「座右の銘」コレクションーー「座右の銘とは己を戒めるためのものだ」

ここ数年、私が触れた「座右の銘」を記してみます。

座右の銘は己を戒めるためのものだ」(二上達也)は当たっていると思います。集めた座右の銘コレクションはまだまだ在庫があるので、まとめてみたいと思います。

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橋本龍太郎「誠」と「初心忘るべからず」。喜屋武真栄「機を見るに敏であれ」。小嶋淳司「活人」。中松義郎「撰難楽」(愚か者は楽な道を、天才は困難な道を選ぶという意味)。花登「泣くは一生 笑うは修行 勝つは根性」。豊田章一郎「誠実は美鋼を生む」。五社英雄「花の嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生さ」。紀平悌子「人の価値は棺を覆いて後分かる」。河上丈太郎「無為にして化す」。中村その子「あわてず、さわがず、たじろがず」。角川源義「一念一植」。」樋口久子常心」。童門冬二「起承転々」。杉原千畝自治三訣」(人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」。室生犀星「われ張りつめた氷を愛す、かかる切なき思いを愛す、われその虹のごとく輝けるを見たり、かかる花にあらざる花を愛す、われ氷の奥にあるものに同感す、その剣のごときもののなかにある熱情を感ず、われはつねに狭小なる人生に住めり、その人生の荒涼のなかに呻吟せり、さればこそ張りつめたる氷を愛す、かかる切なき思いを愛す」。 ルドルフ・ディーゼル「偉人は自分一人のためでなく、多くの人々のために、この世に生を受けたのである」。玉木文之進小沢一郎・愛知揆一鈴木俊一細谷英二「百術は一誠に如かず」。赤松重明「縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ」。山本周五郎「苦しみつつ働け、苦しみつつなほ働け、安住を求めるな。この世は巡礼である」。高橋久子「明けない夜はない」。宇野収「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」。吉野彰「みのるほどこうべを垂れる稲穂かな」。永井豪「常に未来に向かっていきたい」。五十嵐喜芳今からでも遅くない」。文鮮明「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」。翁長雄志「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」。蟹江ぎん「日々是好日」。金日成の父「志遠」。下村治「思い邪なし」。丸谷金保「慌てず、焦らず、諦めず」。田沼武能「おれの真似をしていても、おれ以上にうまくはならない」。斎藤仁「剛毅朴訥」永井豪「常に未来に向かっていきたい」。樋口裕一すべての道がローマに通じるのなら、ドンキホーテよ、デタラメに行け」。白井義男「人生は勝負」。江上波夫「常にそのことを考えているので」。利光松男「引き返す勇気を持て」。三遊亭圓楽(5代目)「得意平然 失意泰然」。吉田直哉良い問いは、答えより重要だ」。高野悦子「すべての女性運動は平和運動をもって帰結する」。上甲正典夢が叶うまで挑戦」。山際寿一「ゴリラのように泰然自若」。梅澤佳子「しなやかに」。両角良彦「行動人として思索し、思索人として行動せよ」。大橋巨泉「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」。橋本龍太郎「誠」。田淵節也「美点凝視」。石川晴子「一期一会」。山本直純「名馬ムチいらず」。宿沢広朗「努力は運を支配する」。平岩外四「タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きている資格がない」。小林英夫 精一杯 やってだめなら 仕方がない」。越後正一「成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る」。伊沢拓司「無知であることは恥ずかしくない。無知に甘えることこそが恥ずかしいのだ」。金子兜太「荒凡夫」。柏戸前進」。 山本周五郎苦しみ働け、常に苦しみつつ、常に希望を抱け。永住の地を望むな。此世は巡礼である」。壺井栄「桃栗3年 柿八年 柚の大馬鹿18年」。金田一春彦「春風秋雨是人生」。小林正樹「1。ふかくこの生を愛すべし 1.かへりみて己を知るべし 1.学芸を以て性を養うべし 1.日日新面目あるべし」。広田弘毅「物来順応」。勝海舟「気は長く、勤めは堅く、色うすく」。小泉純一郎「省事に如かず」。田淵節也「美点凝視」。奥村土牛「絵のことは一時間でも忘れては駄目だ」。吉川英治「吾以外皆師」。古橋広之進「泳心一路」。黒田博樹雪に耐えて梅花麗し」 。松井秀喜「心が変われば態度が変わる。態度が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」。吉岡弥生「至誠一貫」。大久保利通「為政清明」。司馬遼太郎無邪」。根津嘉一郎「天物尊重」

山崎豊子「努力する限り、人間は迷うだろう」。マッカーサー「青春の詩」田中角栄「石の上にも3年」。大平正芳「一利を興すは一害を除くにしかず」。臼井吉見「滾々汨々」(こんこんいついつ)。湯川秀樹「一日を生きることは、一歩進むことでありたい」。椎名悦三郎「省事」。北里柴三郎「終始一貫」。吉川英治「吾以外皆師」。水木しげる「楽をして、ぐうたらに生きる」。城山三郎「静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く」。岩田公雄「生涯一記者」。中川一郎「真実一路」。林望「人が後世に残るやうな立派な仕事をする場合、神様は決して世間的な幸福や順境をその人には与えないのである」。河井継之助「一忍を以って百勇を支う可く 一静を以って百動を制す可し」。山川静夫知に依りて、識に依らず」。塩川正十郎「進むは他人に任せ、退くは自分で決めよ」。藤原敏行「世の中に、種まかずして 物の生えし例し無し 種撒きてこそ、遂に運や開けん」。青木功「体技心」。岸本忠三「継続が創造を生む」。桜井よし子「行ずれば、証、その裡に在り 行ざれば、証、得ることなし」。時実新子「太郎を呼べば太郎がくる」。半藤一利「鐘は一つだが、音はどうとも聞かれる」。木津川計「劫所よりつくりいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」。林望「不諦」。内館牧子「人生、出たとこ勝負」。木原明(たたら職人)「誠実は美鋼を生む」。布施辰治 「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」。西郷隆盛敬天愛人

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「名言との対話」8月26日。武村正義「質実国家」

武村 正義(たけむら まさよし、1934年昭和9年)8月26日 - )は、日本政治家

滋賀県八日市高等学校では日本民主青年同盟。新聞部の部長時代に無期謹慎の処分を受けた。生徒会長に立候補し、吉田内閣の逆コースと再軍備施策を批判。名古屋大学工学部機械工学科に1浪の末に合格。東京大学教育学部の3年生に編入学。卒業後、東京大学新聞研究所を経て経済学部に学士入学し卒業。国家公務員上級試験に合格後、27歳で自治省に入省。面接官は後藤田正治。西ドイツに留学。

1970年退官。郷里の八日市市長に当選。30代の若い市長。1期中ばで滋賀県知事選で当選。破産状態の財政を再建する。琵琶湖条例。二期、三期は無投票当選。

1986年衆議院議員選挙で初当選。1988年、鳩山由紀夫石破茂らと政策勉強会「ユートピア政治研究会」を発足。1993年「新党さきがけ」を結党し党代表。同年の衆議院議員総選挙では「新党ブーム」に乗って13議席を獲得し躍進。細川護煕日本新党と院内統一会派「さきがけ日本新党」を結成し共同代表。細川を首班とする非自民・非共産連立政権である細川内閣が誕生。武村は内閣官房長官に就任。1994年村山富市を首班とする自社さ連立内閣を成立させ、大蔵大臣に就任。1996年鳩山、菅直人らが新党さきがけを離党し、民主党を結成する。武村は「排除の論理」で参加を拒否される。2001年政界を引退。

こうやって眺めると、「ムーミンパパ」と呼ばれた温かい雰囲気の見かけとは違って、血の気の多い人だったという印象だ。細川非自民政権で、政府仕切る武村官房長官と寄せ集めの党を代表すう小沢代表幹事のさや当ては私の記憶にもある。

武村正義田中秀征『さきがけの志』(東洋経済新報社)を読んだ。

同志の田中秀遠征によれが、「逃げない人」「泥をかぶろうとする人」「真綿で包んだ水晶のような日地」「鳥瞰型でなく虫瞰型政治家」という高い評価を与えている。

「さきがけ」の武村正義は、どういう志を持っていたのだろうか。

「理想を掲げた現実主義者でありたい」と言い、日本国憲法は一番求められている理念を高々とうたいあげている、尊憲、政治的軍事大的大国を目指さないという決意が大事と憲法を語っている。琵琶湖の赤潮が原点で、環境に関心を持ち、地球環境問題へと関心がひろがっていく。琵琶湖から憲法もみるという姿勢であった。

「さきがけ」結党時の理念では、天皇制を皇室という温かみがある言葉に変えている。現在では日本人は皇室という言葉で国を考えているようになった。慧眼である。

35年前の時点で、武村はこれからのリーディング産業は「情報通信、環境、福祉・医療」をあげている。社会保障費は1995年時点で60兆円、30年後の2025年には370兆円。負担の限度を超えていると、予測している。

「一定の合意を実現するか。これが本当の政権を担う側の責任ある政治の姿です」と非自民の細川、村山政権で、官房長官、蔵相をつとめた経験を語っている。

武村は日本の理想像を「質実国家」という。質の高い実のある国家という意味だ。石橋湛山小日本主義を主張し、「一切を棄つるの覚悟」では、「我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていること、志の小さいことだ」と断じた。湛山の弟子・宇都宮徳馬に師事した田中秀征は、「質日本主義」と言い、佐高信は、「良日本主義」と呼んでいる。 小日本主義、質日本主義、良日本主義と、どのように呼ぼうと、石橋湛山宇都宮徳馬田中秀征と続くリベラルの流れは確かにある。武村は「小さくともキラリと光る国」と表現し、新党さきがけの党スローガンに「質実国家」を挙げている。武村はそれを質実国家と呼んだのである。

21世紀に入って、急速に経済大国の地位から滑り落ちようとしている日本にとって、「質実国家」という理念は貴重な遺産という気がする。小さな志ではなく、実は大きな志なのではないだろうか。