新札:福沢諭吉から渋沢栄一へ、近代最高の偉人同士のバトンタッチ。「一万円 福の神から 渋チンへ」

 

新しいお札と、肖像に採用された北里柴三郎、渋沢栄一、津田梅子の3人の似顔絵

本日は、20年ぶりの新札の発行日。

現金を使い機会がめっきり減ってきたから、インパクトは以前ほどではない。私は人選に興味がある。

今回は、一万千冊が福澤諭吉から渋沢栄一に引き継がれたのが目玉である。「人物記念館の旅」を20年続けてきてわかったことは、「偉い人」とは影響力の大きな人であるということである。その意味で近代以降の日本人で最大の影響を及ぼした人は、福沢諭吉である。そしてもう一人は渋沢栄一だ。

今回の一万円は、40年ぶりの福沢から渋沢へのバトンタッチとなった。偉人のナンバーワン同士の交代であるから、快挙であるが、同郷の福沢の顔がなくなっていくのは少し寂しい感じもする。そこで、一句「一万円 福の神から 渋チンへ」。渋沢1万円にはがんばって、日本経済の喝を入れてもらいたいものだ。

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券種・発行開始時期 人物(金額)

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私の記憶にあるのは、A号券の聖徳太子二宮尊徳、B号券の板垣退助

もっとも登場回数が大いのは、聖徳太子である。2014年に『図解・日本史』(PHP)を刊行した時、「聖徳太子という人物はいなかった」という説が有力で、最近の教科書では摂政としては載っていない。聖徳太子は『日本書紀』がつくり上げた人物となっていることに驚いた。

日本の歴史の中で突出した人物が紙幣の顔に選ばれているのだから当然だが、それぞれ人物記念館が存在している。

これらの代表的日本人の中で、人物記念館を訪問していない人は、板垣退助高知市立自由民権記念館)と紫式部(越前「紫ゆかりの館」)と津田梅子(津田塾大「津田梅子資料室」)だ。高知市越前市小平市は訪問したい。

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今日は、鎌倉の長谷寺を訪問。

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梅棹忠夫編 『私の外国語』 - いろんな本を紹介するブログはじめました!

「名言との対話」7月3日。梅棹忠夫「なんにもしらないことはいいことだ。自分の足で歩き、自分の目で見て、そのけいけんから考えを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながら、あるく。これは、いちばんよい勉強のほうほうだと、わたしはかんがえている」

梅棹 忠夫(うめさお ただお、1920年6月13日 - 2010年7月3日)は、日本生態学者民族学者文明学者、情報学者未来学者国立民族学博物館初代館長。享年90。

梅棹忠夫の著作に、私は学生時代から今日まで大いに影響を受けてきた。そしてここ数年『梅棹忠夫著作集』を読み込み、図解化し、その成果を「図解塾」で講義してきた。

NHKアーカイブス「昭和人物史」をこの6月の放送で肉声を聴いた。以下、そのまとめ。

棹忠夫は日本の民族学研究の基礎を築き、国立民族学博物館の設立に尽力した。フィールドワークを重視し、世界中で学術探検を行った。著作は240冊に及び、戦後の日本社会に大きな影響を与えた。

1920年に京都の西陣で生まれ、幼少期から漢字を覚え、夏目漱石森鴎外の作品を読破するなど、非常に読書好きな子供だった。昆虫採集や標本作りに興味を持ち、京都帝国大学で動物学を専攻し、中国やミクロネシアでフィールドワークを行った。太平洋戦争中に大学院特別研究生制度により兵役を免れ、モンゴルでの調査中に終戦を迎えた。

現地を訪れて直接観察し、関係者に聞き取り調査を行うフィールドワークを重視した。京都大学探検部の初代顧問の一人に就任し、探検部の精神を学問に活かした。 若い人の話をよく聞き、彼らの情熱の実現に力を尽くした。 探検精神を持ち、現地での調査を重視した。フィールドワークを通じて、現地の文化や習慣を直接観察し、研究を深めた。

1957年に出版された『文明の生態史観』は、旧大陸の文明の発展を生態学的に分析したユニークな学説だ。日本とヨーロッパの文明を生態学的に分析したものである。日本とヨーロッパの文明を巨大文明の縁に位置づけ、同質の関係にあると主張した。視力を失った後も口述筆記で著作活動を続け、多くの著作を残した。大阪の国立民族学博物館(民博)の創設にも貢献した。国立民族学博物館には34万5000点を超える資料が収集されている。 国立民族学博物館民族学文化人類学)に関する研究と教育の機関として機能している。平成22年に90歳で亡くなったが、日本の民族学研究の基礎を築いた業績は高く評価されている。

以下、1981年2月1日の60歳の時の梅棹忠夫の文化講演会での発言。

  • 宗教、習慣、文化の異なる3000の民族が世界に存在している。民族は文化的概念であり、国民は政治的概念であり、DNAで決まる人種は生物的概念。民族学の視点から世界の出来事を見ると、一般の見方とは異なる角度から理解できる。
  • 民族学は諸民族の文化的特徴や歴史的形成過程、民族同士の相互関係などを実証的に研究し、現代の世界状況を理解するための重要な鍵となる学問である 。国家、国民という見方では、世界は理解できない。その下に民族地図があり、そこからはまったく違った景色が見える。
  • 国立民族学博物館では、文化に焦点を当て、人種的特徴を排除した展示を行っている。民族学の知識を持つことで、国際的な事件の認識が深まり、立体的になる。民族学の視点から国際理解を深めることができる。
  • 民族学の知識は新聞や雑誌、学校教育でほとんど普及しておらず、特に高校以下では教えられていない。知っているのはゲルマン民族だけというようなことになる。近年ようやく大学において講義が開講されるようになった。海外旅行に出かける場合、民族学の知識が無いと表面的な観察になってしまう。遺跡や名所を見ても、意味が分からない。
  • シルクロードでも、諸民族の衝突、摩擦、などについての基本知識がなければ何のことかわからない。遊牧民と農耕民の違いなど、民族学の知識を身につけることで、旅行の収穫が大きくなるはずだ。
  • 中東の民族構造を理解することで、地域の動きをより深く理解できる。中東にはアラブ民族、インド・ヨーロッパ系民族(イラン。ペルシャ帝国)、トルコ系民族(オスマン帝国)の三つの大きな民族が存在する。イスラムが中心だが、キリスト教もある。イスラムにもスンニー派シーア派がある。クルド民族はイラン、イラクなど5つの国で国民として存在している。常に独立をしかけている。こういうことがわからないと真相は見えない。
  •  東南アジア。中越両民族、漢族と越族の対立やその他の民族紛争は数百年から2000年の歴史を持っている。同じ社会主義国でも紛争が起こっている。
  •  21世紀に向けて民族的対立はますますひどくなると予測され、民族自立や独立の権利を要求する動きが続くと考えられる。 かつては宗教が民族対立を超える原理となっていた、そして儒教もそうだったが、近代に入ってからその力は失われた。イデオロギーにも期待はあったが民族的対立を超える力にはならず、最近の紛争でその限界が明らかになった。米ソという巨大な軍事パワーにも限界がある。
  • 第一次大戦後の国際連盟が「民族自決」の原理を打ち出し、オーストリーハンガリー帝国による民族国家が成立し、オスマントルコの解体を引き起こした。第二次大戦後には、イギリス帝国の衰退によりムガール帝国の解体でインド、パキスタンが独立した。東南アジアでもオランダ、フランスの衰退、日本の敗退により、多くの非圧迫民族が独立を達成した。
  • 複合民族国家は内部に少数民族を抱えており、その処理が必要である。ソ連邦や中国のような巨大な国家が今後どうなるかは不明だが、民族自立の動きは続くと予測される。ソ連や中国では、国内の少数民族に対して自治権を拡大する動きが見られる。

梅棹は65歳の時にウイルス性の視神経炎症により視力を失った。視力を失った後、文献を読んでもらい、それを聞いて口述筆記する方法で著作活動を続けた。次々に本を出版し、その生産性の高さから月刊「ウメサオ」というニックネームが付けられた。1989年から1993年にかけて、梅棹忠夫の著作集が22巻別巻1が出版された。

1994年に文化勲章を受賞し、その喜びを以下のように語っている。

  • 文化勲章民俗学者で初めて柳田国男が受章している。民族学では私が初の受賞になる。ありがたいことだ。これで民族学と比較文明学が世間、国家に認められたことになる。民博の創設に尽力したこと、著作集が完成したことも評価されたのだろう。
  • 民族学は人類の根源的な問題を扱う学問である。研究は一貫してフィールドワークに基づいており、現地での直接の接触を重視してきた。民博ができたことによって、日本の民族学が世界の第一線に立つことができた。優秀な研究者が出てきつつあり、将来の発展を期待している。
  • 20世紀後半に巨大帝国が次々と解体し、各民族の自立が進むことで摩擦が生じる。21世紀の前半までは民族問題は解決はできなだろう。民族学者は、紛争の背景や民族問題の原因、背景、歴史については解説する役に立てる。

梅棹忠夫1995年に未来を予言している。「21世紀は、明らかに情報の勝負です。情報戦争でどこが勝つかという話だと思います。、、日本文明は今が絶頂期ではないかと思っております。このままでは日本は情報戦争に完璧に負ける。情報戦争に負けたら、技術も負ける。科学も負ける、全部負けです。21世紀は科学技術の勝負ですが、それを支えているのは情報なんです。大変残念なことですが、やっぱり駄目になるでしょうな。、、なんとかしないと、このままでいいと思ったら大まちがいな状態です。ひどいことになります。20世紀の惰性で、生産、生産と言っていますが、次の時代の手立てをしておかないと本当にひどいことになる」。

1995年時点が工業時代を席巻した日本の絶頂期で、次の情報の時代の準備が遅れており、21世紀は「本当にひどいことになる」と予言したのだ。

ロンドン大学の経済学者・森嶋通夫教授(1923年7月18日 - 2004年7月13日)は、「人口の量と質が決まれば、それを使ってどのような経済を営めるかを考えることができる。重要なのは経済学ではなく、教育学である」とし、「戦後教育は価値判断を避けて知識を詰め込んだ。結果として価値判断を行う能力を失い、意志決定力も弱くなった。2050年の土台である人間は劣化しているから日本は頂点から崩れていく可能性が高い」。人材の量だけでなく質の劣化が始まっているとし、価値判断や意志力の衰退で、日本は頂点から崩れていくと予言した。

二人の世界的学者の21世紀の日本の姿の予言は、残念ながら当たってしまったようである。

「なんにもしらないことはいいことだ。自分の足で歩き、自分の目で見て、そのけいけんから考えを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながら、あるく。これは、いちばんよい勉強のほうほうだと、わたしはかんがえている。」

この梅棹のこの言葉には、大いなる自由を感じる。あらゆる文献を読み、世界を探検して歩いた、この碩学の学びの極意がここにある。

梅棹忠夫の本には、引用はない。私は「知的生産の技術」研究会の顧問をしていただいた関係から、何度も謦咳に接している。ある時、本は読まないのかと問うたことがある。自分はオリジナルなことしか書かないようにしている。本は読むが、それは誰も言っていないことかどうか確かめるためだ、との答えであり、心底から驚いたことがある。

人物記念館の旅も、なんにも知らずに出かけて行って、そこで事績を知り、その場で人となりを知って、帰路の途中や自宅に戻った後で集めた資料を読み込む。目的意識が高まっているから、砂にしみこむように知識が入ってくる。なんにもしらないことはいいことだ、この励ましを念頭に、自由に旅に出ることにしよう。

 

参考:NHKラジオアーカイブス「昭和人物史」