「サンデー毎日」:寺島実郎「石破・トランプ時代の世界戦略」・「石破首相の出版文化論」

サンデー毎日」2025年3月16日号を購入。「私大総集編!大学合格者高校別ランキング」の特別号ということもあるのだろうが、特別価格770円だったことに驚いた。

寺島実郎が語る「石破・トランプ時代の世界戦略」

  • トランプ2.0。テック産業複合体(バイデン)。デジタル・金融複合体。バナナの叩き売り。財源の議論貫の予算修正。少数与党ゆえの別の意味での妥協の産物のような政治状況。
  • 1920年代の日本と似ている。政党政治がスキャンダルと目先の利害政治に揺さぶられ国民が辟易。軍部の台頭。
  • 1920年代の米国とも似ている。3代の共和党政権。内向の時代。厭戦軍縮。米国ファースト。米産業資本主義の黄金期。1929年の大恐慌
  • トランプの石破評「自分の語るべきことを自分のテンポで語ったタフな男」「御しやすい同盟国より厄介だが、自分の考えを持っている人だ」という印象。米国が日本を必要とする空気感。アセアンの米国離れ。東アジアの日韓台は少数与党だが日本は相対的に安定。
  • 米中関係:米国は「一つの中国」の原則を維持。米国の戦略意思は中露分断。米中の共通の利益を求めるゲーム。中国との協力は不可欠。選別的対立。
  • 日本:台湾海峡が火を噴くと自動的に沖縄の米軍基地が巻き込まれる。日本は海峡の闘いには与しないというスタンス、米中間の軍事対立に巻き込まれないように。
  • 経済再生:産業構造のレジリエンス(耐久力)強化のため、国民経済の安心と安定の産業基盤。食と農(都市住民の参画)。医療・防災(新次元の地方創生プロジェクト)。教育・文化(多国籍人材を統率できる課題解決型人材の育成)。

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「石破首相の出版文化論」

  • 安全保障・政治経済「小室直樹橋爪大三郎半藤一利保阪正康」。
  • 最近は寺島実郎『人間と宗教ーあるいは日本人の心の基軸』『21世紀未来圏ー日本再生の基軸』などから、「日本と世界の将来像への貴重な示唆をいただいています」。

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朝:ヨガ:1時間

昼:来週の幸福塾「新・代表的日本人」の準備。「アクティブ・シニア革命」の次号の構想。

夜:CATV「三屋清左衛門残日録」をみる。この番組は父も好きだったなあ。

7000歩。

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「名言との対話」3月8日。塩月弥栄子「「どうにかなる」という確信と、「どうにかする」と思う行動力があれば問題は解決します」

塩月 弥栄子(しおつき やえこ、1918年4月4日 - 2015年3月8日)は、日本の茶道家冠婚葬祭評論家。享年96。

利休のひ孫たちが、それぞれ独立し、表千家裏千家武者小路千家に分かれて、茶の湯を伝えてきた。その裏千家の14代家元の長女が塩月弥栄子である。裏千家のお嬢様を背負って順風の中を生きたのだろうと思うが、さにあらず、独立独歩の人だった。

荏原製作所の社主・畠山一清(即翁)の長男と結婚し、4人の子どもを残し家出を敢行し、3畳一間の間借りで自活を始める。貧しさより、自由が得られたという喜びを感じた。

1952年、再婚。茶道教室「養和会」を開く。最盛期は5000人いて顔と名前は全員覚えるようにしていた。1962年、NHK私の秘密」の藤原あきの後任としてレギュラー回答者になり、広く知られる。

1970年には一大ブームをまき起こした『冠婚葬祭入門』(光文社刊:発行部数308万部)があり、シリーズ全体(全4冊)で約700万部をの大ベストセラーとなり、同名でTVドラマ化、映画化もされた。この本のセンセーションは、わたしの記憶にもある。

「茶道こそ日本が誇る総合文化だ」と塩月弥栄子は確信している。茶の湯は点前の15分間に、過去400年分の日本の暮らしを展開させる。美しいもてなしと歴史を味わえる。茶の湯は禅の教えの「道」と、時代の「風俗」という両面を備えているとのことだ。

95歳時点で出した『塩月弥栄子95歳 思いのままに行きなさい』には、「わたくしね、120歳まで生きてまいります」と宣言しているのだが、実際には96歳で没している。最後まで意気軒高だった。

 婚家に残してきた子どもたちとは一生一緒に暮らすことはなかった。当然のことながら、結婚式にも公式には招かれなかった。それも自分で蒔いた種だと悲しみを受け止めていた。「どうにかなる」という確信と「どうにかする」と思う行動力があれば問題は解決します、という経験から身につけた逞しさが、人生を花開かせたのだ。

塩月弥栄子は、メモ魔だった。どこにいっても、その先々で克明に土地の様子や見聞を書きためていた。メモ帳は数百冊以上にのぼっている。生涯で100冊以上におよぶ著書を出せたのは、このメモ帳のおかげだった。楽観、行動力に加えて、観察力と優れた習慣の積み重ねが塩月弥栄子を創ったのだろう。