石原慎太郎『天才』ーー田中角栄論。『安倍晋三回顧録』ーーインタビュー構成。

後姿探検隊。


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石原慎太郎『天才』をオーディオブックで聴き終わった。政敵・石原慎太郎が、田中角栄を主人公にして書いた宰相論。

 

安倍晋三回顧録』を読了。戦後第一級の総理回顧録。「コメントは差し控える」ことにしよう。

 

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「名言との対話」4月11日。中谷宇吉郎「雪は天から送られた手紙である」

中谷 宇吉郎(なかや うきちろう、1900年(明治33年)7月4日 - 1962年(昭和37年)4月11日)は、日本物理学者随筆家位階正三位勲等勲一等学位理学博士北海道帝国大学理学部教授北海道大学理学部教授などを歴任した。

東大で22歳上の寺田寅彦(1878−1935年)に師事する。23歳、理論物理学から実験物理学に進路を変更する。二人の関係は、寺田が師と仰いだ夏目漱石との関係に似ている。寺田の名言「天災を忘れた頃にやってくる」は人口に膾炙している。そして「科学で大切なことは役に立つことだ」との寺田寅彦の教えにしたがって、問題解決型の研究に従事した一生だった。「一見迂遠な様に見えても、実際は案外早道であるというのが、本当の基礎研究であります」とも言っている。

東大卒業後は、理化学研究所で寺田の助手になり、火花の研究を行う。28歳でロンドン大学キングスカレッジに留学するが、この時、学問を楽しむこととと実際的であることを学んだ。留学後は、北大で師の教え「風土に根ざした研究」を志す。30歳北大助教授。31歳京大から博士号。32歳北大教授の中谷は、さまざまな研究所に関与している。北大常時低温研究所。北大低温科学研究所。ニセコアンヌプリ山頂着氷観測所。農業物理研究所。雪氷永久凍土研究所。運輸省技術研究所。

36歳で世界初の人工雪を製造した。雪は上層で中心のコアができて、それが重力で落ちてきながら次第に低層の気象条件の影響を受けて外へ成長する。雪の結晶は実に美しい。そして気象条件によってあらゆるタイプの結晶が生まれる。宝石のよう。さまざまな形。蝶々。水晶のよう。おとぎの国の宝物のよう、、、。この神秘の解明に中谷は魅せられたのだろう。
十勝岳グリーンランドニセコアンヌプリ大雪山、ハワイ島マウナロア山頂、北極海、アラスカ、など寒冷地が仕事場だった。

36歳の時に体調を崩し暖かい伊豆で2年間の療養生活を送っている。主治医は武見太郎だった。このとき、随筆、油絵、墨絵に親しんでいる。とくに随筆は38歳で出した「冬の華」や「雪」(岩波新書)など評価が高かった。このあたりも師匠の寺田寅彦ゆずりだった。

49歳で中谷研究室プロダクションを設立し、科学映画をつくる。これが発展して後に岩波映画製作所につながっていく。

2000年に朝日新聞が「この1000年の優れた日本の科学者」を問うた読者投票を行ったところ、1.野口英世 2.湯川秀樹 3.平賀源内 4.杉田玄白 5.北里柴三郎6.中谷宇吉郎 7.華岡青洲 8.南方熊楠 9.江崎レオナ10.利根川進だった。中谷宇吉郎は堂々の6位だった。また読売新聞の「読者が選ぶ21世紀に伝える「あの一冊」」の投票では、『雪』が「日本の名著」の3位に入っている。

独特のふちの厚いメガネがトレードマークでテレビでもユーモアあふれる語り口で親しまれた竹内均(東大教授)は、あこがれの寺田寅彦孫弟子を自認していた。師弟関係の連鎖はずっと続いているのだ。

数学者の吉田洋一の有名な『零の発見』を読んだことがある。「武見太郎氏にささぐ」と最初にある。「はしがき」では、二つ年下の畏友中谷宇吉郎氏のすすめで、長い病後静養中の楽しみとして書いたとある。吉田は数学一筋の堅物に思えるが、もう一つの顔があった。1952年には『数学の影絵』で、第1回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した名随筆家であり、また俳人でもあった。

松岡正剛『千夜千冊』という2000年から書評サイト「千夜千冊」がある。これは中谷宇吉郎『雪』から始まり、2004年の良寛良寛全集』で1000夜の業を達成している。やはり、名著なのだろう。

2013年には京橋のLIXILギャラリーで開催された「中谷宇吉郎の森羅万象展」を観た。
このギャラリーははいい企画展をするが、最近閉館したのは残念だ。

福岡伸一が「中谷宇吉郎によせて」という文章を書いている。それによると、中谷は「なにかをするまえに、ちょっと考えてみること」、それが科学的であるということだと言っている。「すべての事物を、ものと見て、そのものの本体、およびその間にある関係をさぐるのが、科学である」ともいう。やはり関係を考えることなのだ。

中谷宇吉郎の親友の高野与作の三女が岩波ホールの総支配人をつとめた高野悦子だ。宇吉郎と同じく四高から東大で一緒だった与作は満鉄の責任者になり、戦後は経済安定本部の建設局長となって戦後復興に重要な役割を担った人物である。

私は石川県を何度も訪れる機会があり、加賀市にある「雪の科学館」への訪問はまだ果たしていない。

科学者であり、随筆家であった中谷宇吉郎は、随筆の中で科学に関して多くの言葉を生み出している。その嚆矢は、「雪は天から送られた手紙である」だろう。この美しいロマンチックな言葉は、中谷の精神を彷彿とさせる。中谷にしかしか吐けない言葉だろう。