天職 の検索結果:

プレジデントオンライン、YAHOO!ニュースで『50歳からの人生戦略は「図」で考える』が3連発。

プレジデントオンラインで流れると、YAHOO!ニュースがそのまま取り上げてくれています。3連発で、『50歳からの人生戦略は「図」で考える』のアマゾンの順位も、20000台から、3000、1000、500と急上昇中。 18日。 19日。 20日。ランキング7位、 ----------------------------------------- 今週の課題は「インタビューのまとめ」。本日のメインテーマの「河野」さんの分がほぼ完成。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「名言との…

本日発売の『女性セブン』ーー『人生は「遅咲き」がちょうどいい』

…のさきがけとして一筋に邁進した小泉清子は「ビジネスは三寒四温ままならず」と詠んでいる。山あり谷ありの日々を連想させる。「平たんな道を歩いていたのでは アイデアは出ない」とし、詠んだ「凍りつく道歩みつつ創意湧く」は、仕事の面白さを語って余りある。 小泉清子の100年にわたる壮大な、そして直線的な生涯は、「女のくせに」への反発から始まり、「女だから」へと天職へ向かう。天命を意識した生涯だったといえるだろう。 夢我夢中―きもの一筋チャレンジ人生 作者:小泉 清子 メディア: 単行本

「大全」「日本の音」「研究者という職業」「デメケン」「天職」

…ーーーーーーーー 「天職」考。50ケース。 「名言との対話」11月4日、山崎達郎「何でもいいから『明日はよくなる』と思って、 必死に働いてごらんなさい。きっと、道は開けていくものですよ」|久恒 啓一|note 「名言との対話」7月16日。井植歳男「いま開発した商品が、一品も売れなくなる研究をせよ」|久恒 啓一|note ライフワーク(天職)(焼家直絵・WFP日本事務所代表) 「名言との対話」 7月11日。小松方正「死なない限り、俺は舞台に立つ。役者とはそういうもんなんだ」|久…

一都3県の緊急事態宣言の初日ーー午前は多摩で授業。午後は都心の出版社。

…能力の拡充」「転職と天職」「衰退と完成」「失敗の効力」「年齢考」、、、。版元の部長、編集者、ライター、私と4人で取材するという充実した2時間となりました。人生鳥瞰図の威力を再確認できた取材となりました。いい本になると思います。 京都の藤原先生から電話あり。『図解コミュニケーション全集』第1巻到着の御礼。 ーーーーーーーーーー 午前は今年最初の「立志人物伝」の授業。緊急事態宣言でリモートに移った受講生が多く出るが、授業の形態は何とか維持できました。 リレー講座の寺島学長「202…

今日の収穫ーー「人間は本物に出会わなければ本物にはなれない」「菅さんに ペーパーレスを 勧めたい」

…) ・ライフワーク(天職)(焼家直絵・WFP日本事務所代表) ・生物の特徴はその材料にあるのではなく、それを使ってより高度なものをつくり上げていく仕組みにあるといえるからで、その仕組みについては、ほとんど分かっていないからです。、、個と全体の両方を総合的に捉える必要があります。しかしも、その個と全体の相互作用に目を向けなければならないのです。(村上和雄) ・一番大事なことは、このこころに 花を咲かせること 小さい花でもいい 自分の花を咲かせて 仏さまの前に持っていくことだ(坂…

東京の自宅からZOOMで2時間のレクチャーーーメンバーは、神戸、大阪、奈良、長野、沖縄から。

…向かっていれば、いつか必ず、天職に出会うと思いますよ」など励まされる言葉が多い。さりげない指導を受けた弟子たちだけでなく、滋味豊かな仕事ぶり多くでファンから親しまれたのだろうことを想像する。私は1970年代後半に札幌で勤務したことがあり、すすきのにはよく繰り出していたのだが、残念ながらこの店は知らなかった。この人はまさしく一隅を照らした人だ。こういう人たちの存在で現在の日本が成り立っているのだと改めて感じ入った。 すすきのバーテンダー物語 作者:山崎 達郎 メディア: 単行本

中津2日目:「週刊現代」の取材。母を見舞う。

…んだ。 被爆者として天職を得たと感じた高橋は、今までやってきた「語り部」活動を思いっきりやることになった。1幕資料の整備、被爆者の証言テープの設置、などを行なっている。また、ローマ法王ヨハネパウロ2世、世界各国の大統領や首相、王室、デクエヤル国連事務総長夫妻、など訪れた人に説明を行っている。 高橋は1960年以降、毎年行われる8月6日の平和記念式典で広島市長が読み上げる「平和宣言」の作成作業にも関わっている。特に原爆資料館長の後に就いた広島平和文化センター事業部長として、「宣…

カルガモの親によるその子どもたちへの水泳指南に感動

…の履歴書」では、「自分がいなけりゃ」とうぬぼれを持ち、天職を全うするところに、大往生が遂げられる」と結んでいる。歳男の死後40年たって、リーマンショックを乗り切ることができずに、三洋は松下に吸収された。その原因の一つは、主力商品であったデジカメの単価下落だった。井植歳男の「いま開発した商品が、一品も売れなくなる研究をせよ」という遺訓は生かされなかったようである。企業がながく存在するということは難しいものだと改めて感じた。 私の履歴書―昭和の経営者群像〈9〉 メディア: 単行本

オンライン出版記念パーティを初体験ーーリアルなパーティよりも実がある。さらなる可能性も感じた。

…、病気になってからどうするかということだ。、、ひと通り経験したら、今度はそこから這い上がることを考えなければならない」「講演を成功させようとすると、痛みも感じないようになり、神経が仕事の方に向いていく」。病気は死ではない。「天職と思う役者稼業だけを一生懸命やろう。どんな仕事も断らない」。舞台に立つと思うとエネルギーが湧いてくる。それが小松方正の役者魂である。 小松方正 俺は元気な大病人―役者人生50年、笑って祈って闘って 作者:方正, 小松,侑里絵, 小松 メディア: 単行本

マスク会議。

…う戒めでもあった。 天職を全うするには人の信を得ることが最も大切である。人の信を得る最善の道は、自ら誠を似て実行することである。 商売の利潤というものは、追求するものではない。利潤は、その事業が社会に貢献することによって社会から与えられる報酬である。 50年の長い間には、自分の仕事のみすぼらしさと圧迫のはなはだしさに非憤の涙を絞ったこともあった。しかしそのつど、これが自分に与えられた天職だと自らに言い聞かせてきた。 ひ孫の現社長まで一貫して同族経営であり、その間、財界を中心に…

「蓋棺録」ーー梓みちよ。宍戸錠。小林庄一郎。藤田宣永。

…原は薬業とい製造業を天職に定めた。そして「営業は男子一生の仕事なり」の気概を持って、禁欲的職業倫理で勤勉に働いた。「上原正吉、この名をして財界の一勢力たらしめん」という高い志を胸に、小成に甘んじない姿勢で邁進していく。 上原正吉の特徴は、「考える」ところにあった。しつこく考える人であった。常識を疑う姿勢で、問題を根本から考えて、根気よく人に聞き、気がついた点をノートに記し、解決策をひねりだす。 問屋を通さない特約株主制度を創設する。小売りの薬店に100円の出資で株を所有しても…

けやき出版。日本地域社会研究所。ビストロ。

…が、文学のピラミッドをつくたことを思い出す。しかし彼の天職であった俳優も捨てたものではない。自分が演じた役柄の映像は同時代の人々の頭の中にしっかりと生きるだけではない。後世の人々もその演技を楽しむことができるから俳優という仕事はも人々の精神に影響を与える。とくにマストロヤンニのような名優は、人々の人生に深い影響を与えるのだ。 マストロヤンニ自伝―わが映画人生を語る 作者:マルチェロ マストロヤンニ 出版社/メーカー: 小学館 発売日: 2002/03/01 メディア: 単行本

リレー講座:白井さゆり先生「最近の世界経済情勢と日本経済の見通し」。

…になって、一生診てあげられる科であるかもしれません」という内藤にとって小児科医者は天職であった。 7番目の子どもであったこと、低体重児だったことから「寿七郎」と名ずけられた。その命名のとおり、101歳の天寿を授かった。育児の神様・内藤寿七郎は「40歳過ぎて、やっと小児科医の顔になれたのかな一」と述懐する。そして「育児の基本はまなかい(目と目を交わす)にある」とする。まなこ(眼)を交わすという意味だ。それは、教師にもいえることであり、人として生きていくうえでの大事な姿勢だろう。

リレー講座は、国谷裕子先生。テーマは「SDG' sが問いかけるもの」。

…じ時代を生きているのではないかと共感する。1000年前に書かれた源氏物語が今なお日本人の心を打つのは、人間の本質を描いており、同時代感覚を持てるからだろう。ドストエフスキーという巨人を発見し、生涯をかけて挑んだ江川卓は汲めども尽きぬ魅力を知り、それを伝える仕事を天職とした人だ。 ドストエフスキー (岩波新書) 作者: 江川卓 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1984/12/20 メディア: 新書 購入: 1人 クリック: 7回 この商品を含むブログ (24件) を見る

「日本は、政治家が5パーセント、政治屋が10パーセント、政治業者が85パーセント」

…い人が大半というのが臨床政治学の研究者・岡野加穂留の見立てである。建設業などと同様に、政治業という職業があり、彼らは業者だ。それを岡野はディーラーと呼んだ。取引業者である。トランプ米大統領の本質は「ディール」といわれるから、彼もディーラーとみることもできる。この政治業という職業にはうまみがあるから世襲が多くなる。近年言われる政治の劣化、政治家の劣化とは、日本国民の民度の反映でもある。政治業者とみたら現在の惨状がわかりやすい。高い志を持って、天職として政治を行ってほしいものだ。

午前:多摩で授業。午後:立川。荻窪の出版社。夜:代々木で知研東京セミナー「SNS」。ーーヒント、アイデア、新情報満載の日。

…あり、勇気がいる、と語っている。 「うまずたゆまず仕事をする以外にない」以外には、「あらゆる苦難の過去を一つ一つ大きな神の力で救われながら、私は毎日の仕事が愉快でならない」「絵はたまに描いたんでは駄目なんです。毎日頭から絞り出していないといけない。絵を描くには勇気がいるよ」。 73歳からは毎年温暖なハワイで冬を暮らしながら創作を続ける猪熊弦一郎自身の仕事に取り組む姿勢を示す言葉を拾ってみると、天職を楽しみながらかつ必死に仕事に没頭し、挑戦を続ける90年の勇気ある生涯がみえる。

ポッドキャスト番組収録。多摩大総研ミーティング。化学工業会からの講演依頼。知研の高橋副理事長。学長と面談。リレー講座は寺島学長「日本の経済・産業・社会構造の変化」。ジムでひと汗。

…。その結果、俳優業が天職と思えるようになった。この仕事は、一人でできる商売であり、心の自由を妨げられることがないことがよかったと自著『人生とは勇気』の中で語っている。 私もひいきにしていた 「週刊ブックレビュー」の司会者として、蔵書1万冊の読書家・児玉清は「無心で坐ること」を心掛けていたそうだ。作家らの相手にあわせて鳴る太鼓に徹して司会をするように心掛けていた。 そしてライフワークともなった「パネルクイズアタック25」の司会では、「クイズは人生と同じ」との感慨を持つようになっ…

「ココロの日」ーー空海(東京国立博物館)。林忠正(国立西洋美術館)。福沢一郎(国立近代美術館)。

…こそ、神と人に仕える天職である」と信じ、30歳で独立し白洋舍創業する。「人の好まぬ営業の方が自分には適するらしい。、、、当時は清掃業か洗濯業であった」。「神から与えれた聖業である。よし、この洗濯業に生涯を打ち込んでやっていこう」。ひとさまの垢を洗う仕事は、人がいやがる仕事だとして始めたのだが、それを聖業である境地にまで達している。 恩寵の木漏れ日 作者: 五十嵐健治 出版社/メーカー: 同信社 発売日: 2013/07/18 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを…

今日の収穫:日経夕刊の橋本治(作家)、飯島幸永(写真家)の言葉。

…。20代の7割以上が天職サイトに登録という状況、、」 ーーーーーーーーーーーーーー 今日の収穫。3月1日の日経夕刊から。 ・橋本治(作家)「救いを見つけるには、自分がやるべきだと信じることをやるしかない」(1月29日没、享年70) ・飯島幸永(写真家)「人間を撮り続けたい、内面がにじみだすような素顔が撮りたい」(友人の中沢義則編集委員のインタビューの文章) ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「名言との対話」3月1日。境豊作「私は一度死に、大きな失敗もした。恐れるものもないし…

多摩:授業。九段:戦略会議・運営会議。代々木:知研幹事会。

…ったそうだ。予想家としては通算4度パーフェクト予想を達成し、「競馬の神様」と呼ばれファンに親しまれた。「神さまに戒名なんか要らない」という家族の意向により、大川に戒名はつけられなかった。死の5日後の「生前最後の予想」も的中させている。 「後編でバテる分の少ない馬が勝つ」というなにやら人生訓めく言葉もある大川慶次郎は、事前に用意されていたとしか思えない「競馬」という天職を手にした。天職には就くことが大事なことであって、収支は関係ない。1億の損、それがどうした、ということだろう。

神保町周遊ーー25冊で1万2千円なり。

…画監督を辞めて自分が天職と考えてきた文学、言葉の世界に還ろうと思うと言う。映像はあいまいで相手の想像力にゆだねるものであり、小説では「わたし」自身を登場させることができるからだ。十歳の頃に名前を知った「アドルフ・ヘス」というナチス副総統(1941年にイギリスに亡命)を題材に虚実入り混じった小説『自己処刑 ルドルフ・ヘス』を10年近い歳月を費やして2019年夏に上梓するとのことだ。86歳で天職にたどりついたのだろう。 ーーーーーーーー 「名言との対話」12月9日。坂口謹一郎「酒…

大分県高等学校PTA連合会振興大会で講演。

…史を探究する学問をが天職となっていく。 歴史的事実の再現を試みるのが歴史学であり、細分化ではなく総体化、平面的ではなく立体化、抽象的ではなく実態的な歴史学を提唱する。構造図を脳裏に叩き込んで、その上で個々の実像の構築・復原に向かうことが重要とする方法論を駆使した。 また、日本の歴史は、日本国内に限って研究しようとす立場だけで完結はしないと主張し、東アジアの中の日本の、世界の中の日本という広い視点を大事にした。 江上波夫は、朝鮮海峡をわたってきた東北アジア系の騎馬民族の中心勢力…

リレー講座の講師は、柯 隆(東京財団政策研究所主席研究員)先生--中国の構造問題

…が人生である。自分の天職に全情熱を打ち込み、その仕事とともに生きる人は幸せであり、魅力のある人である。 ・私は、自分の人生(天職・事業経営)について、自分で脚本を書き、自分で演出し、自分の創った舞台で、思う存分に全情熱を傾倒し、そのなかに人間としての生きがいと、人間らしさを、自分でつかみとっていける人が、この世で一番幸せな人だと考えている。すなわち、自分の心に、しっかりした人生の羅針盤を持っている人間が、一番幸せな人だと思っている。 ・豚の命をいただいて我々は生活できているか…

中村憲吉旧居(尾道)--「岩かげの光る潮より風は吹き 幽(かす)かに聞けば新妻のこゑ」

…生命の泉わく」はこの時の経験から生まれた名言だ。浪越徳治郎は 「日本の復興は、まず国民の健康から」と志して、指圧という天職を発明した起業家である。「 一指万物を生ず!」との言葉どおり、国民の健康をつくった。私たちはその事跡の恩恵に今もあずかっている。 浪越徳治郎―おやゆび一代 (人間の記録) 作者: 浪越徳治郎 出版社/メーカー: 日本図書センター 発売日: 2001/01/25 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 117回 この商品を含むブログ (15件) を見る

「邪馬台」の「読書悠々⑲」-- 平成に亡くなった女性編「高野悦子」「石牟礼道子」 「夏樹静子」「須賀敦子」「大橋鎮子」「 朝倉摂」

…れている言葉である。天職を意識した瞬間である。 高野悦子は2013年の2月9日に亡くなっているが、「岩波ホールと『映画の仲間』」(岩波書店)の発行日は2月27日である。そして「あとがき」は2013年1月である。大腸がんにおかされて余命わずかの日々に、この分厚い本を最後まで書き終えたのである。この本の幕があがった1968年の最初のページと、そして「あとがき」にもホール開きの日の野上弥生子の「小さなホール」という講演のなかの言葉が紹介されている。「この小さなホールを、可愛い小さい…

「週刊朝日」(9月11日発売)の「引き際の言葉特集」でコメント。

…金でも地位でもない。天職に就いているという気持ちで、元気に働いている満足感である」 「人生は出会い、必要な出会いは遅くもなく早くもなく到来すると説かれ、人物に学べ、加えて伝記を通じて古今東西の人物に学べ」 「諸君が不正を行えば、枕元に化けて出て叱責する」(松下政経塾にて) 著書では、福沢諭吉、 松永安左ヱ門、鈴木三郎助、石橋正二郎、小林一三、奥村綱雄、大久保利通、池田成彬、鮎川義介、森恪、、、などの伝記・評伝を多く書いている。1990年、第2回安岡正篤賞を受賞。 1983年に…

準備していると考えがまとまってくる。情報交換が次の行動を促してくれる。対話しているとアイデアが浮かんでくる。

…ム開発者であることが天職だと信じていたが、会社の経営を任され、開発チームのマネジメントと会社の経営には多くの共通点があることがわかり、経営も天職だと思うようになった。「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。心はゲーマーです」と語っている岩田社長は、驚きを提供するのだから、お客様の要望を聞くことは無駄になるとの考えだった。いわゆるマーケはティングは不要であるということになる。 2015年現在の調査では、日本のゲーム人口は全体の人数は4336万人、スマホ・…

インターゼミ(社会工学研究会):研究計画発表会を開催。

…なってしまう。人間の天職は人間であることであり、人間ひとすじに生きている場合は、人間という思想を持っているから、生涯、現役なのだ。 ・自分の一生は一番よかったと、自分で思えるように、毎日を人間らしく精一杯生きていきたい。 ・芸能の中で最高のものが落語。能や歌舞伎は権力の側についている太鼓持ち的な芸。 6歳、小学2年生のときに『古事記』を読んで、「いつか新古事記をかいてやる」と決意する。それから50年間、材料をあたため、55歳で夫が亡くなった後、56歳から書き出す。それが『橋の…

教授会。T-Studioで石川先生と収録。東京で人物館2館。日本興業倶楽部で寺島講演。

…、若き日の旧友の眼に耐えられない人生は空しい」 筆者や作家の粕谷像は「賢者の風格。叡智の言葉。良き書生。編集者が死ぬと時代が変わる」などである。名編集者・粕谷一希の人物が匂うようだ。 「頭は使えば使うほど良くなる」は夫人が観察した粕谷の口癖である。「日本が知的になるには、本を大事にするということから始めなければならない」、そのことが日本人を知的にすると信じていた。粕谷一希は、編集という天職を全うする中で、優れた人物との交流を続けながら、自らの生きた「時代」と格闘したのである。

新著の前書き。

…挨拶した。2012年5月29日、老衰のため東京都港区の自宅で亡くなった]。満100歳であった。 「自分は世界で唯一の貴重な存在なんだと考えることが大切なんです」という新藤は「私の財産は、挫折なんです」というほど挫折が多かったが、それを財産として成長を遂げた。新藤は、映画人という天職に70年以上の期間を費やした。それは自己発見と自分づくりの100年におよぶ仕事人生であったのだ。「人は死んでしまうが、死なない人もいるのだ」。残した作品には永遠の命があり、新藤兼人は死んではいない。