(後姿探検隊)
「川柳」12句を「川柳まつど」に投句。
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今日の収穫(外山滋比古)
- やがて人生の収穫期に達したとき、離れたように見えた石と石とが、おのずからつながって、「盤上にことごとくわが陣地なり」という終局を迎えることができる。これが、ライフワークである。
- ライフワークとは、それまでバラバラになっていた断片につながりを与えて、ある有機的統一にもたらしてゆくひとつの奇跡、個人の奇跡を行うことにほかならない。
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「名言との対話」8月16日。黒柳朝 「自分で育てた豊かなものは、尽きることなく増えていくはずです」
黒柳朝(くろやなぎ ちょう、1910年〈明治43年〉9月6日―2006年〈平成18年〉8月16日)は、日本の随筆家。愛称は〈チョッちゃん〉。享年95。
黒柳徹子の母として知られる。北海道滝川市に生まれ、仙台と北海道で育つ。上京して東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に入学したが、在学中にヴァイオリン奏者の黒柳守綱と結婚し、長女・徹子をはじめ4人の子どもをもうけた。夫の出征中には青森で行商を始め、シベリア抑留から帰国した後も行商を続けた。
長女・徹子の『窓ぎわのトットちゃん』がベストセラーになったことで母親として注目され、1982年に子育てをユーモラスに描いた『チョッちゃんが行くわよ』を刊行。こちらもベストセラーとなり、72歳で随筆家として本格的に活動を始めた。
自伝は1987年のNHK連続テレビ小説『チョッちゃん』のモデルとなり、1984年にはアニメ映画化もされた。2025年8月現在もBSで毎朝7時15分から再放送されており、私も毎日視聴している。
故郷・北海道滝川市には、長年収集してきた西洋の古美術品600点を展示する「チョッちゃん・アンティーク・コレクション」がある。また、市の花「コスモス」は黒柳朝の助言をきっかけに制定された。
黒柳朝を語るとき、娘・徹子の存在は欠かせない。そこで黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』をあらためて読んだ。戦後最大のベストセラーであり、挿絵はいわさきちひろが手がけている。作中には母・朝の素顔が随所に描かれている。
「ママのきれいな顔が少しまじめになって」「ママがあちこち駆けずり回って」「バスケットボールの選手だったママは」「ママはかなり辛抱づよい人間だから」「たいていの洋服はママの手製」「ママはとってもおかず上手」……
1984年、「いつも面白い母は、死ぬときも母らしく、前の日に私と話して、会話の最後は『じゃあね』で終わった。本当に、母が願っていた『寝ながら死ねたらね』という通りに……」。
本書の「あとがき」では、テレビ朝日の長寿番組『徹子の部屋』のチーフ・プロデューサーが、トットちゃんが尊敬する小林宗作先生を追っていたという偶然が語られている。
2022年9月6日午後の『徹子の部屋』を視聴していると、84歳の加山雄三と75歳の夫人が出演していた。数々の困難を共に乗り越えてきた夫妻の姿が、黒柳徹子のインタビューによって浮き彫りになり、とても良い番組だった。
黒柳朝のいう「自分で育てたもの」とは、愛情、勇気、情熱、想像力、好奇心などだろう。彼女は自分で自分を育てた人であり、そして彼女が育て上げた最高傑作こそ黒柳徹子なのである。