりに発表でした。タイトルは白洲正子さんがかかれた「漆」について。昨年12月の初め頃に図解してそのままにしていた図解をもとに今日発表したのですが、時間をおいても説明できるのだなぁとこちらも実感いたしました。図解はすごいですね。京都や奈良にあるお寺を観に行かなければと思いました。漆芸は手間がかかり、大変なお仕事。後継者問題はここにもあることが分かりました。 もう一つのお題は、「お辞儀」。あらためていろいろな種類のお辞儀があるものだと思いました。海外ではどうなっているかを調べられていて興味深かったです。近頃はスポーツ界で見られるようになったという話しや、茶道の席でのお辞儀はきれい。とか、話が盛り上がりました。普段お辞儀をしているか?にどきっとしました。冠婚葬祭ぐらいかもしれません。こうやって身近な文化を図解で掘り下げてみなさんで話し合うのは楽しいです。次回からもよろしくお願いいたします。
  • 今回は前半に経営学者の野中郁次郎氏のお話があり、後半に規定科目の『日本を知る105章』の「44_漆」、「49_お辞儀」の2つの図解が発表されました。野中氏については知らなかったのですが、『失敗の本質』の著者の一人で、私が勤めていたころによく聞いた「ナレッジマネジメント」や「暗黙知形式知」を論じた知識創造経営の生みの親であると知り、今回、改めて暗黙知形式知の関係について理解しました。また、この野中理論に久恒先生の図解コミュニケーションが加われば、よりスムーズに知識創造経営を実現できるのではないかとのお話を聞き、その関係性に驚きました。 「漆」については、「接着剤として発達」という言葉を見て、「そうだったのか。」と工芸品の原料としてどんな役割を持っているのか、初めて気づきました。また、図解には多くの情報が詰まっていたのですが、時系列が明確で、主要な言葉を太文字や書体を区別して表示するなど工夫されていたので、読み取りしやすかったです。「お辞儀」については、デュルケムの「消極的儀礼と積極的儀礼」という区分があることをしるとともに、謝罪についてや海外との比較などが追記されていたので、お辞儀が正に日本文化の一つであり、大切にしていこうと改めて思いました。
  • 今回は「日本を知る105章」の中から「漆」と「お辞儀」について、塾生の方が図解を作成して説明してくださいました。「漆」について印象に残ったのは、「漆」作りは、「表面の仕事より見えないところに手間がかかる」という点です。漆の職人技は、表面に現れる美しさだけでなく、その裏側に隠れた手間や工夫にこそ価値があることを感じました。                       日本の職人芸として、見えない部分にまで気を配る丁寧な仕事が、「漆」という技術の魅力であると再認識しました。         また、後継者不足という問題がとても印象的でした。         「漆」の伝統を守り続けるためには、後継者を育てることが不可欠であると痛感しました。今後も、この素晴らしい技術を次世代に伝えるためにどうすべきか考える必要があると思いました。 次に、「お辞儀」については、相手に対してみだりに近づく意図がないことを伝える接触回避の仕草であるという理解が深まりました。                               「お辞儀」は、日常的な挨拶においては、適当な角度と間合の勘が大切で適切な「お辞儀」の受け答えにより互いの距離のとり方を覚える必要があることがわかりました。また、「お辞儀」に関連することとして海外における挨拶についても理解できました。多くの欧米では握手やハグが一般的であり、中国や韓国では「お辞儀」をするものの、その深さや頻度は少ないことがわかりました。タイでは両手を合わせて「お辞儀」をし、フィリピンでは手の甲にキスをし、中東では右手を胸に当てるという特徴があり、文化による挨拶の違いがとても興味深かったです。今回の図解塾を通じて、「漆」や「お辞儀」に関する深い理解が得られ、良かったです。                    今後も図解を学ぶことによって、言葉や物事の本質を理解していきたいと思いました。次回も楽しみしています
 
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松本龍二、近藤 千恵子
 
 

 

 

朝の散歩でカワセミに遭遇。

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「名言との対話」1月29日。河野多恵子「狭義の才能と広義の才能」

河野 多惠子(こうのえこ、1926年大正15年)4月30日 - 2015年平成27年)1月29日)は、日本小説家

大阪の乾物問屋に生まれ、大阪府女子専門学校を卒業。1950年丹羽文雄主宰の同人誌『文学者』に参加。1961年に『幼児狩り』で新潮社同人雑誌賞、1963年に『蟹』で芥川賞を受賞。谷崎潤一郎の衣鉢を継ぎ、精緻な描写に基づくリアリズムの文体で、嗜虐・被虐妄想、異常性愛などの倒錯した欲望や意識の暗部を浮き彫りにして高い評価を得た。

1967年『最後の時』で女流文学賞、1969年『不意の声』で読売文学賞、1980年『一年の牧歌』で谷崎潤一郎賞、1991年『みいら採り猟奇譚』で野間文芸賞、2000年『後日の話』で毎日芸術賞などを受賞。

1987年に大庭みな子とともに女性で初の芥川賞選考委員となり。読売文学賞谷崎潤一郎賞の選考委員を務めた。1989年に日本芸術院会員。2014年に文化勲章を受章した。

この人の小説は読んだことはないが、『小説の秘密をめぐる十二章』(文芸春秋)を読んでみた。芥川賞読売文学賞谷崎潤一郎賞野間文芸賞伊藤整文学賞などを総なめにしている小説の名手が、「創作」について語った本だ。文章の呼吸、作品の育て方、才能について、登場人物の名前、標題、導入と終わり方、筋、小説の構造、文章力、などについて自説を展開しているので、興味深く読み進めた。以下、いくつかあげてみる。

  • 日本語の横書きの創作に創造性を発揮することは不可能。大震災文学は平林たい子の三作のみで生まれていない。創作を志す人は、まず三人称、単元描写の書き方で始めよ。主要人物の名前は、珍しすぎず、ありふれていない名前がよい。動詞の使い方に関心を持て。終わり方が大事だ、芥川の作品にも失敗はある。一言で言い表せる作家が長持ちする。谷崎は「女の死のこればっかりの小説家」、円地文子「女の業を書く作家」、津島佑子「シングルマザーもの作家」、、。
  • 誰も思いもしなかったであろうこと、考えもしなかったであろうこと、想像もしなかったであろうことを書きたいのである。自分ひとりのみの精神に生まれたことを書きたいのである。小説家は独創的であるべきで、詩人のように独断的であってはならない。詩、俳句、短歌は自分自身のためのものだが、小説は読者に共感されるように書かれるべきだ。

以上、「小説の秘密」を詳しく語ってくれているのだが、私が特に共感したのは、才能についてだ。それは「いわゆる才能」を重要視することではなかった。河野多恵子は「才能」について、二つの才能をあげている。「狭義の才能」とは、想像力、感覚、瞬発力、持続力という、持って生まれた文学的才能である。「広義の才能」とは狭義の才能を生かす能力で、吸収力、度胸、洞察力、観察力、決断力、好奇心等を発達させることを持続させる能力としている。いわば自分で自分を育てる能力だろう。どの分野でもいえることだろうが、狭義の才能よりも、自分を育てていく広義の才能の方が重要である。この本でそれは小説でも同じだという発見をしたことを嬉しく思った。