DVDで「閉鎖病棟」をみた。山本周五郎賞を受賞した帚木蓬生のベストセラー小説「閉鎖病棟」を、「愛を乞うひと」の平山秀幸監督・脚本が映画化した作品。
山本周五郎は、一切の文学賞を拒否した作家である。死後20年ほど経った1988年に、新潮社が三島由紀夫賞と同時に制定したのが山本周五郎賞だ。
精神科病院で起きた殺人事件をきっかけに、患者たちの思いが交錯する。『ディア・ドクター』『おとうと』などの笑福亭鶴瓶が主演を務め、『日本で一番悪い奴ら』などの綾野剛、『さよならくちびる』などの小松菜奈らが共演している。『愛を乞うひと』などの平山秀幸監督が原作にほれ込み、自ら脚本を務めた作品。主演の鶴瓶の演技が秀逸だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「一日一冊の読書術」
「名言との対話」を書くために、9月に読むべき本を、少しづつ読んでいる。リビングのソファ横のテーブル、トイレの棚、風呂場が私の読書空間になっている。テーブルとトイレには5冊ほどの本を常時積んである。夕刻にはテレビをみながら本をめくっていく。トイレでも前の日の続きを読み進める。そして風呂では、1冊の自伝などに線を引きながら読み終える。こういう読書は、書くための読み方だ。書くに値するフレーズや心に響く箇所をマークしていく。
そういった準備のもとで、毎朝の時間は、その日が命日の一人の人物と正面から向き合う時間となる。どういい生き方をして、その人から何を学ぶか。その時間は、私にとっては至福のときである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
学んだことを生活と人生に生かしていくこと、それが「道」である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」8月25日。朝比奈宗源「雑念や妄想はなくならない。なくならないものをなくそうとするからまたひとつ煩悩になる」
朝比奈 宗源(あさひな そうげん、1891年(明治24年)1月9日 - 1979年(昭和54年)8月25日)は、臨済宗の禅僧。
京都妙心寺などで修行し、鎌倉浄智寺住持をへて、1942年円覚寺貫主となり。1945年には円覚寺派管長となる。1963年賀川豊彦、尾崎行雄らと世界連邦日本仏教徒協議会を結成し会長となった。1979年、88歳で死去。
朝比奈源と向き合うことになり、 中国の偉大な禅者・臨済の言行録である有名な『臨済録』を現代語で読める機会が巡ってきた。
臨済は臨済宗の祖。866年の没年だけがわかっている。黄檗希運の法を継ぎ、参禅修行者には厳しい喝(かーつ!)を与える臨済宗は中国禅宗のなかで最も栄えた。
朝比奈は『臨済録』で、まず、この語録は「教外別伝、不立文字を本領とする禅者の語録である」とし、「いかなる文字言句も、月をさす指であり、門を叩く瓦である」と、朝比奈はこの本に掲げた「現代語訳について」で述べている。
教外別伝とは、仏陀の教えは、言葉によって伝達された場合もあったが、仏教の真の精髄は言葉によって表現しうるものではないので、心から心へと直接伝達されるとする考え方だ。不立文字とは、経論の文字によらないで、師の心から弟子の心へと、直接に悟りの内容を伝えてゆく伝法の方法だ。いずれも禅宗独特の用語である。
その上で、臨済は弟子たちに何を語ったか。その語録が『臨済録』である。弟子たちは執拗に「仏法のぎりぎり肝要のところは何か」と問う。師は一喝する。その繰り返しの中で、師は本質を述べていく。
・信に徹しきれない者はいつまでたっても埒のあく日はあるまい。
・自己の一念一念が本来清浄であると悟れば、それがお前たちの法身仏そのものだ。
・どんな場合でも自己がはっきりしていれば、外境にいかなる変化が起こっても振り回されることはない。
・仏と魔とは、一心の悟りと迷いの両面である。
・たった今、ここで自己が本来仏であり、他に求むべき何ものも無いことを見てとれ。
・今、仏道を学ぼうとする人たちは、まずなによりも自らを信じなくてはならない。
・大器の人であれば、なによりも自己の尊さを信じて、他に惑わされないことが大切だ。随処に主となることができればその場その場がみな真実である。
・生と死とは一如であって対立するものではない。
・死骸のような文字や言句を担いで天下に走りまわり、みずからの邪見に妨げられて心の自由を失っている。
要するに、先人や文字に真実を求めることなく、仏そのものである自らを信じ迷いなく、随処に主となり、日常生活を送れ、ということを繰り返し言っているのである。
そして朝比奈宗源は、雑念や妄想、煩悩には実体はないのだから、見るもの聞くもの、みな仏性であることを悟って、生活をすれば仏になることができると語っている。外界の人や書物や言葉に惑わされず、毎日を清浄な心をもって生活せよ、そう理解しよう。