倉田百三「親鸞」(角川文庫)を読了。
倉田百三(1891−1943年)は、大学時代に「愛と認識との出発」をむさぼり読んだ経験がある。懐かしい名前だ。その倉田が親鸞をどのように料理しているのかに興味があり読んでみた。
- 作者: 倉田百三
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/12/25
- メディア: 文庫
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流罪を許されて、20年の歳月、二つの土地で布教し成功する。そして60歳にして安逸な成功を捨てて、家族を残し布教行脚に入る。そして京都に入る。壮絶な90年の生涯だった。
以下、抜き書き。
- あすありと思うこころのあだ桜 夜半わに嵐の吹かぬものかは(9歳)
- 経釈を詳しく知っているということが何の役に立つといういうのだろう
- 漁師は漁師、商人は商人のまま、念仏申せばよろしい
- 自力と他力との優劣は所詮は機と時による。勝機の者には自力まさり、劣機の者には他力まさる。
- みな念仏同行衆でおざるよ
- それから20年の歳月は流れ、自分はもう60歳だ。今にして晩年の一奮起をしないなら、自分は結局名利の凡僧となり果てるであろう。
- この親鸞はまだ60、このまま安逸にとどまる時ではおざらぬ
- 信心に証拠はおざらぬぞ。
- その苦しみも、恥じもそのままに、逃れぬものとあきらめて、そこに大悲のみ念仏の名を呼ぶを念仏往生と申す
解説は武者小路実篤。
「さすがによく材料をこなしている。」「親鸞と倉田が共に生きているところが面白い」「一寸倉田以上に親鸞の真髄をつかんで表現することは他の人にはできないのではないかと思う」
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立川の国営昭和記念公園で桜を堪能する。
昭和天皇記念館で「香惇皇后展」を観る。
香惇皇后(1903−2000年)は、昭和天皇のお妃。雅号は桃苑。画集や歌集がある。20歳で昭和天皇と結婚。
バイオリン、日本画、書、組紐、ピアノ、声楽など多彩な趣味を持ち、また昭和天皇の影響で植物や貝類の観察にも興味を持っていた。日本画は、川合玉堂、前田青邨に学ぶ。