「神道一匙 儒仏半匙ずつ」

先日亡くなった河合隼雄先生(京都大学名誉教授・文化庁長官)の本をぱらぱらと眺めていたら、いい言葉に出会った。

河合はユング研究で有名な心理学の大家で臨床心理という分野の開拓者であるから、本の中に心理学用語がよくでてくる。また仏教についても造詣が深く仏教用語も用いながら多くの読者に「癒し」を与えてきた。近年の著作をみると日本及び日本人自体の探求に関心が深くなって、思想界、仏教界の人々と対談をすることが多かったように思う。

新渡戸稲造の「武士道」では日本を説明するのに神道仏教儒教をあげ、神道からは忍耐心、仏教からは慈悲心、儒教からは道徳心を学んだとしていて、納得した覚えがある。

冒頭に書いた河合隼雄の本を読んでいて見つけたのは、「神道一匙 儒仏半匙ずつ」という言葉である。日本の本質を簡潔に、そして見事に表した名言であると思う。先の新渡戸稲造の日本の説明は三つの要素で成り立っているということだが、その三要素の割合をこの言葉は示している。神社を象徴とした神道を基盤に一匙(さじ)、お寺を中心とする仏教と孔孟の教えである儒教儒学という中国からの外来思想を半分ずつ(半さじ)まぶして、わが日本が出来上がっているという説明である。

この言葉は河合の発明ではない。江戸時代の二宮尊徳(1787−1856年)の残した説明だそうだ。
子供の頃、薪を背負いながら本を読む姿を本でよくみたし、先生から何度も二宮金次郎の逸話を聞いた記憶がある。最近では小学校の校舎に二宮金次郎銅像を見ることはなくなったが、秋田県横手市で山下太郎記念館のそばの小学校で久しぶりに見たことを思い出した。

尊徳は相模国足柄(神奈川県小田原市)の豊かな農家に生まれたが、父母を亡くし親戚に預けられるが24歳で一家を再興。その後、小田原藩家老服部家の家政を再建。藩主大久保忠真から命じられた分家宇津家の桜町領(栃木県二宮町)の財政再建では、開墾と水利事業を行い税収を倍増させる。その評判を聞いた600以上の大名旗本家の財政再建と農村の復興事業を推進した。尊徳の唱えた「勤倹・分度・推譲」の思想は戦前の日本の模範、倫理観となった。

子供の頃は偉い人とは思っていたが、二宮金次郎という名前は勉強と結びついていたため、敬遠していた。こうやって久しぶりにその一生を概観する機会を得てよかった。小田原には記念館があるから、ここも訪ねたい。