カリュウ先生の「中国政経塾」を2本--文化と文明、情報はアメリカがピカイチ。ヨガ・ルネサンス・テレポート・公益財団。

ユーチューブでカリュウ先生の「中国政経塾」を2本。

  • アイデンティティは文化・文明にもとづく。4大文明の黄河文明のプライドと実際の道徳心の乖離が信じられないくらい大きい。進化がストップ。非文明的行動。漢民族というアイデンティティ帰属意識。唐人街。近代化は宋から。「3・11」。日本に感動するのは、コンビニにも暴動はない。通勤バスの整然とした行列。年配者に席を譲る姿。いつも感動。これこそ文明。清王朝は国際ルールに従わなかった。アヘン戦争。社会の規範をみせる階べき上流階級は海外へ移住してしまった。毛沢東時代には知識人を虐待。模範となる人々が重要、それが文明、文化。利益とカネの執着するようになった。動物に逆戻り。人間らしい思いやり。残念ながらここが欠けている。国家の強靭化にはつながらない。文化力、文明力。トラップも愚か。関税で文明ができるわけではない。大学、ミュージアム、、、。中国は文化が残っていない。ハードはある。京劇も進化していない。映画も。言論の自由化がない。今の中国では愛国心は出て来ない。文明力は降下中だ。ウクライナ人の行動、偉い。コロナ禍の3年、愚かなロックダウン、食料を奪い合う姿。幹部の抜き取り。文明国家ではない。
  • 「人民日報」は読まない。嘘を書いているから。2018年、情報の交差点・香港は終わった。中国の情報はアメリカでとる。真実に近い。シンクタンク、大学、研究所、当局。分析のレベルが高い。一枚のセーターを編むように。ピカイチ。アメリカには中国系は430万人余。共産党の高級幹部の子弟も(習近平の娘はハーバード大学に留学)。イギリスとヨーロッパの一部の情報も。30年前は日本だった。日本にかけているのは論理、ロジック。

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ヨガを1時間。

ルネサンスへの入会。主にプールを使いたい。

テレポート学校授業録画をみる。

テレポート学校授業に出席。

公益財団法人日本臨床心理士資格認定協会の評議員の就任承諾書を提出

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「名言との対話」4月26日。谷桃子「踊り手としてもう一生ほしいですし、振付にも指導にも、もう二生も三生も欲しいですね」

谷 桃子(たに ももこ、1921年(大正10年)1月11日 - 2015年4月26日)は、日本のバレリーナ振付家。享年94。

外資系の商社マンの父と師範学校での母親の間で生まれ、ハイカラな家庭で幼少生活を送る。8歳で洋舞といわれていたバレーと出会う。女学校は自由教育の文化学院で音楽や美術にも触れていく。

 1947年 - 東京バレエ団コッペリア』の日本初演で主役を踊る。1948年 -、『白鳥の湖』のオデット役でるようになり、日本のバレエ界に一時代を画した。そして、1949年には谷桃子バレエ団を立ち上げる。

バレリーナ 谷桃子の軌跡』(文園社)を読んだ。谷桃子と親しい舞台関係が谷をかたる文集だ。三島由紀夫は「軽やかさ、その憂愁、そのエレガンス」と言い、テナー歌手の藤原義江は「舞台の上で音楽が歩いたり、とんだりしているよう」と評し、舞台芸術妹尾河童は「美意識の高さ」と述べている。

バレリーナとしての清楚な姿と好ましい人柄で、谷桃子は画家たちにファンが多かった。猪熊弦一郎小磯良平鈴木信太郎宮本三郎岡鹿之助らがモデルにした。三岸節子週刊朝日のモデルに使っており、三岸が谷をモデルに絵にしている姿や、デッサンを二人で眺めている写真をみることができる。なかでも奥村土牛の描いた傑作「踊り子」は院展で評判になった。

谷桃子の代表作でもある「白鳥の湖」は通算で1000回を超える公演となっている。1974年、『ジゼル』を最後に53歳で現役ダンサーを引退し、振り付け、指導に専念する。そして2003年には、日本バレエ協会第3代会長に就任し、2006年まで続けている。

谷桃子は優れた教育者でもあったようだ。この本には指導を受けたダンサーたちの尊敬の言葉が載っている。実力と意欲と厳しさの伴った指導に皆が感謝をしている姿は圧巻だ。「バレエは時間のかかるもの、一生勉強よ」、「色々なことが分かって来る頃には悲しいことに体の方が言うことを聞かなくなるのよ」などと指導していた言葉が弟子たちから語られている。

 85歳時のインタビューでは、「足や腰、背骨が磨り減ってしまい、骨がきしんでおきる関節の痛みです」とバレリーナの職業病を語っている。そして、「踊り手としてもう一生ほしいですし、振付にも指導にも、もう二生も三生も欲しいですね」という発言には驚いた。自分が生きたバレリーナとして歩んだ一生、それ以外にもう一生、そして振付師で一生、指導者で一生。なんという探求心だろうか。「俺が70になる前に描いたものなんぞ、取るに足らねぇもんばかりだ。73を越えてようやく、禽獣虫魚の骨格、草木の出生がわかったような気がする。だから精々、長生きして、80を迎えたら益々画業が進み、90にして奥意を極める。ま、神妙に達するのは100歳あたりだろうな。百有十歳にでもなってみろ。筆で描いた一点一画がまさに生けるがごとくになるだろうよ」 と語った北斎どころではない。こういう発言は今まで聞いたことがない。その後、10年近くもバレエの世界に生きている。

 谷桃子が活躍した時代と彼女のバレエ人生の軌跡を眺めると、バレエのパイオニアというだけでなく、その生涯は日本の舞踏史そのものだという感慨をおぼえる。

バレリーナへの道 65