幸福塾は、「日本への回帰」の3回目ーー人物を図解を用いて解説という新しいやり方を試した

幸福塾は、「日本への回帰」の3回目。

本日は3回目:小野道風岡倉天心夏目漱石南方熊楠柳宗悦柳田国男・村野四郎・棟方志功古賀政男司馬遼太郎池田満寿夫東山魁夷。以上の人物を図解を用いて解説という新しいやり方を試した。

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「名言との対話」7月16日。中野孝次「自分になりきるとは、自分だけの言葉を持つことだ。自分の言葉ばかりで物を言うようになったとき、人ははじめて真の自分を獲得し、自分を全肯定できるのだ」

中野孝次(1925年〈大正14年〉1月1日 ‑ 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の作家・ドイツ文学者・評論家、國學院大學教授。享年79。

中野孝次の著作は好きで、かなり読んできた。代表作『清貧の思想』をはじめ、『ハラスのいた日々』『すらすら読める 方丈記』『本阿弥光悦行状記』などがある。

『ガン日記』は、2004年2月28日の体調への不安から書き始められ、入院に向かう3月18日の 「風強し、暖。今日より約2ヶ月半、初めての病院生活と医療的拷問との日々始まるか、と思う。しかし、すべてそのときそのときに応ずればよしと覚悟は定まりてあり」で終わっている。そしてその3ヵ月後の7月16日に食道ガンで亡くなった。

体調の異変には、楽しみだった日曜碁会の席で気づいた。60数歳までのヘビースモーカー生活と、それ以前からの酒好きの結果であることを自覚しつつ日記は始まる。紀元1世紀頃のローマの哲人セネカの著作に親しんでいた中野は、死に対処する心構えを学んでいたため比較的冷静に運命を受け入れるが、それでも心は揺れ動く。

 「運命は、誰かに起こることは汝にも起こるものと覚悟しおくべし。自分の自由にならぬものについては、運命がもたらしたものを平然と受けよ。できるならばみずからの意志で望むもののごとく、進んで受けよ」
 「従容として死に就く、という言葉あり、人の死の理想たるべし」
 「よし、あと一年か。それなら、あと一年しかないと思わず、あと一年皆と別れを告げる余裕を与えられたと思うことにしよう。一年を感謝して生きよう、とようやく思い定まる」
 「春の夜やガンをいだきてひとねむり」
 「ふたりが一体となって自分たちだけの歴史をつくっていくとき、その歴史が今度は逆に老年になって夫婦を支える確かな基盤になってくる」

セネカや『唐詩選』に親しんでいた中野は死への覚悟を身につけていたが、最後の入院時に持ち込んだのは、家にある藤沢周平全集の数冊と宮城谷昌光の小説だった。

「死に際しての処置」(2001年5月3日記す)には12項目の指示が箇条書きで示され、

 「顧みて幸福なる生涯なりき。このことを天に感謝す。わが志・わが思想・わが願いはすべて、わが著作の中にあり。余は喜びも悲しみもすべて文学に託して生きたり。余を偲ぶ者あらば、余が著作を見よ。余に関わりしすべての人に感謝す。さらば」という総括で結ばれている。見事である。

妻は「これまで僕は文学に行き、いい文章を読んで人生を送ってきたが、それは本当に良かったな、いい人生だったな」としみじみ語ったと回想している。また「私はやっぱり彼と結婚してよかったんだな、と思っております」とも述懐している。

この『ガン日記』は、死後数年たって発見されたもので、出版を意識したものではない。それゆえ心に響く。

中野孝次は『清貧の思想』で、日本人が持つ美しい倫理観を提示した。所有への欲望を抑えることで精神的自由を飛躍させるという逆説的な考え方だ。悩み深き中野が「自分」という存在を考察したのが冒頭の言葉である。もともとドイツ文学者であった彼は、最晩年に日本へ回帰した。

借り物で飾った自分は虚しい。自分だけの得がたい経験、葛藤の中で身についた読書の言葉、尊敬する人物からの啓示、関心領域を深掘りして得た知識と知恵――そうしたもので構築された自分。自分自身が信じる強い言葉を得たとき、人は初めて自分になりきる。自分という存在は、自分になりきることで完成される。

 

清貧の思想 中野孝次

清貧の思想 中野孝次

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