「『大いなる富士』鳥瞰図絵を構想する」ーーー富士箱根伊豆国際学会の学会誌創刊号に寄稿

アドバイザーをしている「富士箱根伊豆国際学会」の学会誌創刊号に以下の論考を寄稿した。

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「大いなる富士」鳥瞰図絵を構想する

久恒 啓一 HISATSUNE Keiichi
多摩大学名誉教授 Professor Emeritus, Tama University

1.鳥瞰図絵—伝統と現代

1.1 鳥瞰図絵の伝統

 江戸時代に存在した鳥瞰図絵師という職業は、風景を上空から見下ろすように描く特殊な技術を持つ絵師たちでした。屏風絵や絵巻物を源流とするこの手法は、全国の名所を一望できる形で表現し、多くの人々を魅了してきました。位置関係は、一枚の画面に収めるための誇張とゆがみを許容するという特徴を持ち、鳥瞰的視点から全体像を把握できることが人気の理由でした。 「大正の広重」と称された吉田初三郎がこの手法を発展させ、全国の景勝地を鮮やかな色彩と大胆なデフォルメで描き出し、鉄道の発達に支えられた観光ブームの火付け役となりました。見えるはずのない高みから風景を切り取る不思議な感覚に浸ることができます。

1.2 現代における鳥瞰図絵の意義

 現代社会において私たちは、目に見える現実世界だけでなく、目に見えない情報の世界をも鳥瞰図絵師として描く必要があります。地上で這いつくばる「虫の目」だけでは全体像は見えてきません。足は大地に着けながらも「鳥の目」を持つことが、地域振興には不可欠です。自分の位置を全体の中で相対化し、高い次元から問題解決に取り組む姿勢が求められているのです。

2.鳥瞰図絵と山海図絵

図1.多摩大鳥瞰図絵
図1.多摩大鳥瞰図絵

2.1 多摩大鳥瞰図絵から学ぶ

 ここで参考になるのは、私が作成した「多摩大鳥図絵」です。多摩という地域は、東は東京世田谷から西は富士山に迫るあたりまで、南北は秩父山系から東京湾相模湾までの広大な地域を指します。この「大多摩」と呼べる地域には、中央自動車道東名高速、新東名、各種鉄道路線が東西に走り、多摩川相模川が南北に流れています。
 万葉集の歌碑群、防人が通った多摩よこやまの道、「いざ鎌倉」の鎌倉街道、「絹の道」、新選組から自由民権運動への流れ、多摩ニュータウンなどが書き込まれています。
 多摩大学のある多摩市を中心に置いて、多摩川相模川、東京、横浜、鎌倉、八王子、東京湾相模湾、木更津、JR東海道線、JR横浜線、JR中央線、京王線小田急線、鎌倉街道、九段、湘南、品川、府中、調布、立川、、相模原、町田、丹沢山渓、富士山、ユーラシア大陸、などを上空から鳥の目で眺めた風景を描く、なかなか難しい仕事でしたが、「多摩大鳥瞰図絵」は大学の求心力を高める役割を果たしました。

2.2 不染鉄の「山海図絵」に学ぶ

写真1.不染鉄「山海図絵(伊豆の追憶)」(「没後40年 幻の画家 不染鉄」展の図録、東京ステーションギャラリーより許可を経て転載)
写真1.不染鉄「山海図絵(伊豆の追憶)」(「没後40年 幻の画家 不染鉄」展の図録、東京ステーションギャラリーより許可を経て転載)

 伊豆大島で漁師の経験を持つ幻の画家、不染鉄(1891-1876年)の代表作「山海図絵(伊豆の追憶)」は、重要な示唆を与えてくれます。この超大作は、伊豆半島沖の太平洋を手前に、中央上部に富士山をそびえ立たせ、その背後には能登半島日本海までをも描き込んだ壮大な構図となっています。
 近づいて見ると、満員の汽車、晩秋の風情、網の手入れをする漁師の姿など、人々の様々な営みが細部に散りばめられています。この作品は富士山の眺望と富士山からの眺望が混在し、マクロの視点(鳥瞰)とミクロの細部(虫瞰)が共存する独特の世界観を作り出しています。世界を自在に把握し、再構成することによって、新たな世界を創造しようとする姿勢がそこにはあります。

3.「大いなる富士」鳥瞰図絵の構想

 富士箱根伊豆を中心に据えた新たな鳥瞰図絵が必要です。静岡県を中心に山梨県も視野に入れ、この地域の豊かな歴史、人物、名所を一望できる作品を目指したいものです。
 富士山麓に広がる富士五湖三保の松原駿河湾伊豆半島、箱根の山々を配し、東海道の宿場町、久能山東照宮三島大社富士山本宮浅間大社などの歴史的建造物も描き込みましょう。源頼朝徳川家康北条早雲といった歴史上の人物や、富士山信仰に関わる修験者たち、東海道を行き交う旅人、富士山に魅せられた文人墨客の姿も点景として加えることで、この地域の歴史的深みを表現できるでしょう。
 さらに、富士山静岡空港東海道新幹線富士スピードウェイなどの現代的要素、そして世界文化遺産としての富士山の価値を示す象徴的な描写も盛り込むことができるでしょう。
 この壮大な鳥瞰図絵を描くことによって、ビジネス、アカデミズム、自治体、メディア、市民など多種多様な人々の協力が生まれてくることが期待されます。「大いなる富士」鳥瞰図絵プロジェクトを立ち上げ、それを核に地域の総力を結集した取り組みへと展開することを提言したいと思います。
 この鳥瞰図絵は地域の魅力を再発見し、新たな観光資源を創出し、地域DNAにもとづくアイデンティティを強化する実学的プロジェクトとなるでしょう。
 富士山という唯一無二の日本の象徴を中心に据えたこの学会の強力な発信の手段となるはずです。
 富士山の裾野から日本海を越えて、アジア・ユーラシアへ、そして世界へ、視野の拡大と活動の輪を広げるための宝物になるでしょう。
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<掲載記事>

「地域DNAと国際学会の未来-富士・箱根・伊豆から世界へ-」五條堀 孝(会長)

「地方で暮らす豊かさと健康長寿」小林 武彦(副会長)

「『人』のトッピング」竹下 誠二郎(副会長)

「伊豆の観光と地域文化の未来」橋本 敬之(NPO法人伊豆学研究会 理事長)

「大いなる富士 鳥瞰図絵を構想する」久恒 啓一(多摩大学名誉教授)

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「名言との対話」7月15日 佐藤道夫「自分の起こした不始末は、まず自分で始末するというのが子どものしつけの第一歩である。責任を取るとは、そういうことをいう」

佐藤道夫(さとう・みちお、1932年10月24日-2009年7月15日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。享年76。

札幌地方検察庁検事、東京地方検察庁特別捜査部検事、同庁刑事部長、最高検察庁検事などを歴任した。

東京地検特捜部では、1971年の沖縄返還協定に絡み、取材で知り得た機密情報を国会議員に漏えいした毎日新聞政治部の西山太吉記者らを国家公務員法違反で起訴した、いわゆる西山事件の捜査を担当し、起訴状を作成した。

起訴状では、西山記者が外務省の女性事務官と「ひそかに情を通じて」秘密文書を持ち出させたと記した。この表現によって国家の密約問題がスキャンダルへとすり替えられたとの批判がある。

佐藤は後に「言論の弾圧と言っている世の中のインテリ、知識層、あるいはマスコミ関係者なんかにもね、ちょっと痛い目にあわせてやれという思い」で文言を考えたと述懐している。是非はともかく、事態は佐藤の思惑どおりに進んだ。

東京佐川急便事件では、自民党金丸信元副総裁が政治資金規正法違反で略式起訴となった処分を批判し、「特別な人を特別に扱うのは司法の世界では絶対にあってはならない」と、現役の札幌高検検事長として朝日新聞読書欄に投稿。これが大きな支持を集めた。

1995年、佐藤の正義感と人柄に注目した青島幸男が「私の議席を引き継いでほしい」と依頼し、佐藤は二院クラブから参院選に出馬して初当選。同クラブ代表を務めた。

議員としては、オレンジ共済組合事件で友部達夫参院議員に対する議員辞職勧告決議案にただ一人反対したり、根拠が薄弱なまま始まったイラク戦争で米軍がフセインを拘束した際、「何の罪なのかを明らかにせよ」と小泉首相に迫ったりするなど、活躍した。

著書『検事調書の余白』(朝日文庫)は「週刊朝日」連載「法談余談」をもとに、38年にわたる検事生活で遭遇した事件を題材に「法律」と「人間」のはざまで繰り広げられる真の人生ドラマを描き出した。後にNHKでドラマ化されている。

夕刊フジでは「佐藤道夫の政界よろず調書」を連載していた。記者には「僕の仕事は、政界や社会に対して『大切なことを忘れていませんか?』と問いかけることだ」と語っていた。

さて、「責任を取る」とはどういうことか。権力を保有する高い地位には相応の責任が伴う。期待された結果が出せなかったとき、不祥事が起きたとき、指導的立場の人は責任を取らなければならない。昨今、要職にある人々の「出処進退」の潔さの欠如は目に余るが、「自分の起こした不始末は自分で始末せよ」という佐藤道雄の言葉は清々しく響く。ここでいう「自分」とは、当然のことながら自分個人にとどまらず、自分が率いる組織や集団も含むのである。 

検事調書の余白 (朝日文庫 さ 22-1)