寺島実郎の「世界を知る力」対談篇ーロシアの下斗米伸夫と中東の宮田律との鼎談。

寺島実郎の「世界を知る力」対談篇。東京MXテレビ

相手は『日本冷戦史』を上梓したロシア研究者の下斗米伸夫(神奈川大学特別招聘教授)と『黒い同盟』を書いた中東専門家の宮田律(現代イスラム研究センター理事長)。

ユーラシア地政学に変化がある。

  • 唯一のユーラシア国家・ロシア。1917年のロシア革命から100年、1989年のソ連崩壊から30年。ロシアは社会主義ではなく、「ロシア正教」という宗教で国を束ねようとしている。ガス・石油・天然ガスなどのエネルギーモノカルチャー国家として復活。「穏健保守」という立ち位置。プーチン「岸田首相は外交経験が豊富な政治家だ。宏池会は伝統的にロシアに厳しかったが、安倍政権の親ロシア政策を続けるだろう」(バルダイクラブ)。30年の冷戦を経て中国とは国境を確定し、同盟ではなく友好条約を結んでいる。そして中国のまわりの国と仲良くするという戦略。
  • 日本が今まで平和的に関与して来た中東外交は、日本の宝だ。評価が低下しているアメリカと対照的に日本の評価は上がっている。中東はアメリカのアフガン撤退などでパワーバランスが変化しトルコ、イランなど地域大国復権中。中東産油国などに揺らぎはあるが、石油に関する日本の中東依存はまだ続く。技術大国、脱石油、ワクチン先進国のイスラエルという要素も見逃せない。

「ユーラシア外交」は次なる展開の柱になっていくだろう。

 

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今日のヒント「幸福」。谷川俊太郎『幸せについて』

  • 幸せの継続は生きる力をもたらすから、日々の暮らしを無理なく快適にするのも基本的に大事だと僕は思う
  • 長続きする幸せは平凡な幸せだ。言葉を変えるとドラマチックな幸せは長続きしないからこそ濃い、BGMみたいな幸せが、一番確実な幸せかもしれない。
  • 幸せはささやかで良い、不幸はいつだって細やかじゃすまないんだから。
  • 幸せになることよりも、幸せであり続けることの方が難しい。
  • 目の前になくても、その人がいると思うだけで幸せになれる、そんな「その人」がいるのは幸せだ。
  • 愛されているのは最高の幸せだけど、もしかすると愛されていなくても愛している幸せの方が、もっとずっと深く長く人を支えるかもしれない。
  • 自分が機嫌がいいと幸せだし、他人の機嫌がいいのを見るのも幸せだから、機嫌をバカにしちゃいけないなと思う。
  • 幸せには退屈と言う一面がある。
  • 大きな幸せより深い幸せ!
  • 幸運は神頼み、幸福は自分頼みなんだよね。
  • 幸という漢字は手にはめる手枷の形から来ていて、たまたま手枷を外されるという思いがけない幸運つまり「僥倖」がもともとの意味だったらしい。
  • 幸せについて語る言葉は掃いて捨てるほどありますが、どれも明快なものではありません。幸せという美しい蝶は、ピンでとめて標本にすることができないもののようです。

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世田谷美術館グランマ・モーゼス展」を訪問。

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1860年生まれ、1961年死去。101歳のセンテナリアン。

アメリカニューヨーク州の農婦。12歳で奉公。27歳で同僚と結婚。子どもは10人設ける。70代後半から絵を描く。80歳から個展。101歳まで画家として活動。

タイム誌とライフ誌の表紙になる。100歳時はアイゼンハワー大統領からお祝いの電報。

101年間というのはリンカーン大統領就任からからケネディ大統領就任までの時間である。日本では桜田門外の変から日米安保改定までとなる。人生100年とはこういうことだと改めて感じた。

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「名言との対話」11月28日。加藤寛一郎「飛行力学を一度、縦書きの世界に移してみよう」

加藤 寛一郎(かとう かんいちろう、1935年11月28日 - )は、日本の航空工学者。

1960年東京大学工学部航空学科卒業。卒業後、川崎重工に入社、のちボーイング社勤務。1971年 -東京大学工学部航空学科助教授。1973年「ヘリコプタ・ロータ・ブレードの曲げ捩りフラッタに関する研究」で工学博士。1979年 - 東京大学工学部航空学科教授。1993年 日本航空宇宙学会役員・評議員。1996年東京大学名誉教授。同年から5年間は日本学術振興会理事を務める。

2004年から2010年までは防衛省技術研究本部技術顧問を務めていた。2016年、坂井三郎を描いた「操縦の神業を追って」で草思社文芸社W出版賞受賞。

加藤寛一郎『飛行のはなし 操縦に極意はあるか』(技術堂出版)を読んだ。

横書きの本はなかなか読まれないから、縦書きの本を書いたのだそうだ。「飛行力学」を縦書きの世界に移すことを試みた本である。飛行力学の真髄は、技量の非常に優れたパイロットの操縦に現れるというのが加藤の持論である。

コンピュータとエレクトロニクスを駆使した制御系の導入により、飛行は格段に安全になったが、機体を操ることについては頭を使わなくなった。本来は五感と頭脳と腕力と技術を信じて飛んでいたころを思い出そうという趣旨で書いた本だ。

「現代の操縦とはボタンを押すこと」「揚力と抗力」「宙返りと旋回の力学」「飛行における右と左」「ゼロ戦の左ひめりこみ」「ブルー・インパルスの変形因メルマン」「マルセイユの飛行機雲」。以上が目次である。

撃墜王坂井三郎の飛行技術の「左ひねりこみ」「クイック・ロール」の解析、硫黄島上空でグラマン15機に取り巻かれたときの危機回避のやり方、「まともな飛び方をすると一瞬の静止があり危険、視界を狭めるゴーグルは実戦では用いない。本人へのインタビューの様子と感想も書いてある。神様とも呼ばれる原田実の飛行技術も詳しく述べている。原田は編隊飛行のブルーインパルスのリーダーだ。戦闘機乗りはなめらかな舵を使いこなせる技術が必要で、編隊飛行のリーダーには頭脳の動きが鈍くなる環境下でも適切な「判断力」が要求される。

工学系の学者の書く論文は横書きである。専門の著書も横書きになる。横書きの教科書はなかなか学生が読んでくれないらしい。数字、外来語の多い分野を縦書きにするのは、骨が折れるそうだ。ものを書く時には苦しい思いをするが、数カ月間それに倍加する楽しい思いをしたとの記述が「おわりに」にあり、特に編集者に深く感謝している。

エピソード交えて、楽しそうに縦横に語っている加藤寛一郎は、本当は戦闘機パイロットになりたかったのではないかと思う。1935年生まれということは、遅れてきた青年だったのだろう。それでも東大に航空工学科が復活した世代であったことは幸運でもあっただろう。1927年生まれの人で戦後航空工学科が廃止された世代の無念さを語る人は私も何人も知っている。

加藤寛一郎の著作は多いが、この本には特別の思い入れがあるようだ。この人の名前と分野は知っていたが、初めて向き合ったことになる。空に憧れた少年の心を持ち続けた人であるとほほえましく思った。