豊かさとは自由の拡大である――カネ・ヒマ・カラダ、そしてココロ

参院選民主党大敗。政治の混迷は当分続きます。自らの目の前の仕事に取り組むなかで未来を創っていくことが大事です。
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「生産性新聞」に連載を始めました。テーマは「タイムマネジメント力」です。

第1回 豊かさとは自由の拡大である――カネ・ヒマ・カラダ、そしてココロ
                       
 どのような社会であれ、共通の目標となりうるのは「豊かな暮らし」ではないだろうか。個人にとってもそれを目標に据えるのに異論はでないだろう。しかし問題は、豊かさとは何かということである。よく言われるのは、物質的豊かさと精神的豊かさという比較で、モノは豊かになったがココロは貧しくなったという議論だ。これもわかるのだが何か腑に落ちない感じがある。余暇こそが豊かさの中身であるという主張にも違和感を覚える。
 そこで、豊かさとは「自由」の拡大であると考えてみたい。すぐに思いつくのは「経済的自由」である。経済的に自由であるということは、使いきれないほどのお金があるということではないだろう。何かしたい、買いたいと思った時、例えばオペラを見たいとき、お金がかかるからという理由で止めないで済むという程度にお金があるということだ。それで十分だ。
 次にくるのは「時間的自由」である。「毎日が日曜日」であると自由は感じないらしい。何かしたいと思いたった時に、やらなければならないことがあってやれないという状態では時間的自由があるとはいえない。天気がよくてゴルフをやりたいと思いたってすぐにできるなら、時間的自由があると言えるだろう。
 この経済的自由と時間的自由は、日常はあまり意識に上ってはこないが、「肉体的自由」によって支えられている。健康は豊かさの基礎的条件だ。経済的自由を「カネ」、時間的自由を「ヒマ」、肉体的自由を「カラダ」と言い換えると、経済と時間と健康、つまりカネとヒマとカラダが豊かさを示す指標となる。
 ここで疑問が湧いてくる。そういった指標は、実は豊かさを支える部分ではないだろうか。カネやヒマやカラダの自由で何をするのか。ここで「精神的自由」が出てくる。この自由は、やりたくない仕事をやらなくてよい自由、嫌な奴に会わない自由、やりたいことをやる自由、言いたいことを言う自由というように考えてみたらどうだろうか。いわば「ココロ」の自由である。
 豊かさとは、肉体的自由(カラダ)を土台に、経済的自由(カネ)と時間的自由(ヒマ)を得て、最終的に精神的自由(ココロ)を得ることと考えたい。
 「カネがあるときゃヒマがない、ヒマがあるときゃカネがない」という言葉があるように、経済的自由を得るためには、時間的自由や精神的自由を犠牲にしなければならないこともある。リッチという英語を貧しい時代の日本人は「金持ち」と訳した。しかし金を使う暇のない人をリッチとは言わないのだそうだ。
 豊かになるということは、自由が拡大するということである。今後訪れるであろうチャンスやピンチを迎えるとき、「豊かさとは自由の拡大である」という指針を念頭に、自分なりのバランス感覚で、現在と未来の自分をデザインしてはいかがだろうか。