「図解塾」第5期ーー「梅棹文明学」の図解化に挑戦します。

「図解塾」第5期の2回目。今期のテーマは「梅棹文明学」の図解化です。

手描きの図解をパワポイントで清書しながら、学ぶという仕掛けです。

本日は8枚の図解を解説と作業分担を決めました。

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以下、塾生の学びから。

  • 久恒先生、梅棹先生プロジェクトが始動し始めたことを肌で感じる授業でした。今回図解を進める情報の文明学の概要の説明をお伺いし、一番印象に残っているのは、このような視点を60年前にすでに形にしておられたということになんだか預言書を読み解いているような錯覚を覚え、梅棹先生の先見の明に関心するばかりです。久恒先生が手書きで図解されたエッセンスを補足を踏まえて学ばせていただくことで、書籍から読み取りとは異なるスピードで骨格をつかむことができたと思います。見直す中で図が進化していく実例もお示しいただき、このプロジェクトの成果物がどのようになっていくのかとても楽しみに思います。次回もよろしくお願いします。
  • 本日もありがとうございました。世界を知る力の説明は、動画をみて図メモを取るに挑戦してみましたが、どうしても箇条書きの文章になってしまいます。問題提起があって構造的に話てくださるので、理解しやすい。というのは腑に落ちました。5期の梅棹忠夫文明学のお話では、分厚い本をここで講義していただけて、先生の手書きの図を清書の図におこすことで理解がまし、自分なりに考えられるよう学んでいきたいと思います。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、図解塾のみなさん、本日もありがとうございました。
    梅棹先生のプロジェクトがいよいよスタート!久恒先生が作成した「手書きの図解」を使って著作集のご説明がありました。私は実際に著作集を読んだことがありませんが、図解を通して概要を学ぶことができました。また、手書きの図解からパワーポイントの図解に進んで、さらにそこに説明を書き加えるという流れを拝見し、「ただ単に本を読む」ではない、本から情報を取りだすことの面白さ、「読書術(?)」を学ぶことができ、ワクワクしました。梅棹先生の本は難しい本だと思いますが、まずは久恒先生の図解をなぞることから触れていき、できればこのプロジェクトが終わるまでにいずれか1冊を拾い読みしたいです。そのためにも、パワーポイントの作成がんばってみます。よろしくお願いいたします。
  • 本日も図解塾、ありがとうございました。いよいよ梅棹忠夫先生の著作集の図解という新しいシリーズが始まりました。今日は「情報の文明学」の初めの7ページでしたが、60年もの時を経てもなおその価値を失わず、先見性とオリジナリティのすばらしさを実感しながら説明を聞いておりました。「体験情報産業」というキーワードは非常に新鮮でした。また、外胚葉・中胚葉・内胚葉という動物の発生の用語も社会の進歩を考えるのに応用され、梅棹先生の発想の豊かさには驚くばかりでした。最後の2期の編集作業が着々と進んでいるのを拝見し、ご努力に頭が下がると同時にあせりを感じております。
  • 久恒先生、みなさま、図解塾ありがとうございました。今回から梅棹忠雄先生の『情報と文明』を図解にしていくプロジェクトが本格始動となり、まずは、久恒先生からすでにパワポで完成している図解2枚と手書きのもの5枚の内容の解説を頂きました。「情報産業」の定義やルーツ、産業の発達史の観点からの情報産業の位置づけ、などがありましたが、生物学の視点も交えて語られていて大変面白く聴きました。また特に興味深かったのは、情報産業を「体験情報産業」との括りで語られているところ。ここでは、観光、スポーツ、レクリエーション、音楽など日常生活の中で体験するもの、消費者として関わるもののほとんどは「体験情報産業」であること、したがって家計簿も情報産業の視点から再編成すべき、という提言まであって、梅棹先生の発想の面白さを感じました。手書きの図解をパワポにする宿題は、④「精神産業時代」の部分を担当することになりました。塾生各自が分担してパワポを作成し、毎回持ち寄ることになっていて、完成品として仕上がっていく過程を見るのも楽しみです。図解しながら梅棹先生の著作に触れられる貴重な機会で大変有難く思います。引き続きよろしくお願い致します。
  • みなさま本日もありがとうございました。「情報の文明」図解化プロジェクトがいよいよ始動。梅棹先生の時代を俯瞰する眼と、久恒先生の図で書き表したわかりやすさの融合を見ることができました。次回の期限までパワポに書き上げる、と言うよりは、早めにまとめてアップデートを重ねていいものを作りたいと考えています。何よりも、60年前の膨大な著作の、おそらく今回の5枚の図だけでもかなりの分量あったであろう情報を、2時間ほどの講義で納得と共に吸収することができたのが大きな収穫でした。また次回もよろしくお願いいたします。
     

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「名言との対話」4月20日ジョアン・ミロ「肉体的にも創作意欲の面でもこれまで以上です。仕事をしたくてたまりません。制作のない人生なんて考えられない(80歳の誕生日)」

ジョアン・ミロカタルーニャ語: Joan Miró i Ferrà [ʒuˈan miˈɾo i fəˈra]、ジュアン・ミロー・イ・ファラー, 1893年4月20日 - 1983年12月25日)は、20世紀スペイン画家

ピカソと並び20世紀を代表するアーチストの一人。ミロは若年の頃から浮世絵や陶芸などの日本の芸術作品に刺激を受けており、生涯で二度来日している。日本への紹介は詩人の滝口修造である。1940年に世界に先駆けてミロについての単行本を刊行している。

2022年3月。渋谷:東急Bunkamuraで「ミロ展-日本を夢見て」をみた。若き日の日本への憧れを象徴する初期作品から代表作、そして日本で初めて展示されたミロ作品を通し、画家と日本との関係に迫る展覧会。約130点の作品と資料でミロを読み解こうとする意欲的な企画展だった。

二度の来日時には、日本民芸館で柳宗悦らとあったり、生け花草月流の創始者・勅使河原風、滝口修造大鵬らと会って、日本理解を深めている。岡倉天心茶の本」のカタルーニャ語版。俳句のアンソロジー。書道全集。埴輪の写真集。古陶磁の本。これらはミロの蔵書にあった。浮世絵、仙厓についても関心を持っていた。

展覧会で購入した「図録」を読み込んで、ミロはスペインのカタルーニャの人だったことに気がついた。ミロは滝口に対して「これからはホアンでなく、カタルーニャ風にジョアンと呼んで欲しい」と念を押している。スペイン人ではなく、カタルーニャ人としてのアイデンティティーを持っていたのである。イギリスのスコットランド、日本の沖縄と並んで、民族紛争の火種があるところだ。

以下、ミロの日本についての発言を年代順に追ってみる。

25歳「1枚の草の葉には、1本の木や、山と同じだけの魅力がある。原始の人々や日本人のほかは、ほとんど誰もが、これほど神聖なことを見過ごしている」

31歳「北斎は、ただ1本の先や1つの点に生気を与えたいと言った。絵画、書道、陶芸といった日本の伝統の豊かさは、実にさらなる表現手法の可能性を提示した」

43歳「私は今、フランス語で私を書いている。いやむしろ、詩文が付随する造形的な構想とともに、私が練り上げた詩的な文章を書いているというべきか。日本や中国の先人たち、偉大なる精神家たちがそうしたように」

47歳「リトグラフのインクと日本の筆で自動ドローイングをすること。私が常々心に留めておかねばならない日本の墨絵のようなドローイングを得ること」

59歳「直接心を打つ日本のあの素晴らしい書画、貴国の芸術の巨匠たちが歌っている素敵な雰囲気に対し私の心からの賛美をお伝えすることをうれしく思います」

68歳「日本の弓道かどうやって勝負に備えるかご存知ですか?まず自分を正しい状態にするために、息を吐いて、吸ってまた吐いて。私も同じです」

73歳「私は1粒の石や一滴の水、一握の土にさえ応えようとする日本人の感性、すなわち取るに足らないようなものに彼らがが注ぐ愛情に感銘を受けている。そうした感性こそ、私が若い頃からフランス語やスペイン語で読んできた日本の詩集や本を通じて感じ取ってきたものである。私の熱狂は、特に「茶の本」によって覚醒されたと言っていい」

77歳「日本の書家たちの仕事に夢中になったし、確実に私の制作方法に影響を与えています。以前にも増してトランス状態で仕事をするようになり、ここ最近はほとんど常にそうなんです。私の絵画はますます身振り的になっていると思います」

そして、80歳の誕生日を迎えたミロは「肉体的にも創作意欲の面でもこれまで以上です。仕事をしたくてたまりません。制作のない人生なんて考えられない」と語っている。それから10年後、90歳で上り坂のうちに生涯を閉じたのである。

 

図録『ミロ展 日本を夢見て』

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