図解塾ーー情報産業時代に必要な能力はシンボル操作能力だ

図解塾5期⑩。梅棹忠夫「文明の情報学」から、「企業家と思想家のあいだ」「人間企業としての情報産業」「情報・文明・人間」「情報社会とは何か」を取り上げた。

人間への投資、とは情報産業時代を担う人材育成のための教育投資である。その教育の中身は、シンボル操作の能力を高めることである。この分野は教育技術として未開拓である。記憶と反復の教育から脱却して、シンボル操作者(シンボリック・アナリスト)としての訓練をやるべきだ。シンボル操作能力とは言語や記号などを操る力のことであり、それによってコミュニケーションの量と質を飛躍的に高めることができる。これは人間が人間たる創造的能力の開化である。大津波のような巨大な情報産業時代に対応する教育学を開発せよ。

1960年代に梅棹忠夫はこういう提言をしているのだが、その後、半世紀を経て、日本はこのことに失敗したのではないか。それが凋落の原因であろう。

10月からの「文明の生態史観」をテーマとする企画も賛同を得たので、それ以後の構想も含めて大プロジェクトにしていこう。

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2007年のブログにロバート・ライシュの『シンボリック・アナリスト』のことを書いていたことを発見した。以下。

研究開発、設計、エンジニアリング、高度なレベルのセールス、市場開拓、広告などを担当する人。映画制作者、俳優、作曲家、プロデユーサー。弁護士、銀行家、金融業者、ジャーナリスト、振付師、保険会社の幹部、医師、経営コンサルタント

クリントンアメリカ大統領の時代に、労働長官として活躍したロバート・B・ライシュが1991年に書いた「ザ・ワーク・オブ・ネーションズ」という本が話題になったことがあった。このライシュが21世紀に伸びる職業として挙げたのが上に引用した職業であり、ライシュは彼等をシンボリックアナリストと呼んだ。表象・記号・符号などのシンボルを操作して問題解決、分析、解釈、媒介をする専門家で、21世紀の知的職業と指摘していた。

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これらの人は1人か小さなチームで仕事をする。上役や監督とではなくパートナーと働くことが多い。彼らの年収は高く仕事環境は静か、これになるには4年学卒以上の教育を必要とする。シンボリック・ナリストの仕事は全体の職の20%をしめる。まだまだ増大する。

シンボリック・アナリストは必要となれば、コンピューターのキーをたたくだけで、すでに確立された知識体系を引きだすことができる。事実、データ、文書、公式、そして規則は容易に手に入る。価値があるのは、その知識をいかに有効かつ創造的に活かすかの能力である。

シンボリック・アナリストは、多くは一個人または少人数のチームで仕事をするが、世界的な組織網を持つ大きな機関と結びつく場合がある。チームワークはしばしば、非常に重要な役割を演じる。解決方法はおろか、問題自身も事前にわかっているわけではないから、なにげない私的な語らいのなかから有効な発見や洞察が生じ、それが最高に活用され、即座に決定的評価に結びつくことがあるのである。

1991年当時、この本を読んだのだが、シンボリック・アナリストという新語に違和感があり、馴染めなかった記憶がある。シンボルを操作して問題の発見、分析、解釈、解決などを行う職業という言葉を改めて眺めて、私もシンボリック・アナリストの一員だったと気がついた。
私がやっていることは、概念、考え方、計画、実態、現実などを図と言うシンボルを使って表現し、操作し、企画や解決の道筋を明らかにしていくという仕事ということができる。

本は読み手のレベルでしか理解されない。当時の私はこの本の本質を理解できない段階だったのかもしれない。もう16年経っているから今改めて読むと多くの示唆があると思うので、早速注文した。

 

以下、塾生の「今日の学び」から。

  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は、「企業家と思想家のあいだ」「人間企業としての情報産業」「情報・文明・人間」「情報社会とはなにか」という図解をパワポ化する中で、梅棹先生の情報産業社会に関する提言や問題点の指摘を、現在の事象として考える貴重な時間でした。中でも情報産業に携わるということは「シンボル操作を職業とする」こと、そのための教育技術は未開拓だ、という話や、「情報の整理学」が必要であること、人間形成に資本を投下することが第一、といったところが、印象に残りました。こうした点 をすでに1960年代に提言されているところに改めて驚きます。今、さかんに「人への投資」ということが言われますが、梅棹先生のいう 「工業時代から情報産業時代への変化に対応するための  人間資本への投資」が、とても十分な水準に達しているとは言えない現実があるように感じました。また、情報産業時代の知識人は哲学・人生・世界を語る自由な思想家として企業とつながる道がある(利益を超えた人間性に対する信頼を共にする)、という話も印象に残りました。近視眼的な合理主義に流されやすい企業人への警鐘と理解しました。「情報と文明」論もいよいよ最終段階。後続の講義のご紹介も頂きましたが、楽しみな内容です。引き続きよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。工業社会から情報産業社会へ進むとき、画一的大量生産から多種類のものを少量ずつ生産する形態になってきました。それと並行して教育も高度経済成長期の文句を言わず黙々と働く均質の労働者の生産のための画一的な詰め込み主義、制服など規則をきちんと守る国民の育成から、ポスト工業社会の多様化、個性化に相応しい教育へと変化してきた過程がみごとに予見されています。そして大切なのがシンボルや記号の操作。生徒一人一台のタブレットというツールは揃えても、内容が工業化時代と変わらないのでは意味がありません。梅棹先生が今ご存命だったら、どんなことをおっしゃったでしょうか。最初の「起業家と思想家のあいだ」では、やはり産学協同という言葉に象徴されるような近視眼的な合理主義のみになっている現状が改めて気になりました。中曽根元総理がいつも識者から話を聞いていたというのは初めて知りましたが、今のリーダーはあまりにも反知性的で、それがまかり通っているのが残念に思います。梅棹先生が必要だと言っていた「浮動的思想家」は、今の日本にはいないのでしょうか。 話は変わりますが、秋以降のプランについてはたいへんよいと思います。
  • 本日もありがとうございました。先生の手書きの図を、パワポに直しながら関係性をみて、声に出して説明してみると、分かってないところが見つかり、皆さんのお話を聞いて、なるほどと言葉ではなくイメージとしてとらえることができました。図解をもとに、みなで意見を言い合い進化させる。つまりこれこそが、シンボル操作のトレーニングだということを、体感した時間でした。ネットの状態が悪く、出たり入ったりしてご迷惑をおかけいたしました。お話もちゃんと聞けず残念でした。みなさんの図をもとに再度見直したいと思います。また次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさん、今回もありがとうございました。久恒先生が手書きの図解でまとめられた 梅棹先生の本の内容を、塾生がパワーポイントに写し換え、講座において、その図解を見ながら本のポイントを説明する。この取組を続けていく中で毎回感じるのは、「図解って本当にわかりやすい!」ということです。おかげで、実際にその本を読んでいない私でも、図解を作成する中で本の概要を掴むことができ、自分なりの解釈ですが説明することができます。また、講座の中で久恒先生から補足して解説いただけますし、参加者からも図解を見ながらいろんな意見を出し合うことができます。そうすることで梅棹先生の思考に近づいていく過程はとてもワクワクします。特に今回は、梅棹先生が1960年代に考えた「今後」の情報産業時代に必要なことやあるべき姿と、約50年経った現代の姿とを比較・検証することができましたので、その差に気づけたことで「情報の重要性」がより鮮明になりました。情報をテーマにした図解作成はあとわずかになりましたが、引き続き楽しみながら学んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。

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「名言との対話」8月17日。後藤静香「『われこれがために生まれたり』 はっきりと そう言いうるものを つかんだか」

後藤 静香(ごとう せいこう、1884年8月17日 - 1971年5月15日)は、社会教育家社会運動家である。

大分県竹田市出身。旧制竹田高校を卒業し、代用教員を経て、東京高等師範数学科d学ぶ。卒業後、大分や長崎、香川で13年間女子教育にあたる。女子教育によって家庭を改善し、家庭の改善によって地方を改良していくことができる、これが信念だった。

教員時代に蓮沼門三らの「修養団」に傾倒した。1918年には修養雑誌『希望』を創刊、「希望社」を設立、本格的に社会教育の分野に進出する。いくつかの啓蒙雑誌を敢行する。内容は、偉人伝、格言など提示と解説で、それによって修養意識を高め、社会を改良しようとした。代表作の『権威』は、全国の教育者、労働者、青少年に詠まれ、ミリオンセラーとなっている。

理論に加え、希望社運動は広範な実践的な社会活動を行っている。点字の普及、救ハンセン運動、国民常食改善、ローマ字運動、エスペラント運動、老人福祉、アイヌ救済、現代仮名遣いの普及などである。

関東大震災いおいても一大救護活動を展開している。救護本部設置、『希望者震災時報』の発行、食糧などを原価の5分の1で頒布、掃除や衛生の風潮に気を配る、大量のふとんをつくるなど。

『権威』には後藤静香の詩が掲載されている。

「本気ですれば たいていの事はできる 本気ですれば なんでも面白い 本気でしているとたれかが助けてくれる 人間を幸福にするために 本気ではたらいているものは みんな幸福で みんらえらい」。

「十里の旅の第一歩  百里の旅の第一歩  同じ一歩でも覚悟が違う  三笠山に登る第一歩  富士山に登る第一歩  同じ一歩でも覚悟が違う  どこまで行くつもりか  どこまで登るつもりか  目標がその日その日を支配する」

「なんでもいい。善と信じたことを、ただ一つでも続けてみよ。何が続いているか。三年、五年、十年続いたことが幾つあるか。一事を貫きうる力が、万事を貫く。」

「もっと落ついて考えよ  あまりそわそわしすぎる  太陽をみよ  月をみよ
 星をみよ  花をみよ  お前のように浮き浮きしている者が  どこにある  せめて一時間でも、じっとしておれ  ただ一つのことでも  本気に考えてみよ」

群馬県高崎市榛名町に後藤静香記念館がある。ここでは、月刊誌21種、著書70冊などが保存、展示されている。

 後藤静香の言葉を眺めていると、大正から昭和の初期にかけての青年・教育者・労働者が心酔したのがよくわかる気がする。現代でもスポーツ選手にファンが多いと聞く。後藤の問いかけには、気持ちを揺さぶるものがある。「どこまで行くつもりか」「続いたことが幾つあるか」「本気に考えてみよ」、、。

 「たしかに生まれた 必要だからだ たしかに生きている まだ用事があるからだ 『われこれがために生まれたり』 はっきりと そう言いうるものを つかんだか」もいい。「われこれがために生まれたり」といえる人生をめざそうという言葉は、多くの人に影響を与えただろう。

現在と未来の日本人のために、「修養」という考え方の復活と、実践が必要な時代になっていると思う。