昼間から弟と町田で痛飲。

 午前に芥川比呂志の本。昼は弟と町田(鳥良)で久しぶりに痛飲。

「名言との対話」3月30日。芥川「俺が死んだら、つまらなくなるぞ」

 芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - 1981年10月28日)は、日本俳優演出家

 芥川龍之介の長男。應義塾大学仏文科卒業。加藤道夫とつくっていた「の会」から 1948年文学座に参加。恵まれた容姿知性で『ハムレット』の主演 (1956) で成功。19 63年に岸田今日子らと文学座脱退し、福田恆存の指導のもとに劇団雲結成。1975年に再び岸田らと「」を脱退して演劇集団円を創立する。演出にも意欲をもち、『なよたけ』 (1955) 、『榎本武揚』 (1968) などを演出した。

芥川比呂志エッセイ選集』を読んだ。山崎正和がいう「3冊の素晴らしい随筆集」がすべておさめられた本だ。「決められた以外のせりふ 」(1970年)は、第18回日本エッセイスト・クラブ賞。を受賞している。後は、「肩の凝らないせりふ (1977年)「。憶えきれないせりふ」 (1982年)の3冊である。

 芥川と言う名前は、三河の百姓が、敗戦で負傷した徳川家康を背負って川を渡した。その功召しだされた。その川が芥川といったところから、家康にもらった姓である。

芥川龍之介の長男で、命名は「多門」にするか「比呂志」にするかを決めかねて、子どもに握らせて手が強く動いた方を選んだという。つまり自分で選んだのだ。父は決めかねた、迷った。それは父らしいと比呂志はいう。龍之介の書斎は8畳間だ。『芥川龍之介全集』の題字は子どものころの比呂志の字である。文豪の全集には珍しく、全体に稚拙な字であり、とくに「全」という字のかさの部分が太くなりすぎていることを比呂志は残念に思っていた。

このエッセイ集の初めに「小自伝」という短い項があり、「すべては仕事の中にしかない。狂気からすっかり冷めきらないうちは、本当の自叙伝はかけないだろう」と結んでいる。父の芥川龍之介についてのエッセイも面白いが、比呂志の仕事論を聞こう。

芥川の演出論。

  • 演出と言うのは芝居をこしらえることであり、自分は舞台にでないで、役者やその他の人たちに指図をして、全部をまとめることであり、だから1番偉い、1番大変な人だということがわかった。 
  • 劇作家が種をまき育てあげた材料を、演出家と俳優が舞台の上で燃焼させるのです。
  • 優れた演出家は、資質や芸のいかんを問わず、戯曲は役者から、思いがけない新鮮な生命感を引き出します。
  • 優れた戯曲、よい戯曲でなければ、優れた、よい芝居にはなりません。
  • 私は、その芝居が、芝居と言う形でしか表せないものになっているかどうかということを、いつも芝居を見る時にも、自分で芝居をする時にも、考えることにしています。

次に役者論。

  • 役者。「役」と「者」。役とそれを演じる人間、その2つが結びつかないと「役者」とはいえない。
  • 役者の仕事は残らない。役者の仕事は肉体とともに滅びてしまう。その代わり、庇を借りて母屋を取るずうずうしい男のように、優れた役者たちは役を作者から取り上げる。
演出者とは、脚本・シナリオにもとづいて、俳優の演技、舞台装置、種々の効果などの各要素を総合的に組み立てる人のことだ。
作詞、作曲をもとに、楽器を組み合わせて、作品に仕上げていく、音楽における編曲者と同じ役割だろう。共通するのは情報の編集者ということだ。編集も独創である。

璃子夫人によれば、夫は「むだのなさすぎる人」だったそうだ。常に考え、行動し、燃焼した。比呂志が小2の8歳のときに亡くなった父の龍之介は「人生とは戦闘なり」と遺書に書いたが、それに倣ったのではないかとしている。書斎人と行動人の2つの極の振幅の中を生きたのだ。ユーモア感覚のあった芥川比呂志は家庭内では「俺が死んだら、つまらなくなるぞ」と言ってニヤリと笑ったそうだ。それは演劇界にもいえるのではないだろうか。 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大全」「日本の音」「研究者という職業」「デメケン」「天職」

午前:秘書とZOOMでの打合せ。「大全」の第2章、第3章の修正に着手。

午後:ウオーキング。喫茶で小泉文夫「日本の音」を読書。

夕刻:届いた林周二「研究者という職業」を風呂で読み始める。

夜:デメケンミーティング。

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 「天職」考。50ケース。

「名言との対話」11月4日、山崎達郎「何でもいいから『明日はよくなる』と思って、 必死に働いてごらんなさい。きっと、道は開けていくものですよ」|久恒 啓一|note

「名言との対話」7月16日。井植歳男「いま開発した商品が、一品も売れなくなる研究をせよ」|久恒 啓一|note

 ライフワーク(天職)(焼家直絵・WFP日本事務所代表) 

「名言との対話」 7月11日。小松方正「死なない限り、俺は舞台に立つ。役者とはそういうもんなんだ」|久恒 啓一|note

「名言との対話」 3月27日。黒田善太郎「面倒で厄介な仕事、カスの商売、が実は金(きん)の商売である」|久恒 啓一|note

「名言との対話」3月12日。 上原正吉「奉公人根性を去れ」|久恒 啓一|note

マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni (1924年-1996年) の誕生日 (9月28日) 伊 俳優|ART AND MOVIE|note

「名言との対話」12月12日。内藤寿七郎「育児の基本はまなかい(目と目を交わす)にある」|久恒 啓一|note

7月4日。 江川卓「ドストエフスキーはいまだに「われらの同時代人」」|久恒 啓一|note

5月17日。猪熊弦一郎「うまずたゆまず仕事をする以外にない」|久恒 啓一|note

5月16日。児玉清「クイズは人生と同じ。そのときボタンを押せるか押せないか」|久恒 啓一|note

6月7日。 岡野加穂留「日本は、政治家が5パーセント、政治屋が10パーセント、政治業者が85パーセント」|久恒 啓一|note

4月10日。 五十嵐健治「人が嫌がる仕事であれば、競争する相手も少なく成功しやすいのではないかと考え、明治39年3月、洗濯屋を始めることにしました」|久恒 啓一|note

12月21日。 大川慶次郎「私は競馬で3億得しています。そして4億損しています」|久恒 啓一|note

神保町周遊ーー25冊で1万2千円なり。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.

映画の吉田喜重監督

11月11日。江上波夫「学問は人なり」|久恒 啓一|note

10月25日。笹崎龍雄「わが輩は豚である」|久恒 啓一|note

9月25日。 浪越徳治郎「指圧のこころ母ごころ、押せば生命の泉わく」|久恒 啓一|note

「邪馬台」の「読書悠々⑲」-- 平成に亡くなった女性編「高野悦子」「石牟礼道子」 「夏樹静子」「須賀敦子」「大橋鎮子」「 朝倉摂」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」高野悦子。

9月14日。小島直記「自伝信ずべからず、他伝信ずべからず」|久恒 啓一|note

7月11日。岩田聡「人間は何を面白がるのか、何に驚くのか」|久恒 啓一|note

6月16日。 住井すゑ「生きるとは創造すること」|久恒 啓一|note

5月30日。粕谷一希「金は遣えば無くなるが、頭は使えば使うほど良くなる」|久恒 啓一|note

5月29日。新藤兼人「私は仕事をして生きてきた。その仕事の中に私自身が含まれていると私は思います。仕事とは、私であり続けること、私とは何かを考え続けることなんです」|久恒 啓一|note

5月16日。 邱永漢「人生とは、「お金」という煉瓦を「時間」というセメントで積み上げていく作業工程」|久恒 啓一|note

3月27日。 朝倉摂「劇場空間は生き物なのです。それに応えるべく、劇場空間が喜んでくれるような仕事に挑みたいといつも思っています」|久恒 啓一|note

3月26日。 山口誓子「私はただ事に当って全力を尽くしただけのことである」|久恒 啓一|note

3月16日。 笠智衆「地道な努力というものも、だれも気が付かないようでいて、結局は、次第に人の目にも立つようになるものらしい」|久恒 啓一|note

2月9日。高野悦子「興業という、文化から程遠いところで仕事をしていますが、志だけは高く持ってきました」|久恒 啓一|note

6月23日。成瀬仁蔵「聴くことを多くし、語ることを少なくし、行うことに力を注ぐべし」|久恒 啓一|note

五十嵐健治洗濯資料館(白洋舍) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

内藤寿七郎(101歳) 天職を、ただ一生懸命に

12月20日。伊丹十三 「がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身はほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない」|久恒 啓一|note

2016年度入学式。山本七平「勤勉の哲学」。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

中嶌邦「成瀬仁蔵」−−日本女子大創設者の人生 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

大学非常勤講師養.成の体験講座(夕刊フジ) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.岡潔。

「村山富市回顧録」から - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.小林秀雄

水上勉の自伝「冬日の道・わが六道の闇夜」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

伊丹十三記念館(松山)--偉い人になるということ - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

百田尚樹「幸福な生活」--凄みのあるホラー短編集 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」..伊丹十三。

天罰か、試練か----内村鑑三のことば - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「嘉納治五郎」--自他共栄・精力善用 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

天職 の検索結果 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」ロマン・ロラン著「ベートーベンの生涯」(岩波文庫

「多彩型」と「一筋型」の11人−−「遅咲き偉人伝」から - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」..平櫛田中

武者小路実篤という人生−「龍となれ 雲自づと来たる」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

最初は盃一杯の水から始まっても、のちには大黄河となっていくような - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.小野次郎

女の一生--羽仁もと子・平林たい子・いわさきちひろ・林芙美子 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

セカンドライフ・人生の鍛錬(小林秀雄) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「平成 若者仕事図鑑」(NHK教育テレビ)--衣装制作者の巻 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「武士の一分」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.檀れい

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「名言との対話」3月29日。小泉文夫日本音楽は日本人に限らず世界の大切な財産だ」

小泉 文夫(こいずみ ふみお、1927年3月29日 - 1983年8月20日)は、日本民族音楽学者。4月4日の届け出だが、実際に誕生した3月29日をここでは採用。

東京生まれ、東京大学文学部で美学を専攻。在学中に、吉川英史講師の講義に接して日本伝統音楽の研究を志す。1956年、 東京大学大学院の修士論文「日本伝統音楽の研究に関する方法論と基礎的諸問題」(後の『日本伝統音楽の研究』)では、日本の民謡を研究対象として比較音楽の観点から日本音楽の音階構造を明らかにした。

1956年から59年まで、インド政府給費留学生として、マドラスラクナウの音楽学校でインド音楽の実技を学びながら、調査も行う。インド留学を出発点として、ナイル河上流の民俗音楽(1964)、カナダとアラスカのエスキモー(1967-68)、インドネシア(1972)ほか、本格的なフィールドワークが始める。

国内はもとより調査地は三十数カ国におよび、研究成果を多くの著作やレコード、解説書にまとめた。早くからポピュラー音楽研究の重要性を指摘するなど、伝統的なアカデミズムにとらわれない柔軟な研究姿勢であった。

 東京藝術大学教授(1959-1983)として後進を育成するなど、国内外の多くの大学で教鞭をとった。また「アジア伝統芸能の交流」プロジェクト(国際交流基金主催)ほかの企画監修にたずさわり、音楽による文化交流にも大きく貢献ししている。自身が企画するラジオ番組「世界の民族音楽」など、さまざまなテレビやラジオ番組に出演し、未知の領域だった諸民族の音楽を一般にも紹介した功績はきわめて大きい。

民族音楽研究ノート』(青土社)を中心としてサントリー学芸大賞したときの選評は、「西洋音楽こそが手本であり、唯一のすぐれた音楽であるとする戦後の風潮のなかにひとつの爆弾を投じた。日本の伝統音楽が西洋音楽とは異質な、しかしそれに劣らないすぐれた構造と美的価値を持つものであることを強く主張して氏は立ち上ったのである」だった。

小泉文夫『日本の音 世界の中の日本音楽』(青土社)を読んだ。オビで坂本龍一は、「小泉文夫はぼくの音楽に対する態度に決定的に影響を与えた人です。実は音楽にとどまらず、あらゆる文化・人を公平に見るということを教えてくれた人です」とその早い死を惜しんでいる。以下、小泉の主張の一部。

  • 外国から来た楽器を日本人は好みに合うように変えている。三味線は、中国の三弦、沖縄の三線と比べると、蛇皮ではなく猫の皮を使った。そして糸に「さわり」を作り、琵琶で用いる大型の「撥」を用いて、まったく違った音色を出している。日本では江戸時代からの伝統音楽と輸入した西洋音楽は並列的に存在しているのが特徴だ。
  • 現代日本の音楽を代表するのは、歌謡曲でその主流は演歌だ。
  • 絵画では遠近法ではなく、線の持つ表現力やニュアンスを重視した。声を装飾音をつけてから一本引きに長く引き最後に力を入れて音を下げる。書道でも「一」という字を書くのと同じだ。

絵画、彫刻という芸術分野、小説、詩歌などの文学では、近代になっても日本の伝統の復興運動が大きなうねりとなって活発であったが、音楽の世界は、西洋に押され続けてきた。そこからのパラダイムシフトを担った革命家が小泉文夫だった。古賀政男が日本のメロディの多様さは世界一だというなど、断片的には聞こえてくるし、最近のテレビ番組で世界中の人がカラオケで歌謡曲を唄っている姿を見聞きする。また、ユーチューブでも心酔したインドネシア若い女性が日本の歌を歌いこなして絶賛されている姿をみることもある。小泉は日本の伝統絵画の復活を仕掛けた岡倉天心横山大観の二人の役割の人だったのかもしれない。残念なことに56歳でその志半ばで世を去っている。

「とてつもなく魅力的で、迫力に溢れた人であったらしい」と広瀬大介教授(青山学院教授)が語っているように、小泉が育てた俊秀たちが活躍している。そして東京芸大は、小泉が収集した音楽資料のコレクションを「小泉文夫記念資料室」として1985年にオープンしている。この資料室が提供しているフィリピンの竹製楽器「バリンビン」、「ガバン」、インドネシアの竹製楽器「アンクルン」という楽器の演奏をユーチューブで聴いてみた。この人は音の民族学者だ。

岡田真紀『世界を聴いた男:小泉文夫と民族音楽』(平凡社) という伝記がある。「世界を聴いた男」というタイトルは小泉文夫の仕事を端的にあらわしているように思う。小泉文夫は音楽分野の革命児だ。活躍の頂点で突如世を去ったが、その志は受け継がれている。ここにも「日本とは何か」「日本人とは何か」という問題意識を持った人がいた。

 

小泉文夫『日本の音 世界の中の日本音楽』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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俯瞰と鳥瞰。

ものごとの全体を眺めることを俯瞰と言います。高いところから鳥の目で対象をでみるという意味で鳥瞰という言葉を使うこともあります。どちらも同じ意味ですが、大局的、広い視野という感じといえばわかっていただけるでしょうか。
山の上から地上の景色を眺めるとパノラマとして景色が展開することで感動することがありますが、仕事の場面ではなかなかそういう経験には遭遇しないのではないでしょうか。


見晴らしがよくない山路で、難路に足を取られながら、悪戦苦闘しているのが、私たちが職場で経験する姿でしょう。会社の全体像、抱えている問題や課題の全体像をパノラマのようにみることができたらいいと思いませんか。
私は2005年から全国の人物記念館を訪ねる旅をしてきました。またここ5年ほどは、日本のさまざまの分野で一流の仕事をした人物を対象に毎日その人の生涯と遺した名言をさがし、ブログやnoteに書きつけることをやっています。


この中で発見したことの一つは、彼らは俯瞰や鳥瞰という視点で仕事をしているということでした。以下、例をあげてみましょう。

 

政治家の田中角栄元首相は、「政治家として大切なことは、ものごとを鳥瞰的、俯瞰的にみることだ」と語っています。
ソフトバンク孫正義は、「自分は発案して全体を俯瞰する役割。いつもまず全体を考える」と語っています。
コンサルタント梅田望夫は「世の中を俯瞰して理解したい。関係性に興味がある。俯瞰してものを見て全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人はこれからの時代は有利になる」と総合的視点を持つことの重要性を指摘しています。
東大総長をつとめた小宮山宏は、「知の構造」の重要性を語り、実際に大学で「学術俯瞰講義」を展開しました。
セコム創業者の飯田亮は、私が取材した時に、「東京を俯瞰する高層ビルの最上階」から東京全体を見ていると語ってくれました。
平凡社を創業した下中弥三郎は、「分野全体をわしづかみ」にするという鳥瞰思考によって百科事典事業を成功させました。

 

芸能の世界でも同じでした。
女優の樹木希林は、「俯瞰で見ることを覚え、どんな仕事でもこれができれば生き残れる」「俯瞰で観るクセがついているので、わりと思い違いはないです」と述懐していました。
能楽師野村萬斎は、「狂言を俯瞰してみるために、、他のジャンルに挑戦している」と芸能の世界とそれ以外の世界についても挑戦することにしています。

絵描きたちはどうでしょうか。
鳥瞰図絵師を名乗った「大正の広重」こと吉田初三郎の画法は、一番多く「構図に時間を割く」とし、中心の周辺は湾曲させた独特の鳥瞰図絵で人気を博しました。
現代の大和絵画家の山口晃は、「超絶的な鳥瞰図法」で、中世、近世、現代という広大な時間と空間を配置した大いなる鳥瞰図を描いています。
イラストレーターの真鍋博は、鳥瞰的視点で「絵地図から国家計画まで」ジャンルを軽々と越えていきました。複眼、データ、数字、記号を用いると結論をひきだしてしまうとし、虫の目もさることながら、全体、昨日今日より明日を見る鳥瞰的視点を大事にしました。。
不染鉄はマクロの全体構造にミクロの細部を組み合わせる画法でした。代表作の「山海図絵(伊豆の追憶)」では富士山、日本海、太平洋を描きながら、伊豆近海で泳ぐ魚も描いているなど、俯瞰と接近の相まった独特の視点、マクロ視点とミクロ視点の混淆の絵を残しています。
画家の横尾忠則は、「超越者の視点」を得たいといっています。そして「たまに寝込むと、世の中を俯瞰して見ることができる」とtwitterで発信しているのです。
安野光雅は俯瞰的な風景画を描き人気がありましたが、顕微鏡でようやくわかる細部にイタズラ心がありました。
写真家も同様です。白川義員は「〇〇鳥瞰」というタイトルの写真が多い人です。「天地創造」という最後の写真集は神の目も感じる出来栄えです。

 

学者たちは」どうか。
心理学者の宮城音弥は、「心理学の鳥瞰図」を意識した傑作を上梓していいます。
考現学者の今和次郎は、透視図と俯瞰図という手法を使って現代を描くという優れた仕事をしました。
歴史学者の磯田直史は、「司馬遼郎で学ぶ日本史」という司馬の全作品を鳥瞰的に論じた納得感の高い本を書いています。。
文芸評論家の加藤典洋の「戦後入門」は、高い山から100年前の1914年の第一次大戦から鳥瞰した名著です。

 

詩も同様です。

作詞家の阿久悠の「日記力」を読むと、時代、変化、アンテナ、数字、観察、名前、メモ、短歌などを一日一ページの日記を毎日書き続けて、時代を俯瞰しながら優れた詩を書きつづけました。

詩人の谷川俊太郎は、「詩というのは俯瞰して、上からいっぺんに「今」を見ようとする」と詩の本質を説明しています。そして、全世界を1枚の図にあらわす「曼荼羅のすみっこみたいな、それが詩じゃないか」といいます


以上にみるように、ジャンルにかかわらず、優れた仕事師たちは、「鳥瞰」「俯瞰」という視点を持っているという共通項があるようです。

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「名言との対話」3月27日。篠田桃紅「自分はゲテモノですが、まがいものではないつもり」

篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲1913年3月28日 - 2021年3月1日)は、日本美術家版画家エッセイスト。107歳で亡くなったセンテナリアン。

中国・大連生まれ。5歳の頃から父に書の手ほどきを受けて墨と筆に触れ、以後独学で書を極める。戦後、文字を解体し、墨で抽象を描き始める。

1956年単身渡米、ニューヨークを拠点に、ボストン、シカゴ、パリなどで個展を開催し、欧米のアートシーンを牽引。1966年来日したザ・ビートルズは宿泊ホテルに飾られていた桃紅作品に感銘を受け、同じ筆を買い求めたという。

2005年「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。建築に関わる仕事や東京・増上寺大本堂の襖絵などの大作、装丁、題字、ベストセラーとなった著書など、活動は多岐にわたり、作品は国内外に多数収蔵されている。

100歳過ぎてからの著作が多い。『桃紅百年』『百歳の力』『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』『一〇三歳、ひとりで生きる作法 老いたら老いたで、まんざらでもない』『人生は一本の線』『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』。

『百歳の力』集英社新書、2014年6月を読んだ。名言の宝庫だった。

プロとしての心構えを教えてもらおう。

  •  高村光太郎の「僕の前に道はない」という詩をいつも心に思い浮かべていた。自分には道というほどのものはないが、作品がある。
  • 作るということは、続けるということです。道と同じ、ここで終わるということがない。道は山と違って延々と続いている。
  • プロというのは、どんなときでもそれをやり抜いてびくともしないでやっているものです。それが一流の仕事人。甘えたり、引きずっているようではだめです。

次に、墨をつかった抽象画の世界を教えてもらおう。

  • 自分の好きな歌を自分流で書いた。根無し草と酷評されたが、根があったら才気煥発になれないと思った。楷書の一部をとてカタカナにし、漢字のくずし字をとってひらがなをつくった。
  • 抽象画は想像する芸術。具象は見てわかる、理解するもの。抽象は理解するものではなく感じるもの。想像力を誘いだす。
  • 墨はいつも裏切ります。人生を芸術的に表しているのが、墨の芸術です。手なずけられない。墨には幅がある。墨は粒子が細かくて軽いから水にあたるとどういう動きになるか予測がつかない。墨は火でつくられて、水で生きる。富士山と同じ。墨の線は私の心のあちです。私が消えても作品はこの世に残る。つくったものが、私という人の「あと」です。一本の線一本の線が一期一会です。独創性を得るためには、考え方や生き方を自由にする。自由な気持ちを持つ。
  • 日本の文化は老いの芸術が多い。邦楽、落語、日本舞踊、歌舞伎、能。花時が短くない。自分はゲテモノですが、まがいものではないつもり。

次に、百寿について語ってもらおう。

  • 「こんなに長く生きるとは思わなかったから、この身の処し方は、参考にする人がいなくて戸惑います。百歳以上生きて仕事を続けている人は、ほんとうに少ない」「人生というものをトシで決めたことはないです」「長生きの秘訣はトシのことを考えないこと。忘れているんですよ」「いつ死ぬかなんていう不安を持つと、かえって体に悪いんじゃないかしら」「自分というものを表現する場を持っていることは、精神衛生上、非常にいいのかもしれない」。
  • 祖父は頼山陽の三男の弟子で頼治郎と命名してもらった。明治元年生まれの父は夏目漱石と同い年だった。桃紅が生まれたのは大正モダンの大正初期。それから107年という計算になる。山中湖に家を持った。1707年の富士山の宝永大噴火のあとに生えたカラマツの林は、北斎の浮世絵では緑色の点々だった。山中湖に家を建てたときは自分の背より少し高いくらいだった。今では見上げるような高さになった。富士山との付き合いも長い。この2つのエピソードは、100年以上生きることの凄みを感じさせる。

 この本には 「自由」という言葉が何度もでてくる。まるで口ぐせのようだ。生い立ち。美しいと感ずる感覚は生い立ちにある、母の袂をみて美しいと感じた。出会い。北村透谷の未亡人のミナ先生、疎開先の女医の先生、尊敬する北斎などが出会いだ。43歳でのアメリカ行きの機会を得た出来事は運がよかった。珍しかったから水墨は有利だった。そして価値観は「自由」だ。「私は自由です。自らに因って生きていますから」「結婚してよその家に依って生きることが恐かった。そのなかに入れば、自由はない」。だから生涯独身だった。「性格が一切です」と断言するようにそのとおりの生涯だった。

作品をつくることだけ。描けなくなったら、終わる。作品をつくりたいので生きています。百歳を過ぎて初めて描けたというものができればいちばんありがたい。人間としてやることはもう全部やっちゃったみたい。

篠田桃紅は2021年3月1日に107歳で亡くなった。関市立篠田桃紅美術空間岐阜県関市)、篠田桃紅作品館(新潟県新潟市)など、名前を冠した美術館もすでにある。2021年4月から横浜のそごう美術館で、「篠田桃紅展 とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち」が開かれるので行くつもりだ。篠田桃紅の作品と生き方をみる機会としたい。

 

百歳の力 (集英社新書)

百歳の力 (集英社新書)

  • 作者:篠田 桃紅
  • 発売日: 2014/06/17
  • メディア: 新書
 

 

 

 

 

 

 

日経新聞に「全集」第2巻の広告。午前はヨガと「天命」考。午後は乞田川の花見。

日経新聞に 『図解コミュニケーション全集』第2巻「技術編」の広告。

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朝:ヨガ。「天命」考。

午後は、乞田川の桜並木見物。

夜は、深呼吸学部。田原真人、高野雅晴、平野友康のリレー。マネジメントの次? NFT、高度情報社会の触れ合い革命。、、動画のリアルタイム文字起こしソフト。

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「天命」考。

中村哲緒方貞子。安川第五郎。辰野隆田中角栄。長谷川保。二上達也菊村到いわさきちひろ。吉田敏夫。石田梅岩。今泉俊光。易性革命。池田勇人福田赳夫高山彦九郎孔子澤田美喜栄久庵憲司本多静六牧野富太郎。黒住宗忠。緒方貞子中川一郎大山康晴。以上、25人。

 「名言との対話」12月4日。中村哲「我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである」|久恒 啓一|note

「名言との対話」10月22日。緒方貞子「国の内外を問わず、自分で歩いてみることを、若い世代にすすめます」|久恒 啓一|note

「名言との対話」 6月25日。安川第五郎「至誠通天(至誠天に通ず)」|久恒 啓一|note

「名言との対話」 2月28日。辰野隆「いくら読んでもあまり利口にもならない書物を、畢竟、忘れる為に読みます」|久恒 啓一|note

田中角栄記念館ーー日中国交回復秘話「一命を賭す」「天命」「出家」「肝胆相照」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

特別展「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅」(東京国立博物館平成館) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。長谷川 保。

誰をロールモデルにしますか? 志賀直哉。藤原⽞信。ダ・ヴィンチ。大山康晴。夏目漱石。⽯塚運昇。ナイチンゲール。ファルカン。ナポレオン。⾦⽥⼀京助。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。二上 達也

仕事の報酬は仕事である---私の本棚 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。菊村 到

朝:学部の授業「立志人物伝」。昼:「トレンドウオッチャー」録画。夜:大学院の授業「立志人物論」。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.いわさき ちひろ

田町で「吉田敏夫さんをしのぶ会」。東京ステーションギャラリーでシャガール展。丸の内の日本興業倶楽部で坂村健先生の講演「オープンIOTの考え方と実践。IOTからIOSへ」。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

モンゴル訪問団ーーウランバートルのチンギスハン空港に到着。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.石田 梅岩.

今泉俊光刀匠記念館--「刀を作るほか、ちっとも考えん」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「韃靼疾風録」(下)から。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。易姓革命 

多摩大大学院の修士論文のテーマ一覧。多彩な実学の魅力。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。池田勇人 

久恒啓一の「名言との対話」の第6回は、「阿久悠」。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。福田赳夫

新井白石「西洋紀聞」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。高山彦九郎。

多摩大リレ講座:寺島学長「17世紀オランダからの視界―近代とは、、 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。孔子。

リレー講座:藤原帰一「アメリカ大統領選」−−トランプは勝てない - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。澤田美喜。

大分市の「出あいの村」でミニ講演。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。栄久庵憲司 

「横田達之 お酒の話---日本酒言いたい放題」(武蔵野書院) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。牧野富太郎 

黒住教の神道山を訪問---教祖は黒住宗忠 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「邪馬台」での連載---「読書悠々」-歴代総理編・最終回。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。村山富市。

「鳳が翔く--栄久庵憲司とGKの世界」展(世田谷美術館) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「リベラル再生の基軸」から - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」。本多静六 

暗黙知、身体知、実践知、、。野中郁次郎の知識創造経営論 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

緒方貞子--難問と大問題に挑み続けた小さな巨人 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」.。

中川一郎記念館(広尾町)---「真実一路」「寒門に硬骨あり」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

大山康治将棋記念館 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

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「名言との対話」3月27日。三好京三「人間は奉仕の精神を少しずつ身につけながら、神に近づいて行くのだと思うのである」

三好 京三(みよし きょうぞう、1931年昭和6年)3月27日 - 2007年平成19年)5月11日)は、小説家

岩手県生まれ。旧制中学2年のころから小説家を希望する。僻地の小学校の助教諭をつとっめながら慶應義塾大学文学部を通信教育で卒業する。

友人のきだみのるの11歳の娘を養女とすることになった。きだみのるは生涯をかけて漂流に身をまかせた怪人で、娘も連れて歩いていた。 結婚して20数年子どもがなくあきらめた銀婚式のところに突如中学生の娘があらわれたのだ。

その子が高校3年生になったとき、思春期の娘の人生論にかかわってゆくことができるから、元国語教師で小説書きの三好は「交換日記」をやろうと考える。この経緯を知りした三好京三・佐々木千尋三好京三の娘と私』(講談社)を読んだ。

受験生の娘。「大学に行く」「専攻」「選択と挑戦」「逃げ道」「時間」「まどい」「悩みと救い」「友情」「人間関係」「自立」「独り暮らし」「文化」、、、。

受験生の父。「閑居と不善」「宗教・哲学」「やる気と持続力」「自分のリズム」「偏りとバランス」「間違いと惰性」「七難八苦」「快刀乱麻」「たゆまざる精励」「決意」「自己嫌悪」「模倣と剽窃」「ことばと人間」「人生」「危惧と自信」「個性」「賢い解決」「計画性」「孤独」「憧れ」、、、。

思春期の娘の心のゆらぎに対する、父の答えは教師らしい匂いに満ちている感じがするし、修身の授業のような言葉は負担に感じたこともあるだろうが、人生の何たるかを必死で伝えようとする父の姿は真摯で感動的だ。

それを材料に1974年『子育てごっこ』を発表すると、ブームを巻き起こし、文学界新人賞と同時に直木賞まで受賞し一気に文壇にデビューすることになった。その後、三好は自らの教員体験を生かした作品や、郷里東北を舞台にした小説を手がけるていく。「分校日記」「女人平泉」「女教師―三色すみれ」などの教員体験や東北をテーマとした作品が多い。

三好京三という名前と『子育てごっこ』という書名はもちろん知っていたが、作品は今まで手にしたことはなかったが、『娘と私』は三好の人となりや人生観がよくわかる作品だった。

この『娘と私』の「エピローグ」では、受験は楽しいものだ、なぜなら未来を向いているからだと語ってる。このあたりは受験生を持つ親たちは共感を持っただろう。また子どもより親が大事、そして親よりも子どもが大事、そして仲良きことは美しき哉と述べている。自分のため、家族のために生きることが大事だという。

そして「人間は奉仕の精神を少しずつ身につけながら、神に近づいて行くのだと思うのである」と書いている。これが子育ての経験から三好京三が獲得した境地だろう。

 

 

 

 

 

 

k-hisatune.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

東京の「企業ミュージアム」から。

2005年から続けている「人物記念館の旅」は、2020年はコロナ禍で、わずか18館にとどまったものの、942館まで積み上がってきました。

当面の大目標である1000館に向けて、気分を一新し東京の「企業ミュージアム」を中心にめぐることにしたいと思います。

こういった企業ミュージアムは、整備された施設と展示が多く、また昨年訪問した帝国データバンク史料館、日銀貨幣博物館、世界のカバン博物館、カルタ館にみるように、必ず歴史のコーナーがあり創業者の苦難の道が展示されています。

企業ミュージアムも「人物記念館の旅」の範疇ととらえ、日本経済についても考える機会としたいと思います。

まずは、東京の「企業ミュージアム」42館から。墨田区、港区、千代田区に多いことがわかりました。

東京の美術館の人物展。11。

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全国企業博物館ガイド行きたい! 企業ミュージアム (イカロス・ムック)

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「名言との対話」3月26日。山崎正和「国語教育こそ愛国教育である」

山崎 正和(やまざき まさかず、1934年昭和9年〉3月26日 - 2020年令和2年〉8月19日)は、日本劇作家評論家演劇研究者。

京都大学文学部哲学科卒。1963年、『世阿弥』 で第9回岸田戯曲賞受賞。 1964年からエール大留学に留学。関西大教授、大阪大教授などを経て、2000年亜細亜大学学長。文化功労者、文化勲章受章。日本芸術院会員。

野望と夏草』 (1970) 、『実朝出帆』 (73) などの史劇、『劇的なる精神』 (66) に始る評論活動も多彩に展開した。著書に『劇的なる日本人』 (71) 、読売文学賞受賞の『鴎外 闘う家長』 (72) 、『不機嫌の時代』 (76) 、『柔らかい個人主義の誕生』 (84) などがある。

文化的保守主義を標榜し、」1990年代には、「脱亜入洋」(洋=オセアニア)論を提唱した。 「人生10年先送り」論。定年退職年齢を70歳まで延長し、大学卒業者の就職年齢を30歳前後まで遅らせる「人生10年先送り」論を提唱した。

深い学識と広い視野から生れる文明への鋭い洞察の持ち主で、マスメディアの寵児だった。梅棹忠夫などそうそうたる文化人との対談も多かった。

発刊当時に話題になった『柔らかい個人主義』は私も読んでいる。成熟した個人主義に基づく近代社会の構築を提唱しており、企業メセナボランティアの概念を日本に普及させた当事者の一人だ。阪神・淡路大震災で活躍した市民ボランティアを、強制も束縛もない緩やかなネットワーク活動であり、「現代日本個人主義の成熟を示した」と分析し、「柔らかい個人主義」の実現と高く評価した。

山崎正和「柔らかい個人主義」や蝋山晶一の「強い、安定した、自由な個人」は形成されたのだろうか。コロナ禍でインフラとなったZOOMでは、世代間交流と異空間交流が活発になった。その可能性を拓くことになるかもしれない。

今回、山崎正和『文明としての教育』(新潮新書)を読んだ。中央教育審議会会長による教育論で興味深く読んだ。

  • 教育とは、経験の仕方や経験の方法論を教えるものです。
  • 教室は経験の場ではなくて、練習の場なのです。
  • 身を修めるを趣旨とする「生涯学習」は、「平板な繰り返しの日常をあえて価値的な登り坂として受け止める思想」だ。
  • 義務教育は、必要な知識と思考能力を与え、自分で自分の意欲と可能性を発見する準備をさせることにある。個人の自己実現を援けるサービス。
  • プラトンの人生5段階説(初めは読む・書く・算術を学ぶ少年期、最終は哲人)。孔子は6段階説(立志から)。世阿弥の三段階説(若年の初心、時々の初心、老後の初心)。受け身ではなく、覚悟を決めて生きこなすものとしている。
  • アテネ初等教育は「読み・書き・算術」。中等教育はの主眼は、音楽(祭典用)、体育(防衛用)。兵役を終えた後の高等教育では、弁論術、修辞学、数学、哲学を学ぶ。この段階では自発的な学びとなる。

 そして「国語教育こそが実は愛国教育なのだ」と言い、そのためには朗読と暗唱が不可欠とする。そして戯曲こそ作家が推敲を重ねた書き言葉であり、役者が身に着ける話し言葉だとする。その主張の焦点は「国語教育」の重視にあった。

2020年8月に亡くなったが、今回のコロナを目撃しており、「今回の経験が伝統的な日本の世界観、現実を無常と見る感受性の復活に繋がってほしい」と語っている点も見逃せない視点だ。 

文明としての教育 (新潮新書)

文明としての教育 (新潮新書)

  • 作者:山崎 正和
  • 発売日: 2007/12/01
  • メディア: 新書
 
 

 

 

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「〇〇」考

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今年はエッセイ的な文章をときおり書くことにしています。「ライフワーク」というテーマででnoteとブログに書いた文章をならべてみました。

「名言との対話」3月23日。村松剛「私たちの心の中にも、アイヒマンはいるはずなのです」|久恒 啓一|note

『ドアノー 音楽/パリ』展ーー「とにかくつづけるよう指示してくれたのは、ただ漠然とした予感だけだったのである」。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

白川義員「天地創造」ーー前人未踏の写真撮影の偉業。VRChatのワールドも天地創造だ。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」3月8日。金子辰雄「私には761のふるさとがあります」|久恒 啓一|note

「名言との対話」3月7日。藤原 審爾「寝るヒマがあるくらいなら、勉強しなよ」|久恒 啓一|note

「名言との対話」2月13日。フランキー堺「一生けんめいとか必死なんてえのは、能なしの甘えの言葉だ」|久恒 啓一|note

「複製芸術家 小村 雪岱 装幀と挿絵に見る二つの精華」展(日比谷図書文化館) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」1月14日。三島由紀夫「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」|久恒 啓一|note

「名言との対話」1月9日。西沢爽「日本近代歌謡の実証的研究」|久恒 啓一|note

「名言との対話」12月31日。渥美和彦「創意、創作に燃えている人は、長生きする」|久恒 啓一|note

渡辺京二(90歳)のZOOM講演「寄る辺なき時代を生きる」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「超絶技巧を超えて 吉村芳生」展(横浜そごう美術館)--鉛筆画の巨匠 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」11月15日。堀淳一「地図さえ持っていれば、どんな道の土地でも、自由に歩き回ることができ、思うところへ行くことができる」|久恒 啓一|note

「名言との対話」(戦後命日編) 10月19日。上野季夫「1年生のつもりで天体物理学の勉強に取り組みたい」|久恒 啓一|note

「名言との対話」 2月19日。埴谷雄高「(ライフワークは)完成しなくていい」|久恒 啓一|note

西和彦『反省記』を読むーーピラミッドの建設へ - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」 」7月8日。荒垣秀雄「対岸の火災、近火、至近弾」|久恒 啓一|note

追悼! 外山滋比古先生逝くーー「知的生活」を貫いた超老人。享年96。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」6月30日。柴田錬三郎「戯作者と自負するものこそ真の文学者だ」|久恒 啓一|note

「名言との対話」(戦後命日編)6月11日。長谷川伸「ま、いっしょに勉強しましょうよ」|久恒 啓一|note

「全集」が進行中:寺島実郎さんの推薦文。ゲラのチェック。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」 5月24日。大宅昌「人が己に対して冷たいと思う前に、己が人に対しどれほどの温かさをなげているか」|久恒 啓一|note

「名言との対話」 4月30日。大佛次郎「僕は他の人間のように固まってしまってはいない」|久恒 啓一|note

「コロナ生活の間に本を読もう! #7日間ブックカバーチャンレンジ」3日目。再生産指数を2以上にするオーバーシュート作戦を開始。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」 4月10日。黛敏郎「日本のオーケストラが日本人の作品を演奏しなくてどうする」|久恒 啓一|note

「名言との対話」3月24日。 岡村昭彦「今日は、どんな発見がありました?」|久恒 啓一|note

「名言との対話」3月12日。 上原正吉「奉公人根性を去れ」|久恒 啓一|note

「名言との対話」 2月19日。埴谷雄高「(ライフワークは)完成しなくていい」|久恒 啓一|note

「名言との対話」 2月14日。山本周五郎「苦しみつつ働け、苦しみつつなほ働け、安住を求めるな。この世は巡礼である」|久恒 啓一|note

日銀貨幣博物館ーー古銭収集家・田中啓文のライフワークから始まった物語 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

ライフワークは完成しない - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

横浜そごう美術館の「ミュシャ展」ーー究極のライフワーク「スラヴ叙事詩」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」12月12日。内藤寿七郎「育児の基本はまなかい(目と目を交わす)にある」|久恒 啓一|note

リレー講座:吉田大輔先生(メディアラボ代表)。「民主主語はインターネットを生き残れるか」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

柴生田俊一『子ども地球歳時記』(日本地域社会研究所)ーー日本の俳句から世界のハイクへ - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

知研東京セミナー:山本勝彦「週末はギャラリーめぐり」ーーー自分の目で絵を見よ! - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

リレー講座:柯隆先生(東京財団主席研究員)「米中貿易戦争の政治経済学とチャイナリスクの制度分析」。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

8月21日。 平松守彦「リンケージ(人々とのふれあい、つながり)こそが究極の生き甲斐なんですよ」|久恒 啓一|note

八木哲郎『中国と日本に生きた高遠家の人々』ーー著者畢生のライフワークが長く読み継がれることを願う - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

東京芸大美術館『丸山応挙から近代京都画壇へ』展。ーーー応挙は革命を起こした。呉春は師二人の融合を試みた。栖鳳と松園は伝統を統合し新たな一派、新しい日本画を志した。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

『不思議な宮様 東久邇宮稔彦王の昭和史』。大学、東銀座、荻窪。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

東京国立博物館の「奈良大和四寺のみほとけ」展。国立西洋美術館の「松方コレクション展」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

開高健記念文庫(杉並区井荻)から新宿中村屋へのカリーツアー。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

『江藤淳ーー終わる平成から昭和の保守を問う』 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

ポッドキャスト番組収録。多摩大総研ミーティング。化学工業会からの講演依頼。知研の高橋副理事長。学長と面談。リレー講座は寺島学長「日本の経済・産業・社会構造の変化」。ジムでひと汗。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

田沼武能写真展(世田谷美術館) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

2019-04-13 世田谷美術館の『田沼武能写真展ーー東京わが残像1948-1964』。清川泰次記念ギャラリーの「具象から抽象へのあゆみ」展 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

隣の多摩大学総合研究所へ移動。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

新著『新・深・真』が「セブンネットショッピング」でランク入り。歴代天皇の詔勅集を読了。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

知研フォーラム」343号が届いた。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

年末年始に向けて - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

昭島市まちづくり企業サミットでコーディネーター役。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

午前:多摩。午後:湘南。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「ビジネススクエア多摩」企画運営委員会。大分合同新聞に講演の記事。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

podcast『偉人の名言366命日編~人生が豊かになる一日一言~』、リスナー数は3285人。ダウンロード数は35744(10月)。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

公開講座は良峯先生「脳波」。リレー講座は渡部恒雄「中間選挙を前にしたトランプ政権の動向」。大学院運営委員会。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

『井伏鱒二 サヨナラダケガ人生』(川島勝) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「ふるさとの駄菓子--石橋幸作が愛した味とかたち」展。仙台の飴屋「石橋屋」の二代目のライフワーク。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

8月の大学院教授会(品川) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「大いなる多摩学会」--理事会・総会・研究プロジェクト発表会・懇親会 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

話題の「舞浜倶楽部」(介護付き有料老人ホーム)を見学--食事と音楽と人間関係。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

中村八大『ぼく達はこの星で出会った』(黒柳徹子・永六輔編。講談社)--早熟の天才の嘆きが聞こえる - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

厳島神社、宝物館、清盛神社。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

大学院「インサイトコミュニケーション」の6回目の授業--日本・韓国・中国の高齢化事情 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

会議二つ--アクティブラーニングと入試「質」対策 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

インターゼミ(社会工学研究会):研究計画発表会を開催。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「大名茶人 松平不昧」展--「人生70年古来まれなり 苦40年 楽15年」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

多摩大学・高大接続アクティブラーニング研究会の2018年度の第1回を開催。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

本日の東京新聞・中日新聞の「遅咲きの人 伊能忠敬的生き方」特集にインタビュー記事。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「日経ビジネスアソシエ」5月号にインタビュー記事「遅咲き」。昭島市と多摩大学の連携に関する協定の締結式」。グローバルスタディーズ学部運営委員会。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

学内最高の位置にある「物見の塔」で桜観照の会。聚楽第、天守閣での酒盛り。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

人事委員会と学部運営委員会。カンカンガクガク、、。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

T-Studioで2本の番組を録画:「ポッドキャスト」と「平成命日編」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

新しいこと。iPhoneXを使い始めた。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

品川で大学院教授会。竹橋の東京国立近代美術館。九段でインターゼミ。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「名言との対話」第26回「土屋文明」をリリース - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

服部敏良『事典 有名人の死亡診断 近代編』 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

午前はFD/SD研修会。午後はインターゼミ。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

モンゴル訪問の旅の総括 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「全国地域リーダー養成塾」(一般財団法人地域活性化センター)で講演--「説得から納得の政策形成へ」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

土屋文明--「我にことばあり」。100年人生の模範。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

土門拳記念館再訪 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

大館松下村塾にて講義と演習。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

浅川保「石橋湛山」を読了。多摩大フットサル部、まずは東京で優勝、今年は全国制覇を! - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

ミュシャの「スラブ民族叙事詩」--50才からの16年をかけた畢竟のライフワーク - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

学内で授業・ラジオ・ミーティング。学外で出版関係者と懇談。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

湯浅八郎記念館(国際基督教大学博物館) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

伊藤元重『東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと』 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

井上智洋「人口知能と経済の未来」(文春新書) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

秋田大館の松下村塾。知研の島根支部、、、。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

野田宇太郎展 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

 

三越・伊勢丹の大西社長の講義。リレー講座は学長。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

琉球新報のトランプ政権を睨んだ沖縄基地に関する報道を読む。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

日本私立大学協会「教育学術充実協議会」に出席 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

経営はリズムだ。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

文藝春秋11月号---小池劇場 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「読書悠々」のテーマ - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「文字の博覧会」−−−印刷人・中西亮のライフワーク - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

アダム・スミスの幸福論--仕事、健康、借金、精神 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

歌川広重「六十余州名所図会」と「名所江戸百景」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

荻野吟子記念館ーーー日本の女医第一号 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

初出勤---ペッパー君と初面会 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

漱石忌 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

荒俣宏監修「知識人99人の死に方」--死生観、遺言 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

昭和のまち。母の米寿のお祝いの会。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

八木哲郎さんのライフワーク第2弾「義兄弟」が完成 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

超老人・外山滋比古先生91歳の生活リズム - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

渡辺豪『「アメとムチ」の構図--普天間移設の内幕』沖縄タイムス社 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

金子兜太「語る兜太----わが俳句人生」--反骨の俳人 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

大田昌秀・佐藤優「徹底討論 沖縄の未来」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

八木哲郎さんのライフワークが完成。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

竹内洋「革新幻想の戦後史」(中央公論新社) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

久保田一竹美術館 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「ガウディ」展--神は完成をお急ぎではない - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

服部龍二「大平正芳 理念と外交」--だえんの哲学と永遠の今 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「よもやま話 素顔の諭吉」(福田一直)を楽しむ - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

独学の人・「昆虫記」を書いたファーブルの91年の生涯 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

ファーブル昆虫館。東洋文庫。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「図解思考が自らの未来を救う」(雑誌・BUAISO)に取材記事 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「社会につながる日常の風」を歌う - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

諸橋轍次らの一世一代の「大漢和辞典」プロジェクト - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

リレー講座の講師は「女性の品格」の坂東真理子さん--「人格の陶冶」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

臼井吉見-自己教育の中核は、自分と異質な人間との対話です - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

仙台のカメイ美術館(亀井文蔵。昭伍)。宮城県美術館で松本竣介展。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

手塚治虫「火の鳥」-壮大な構想と現代人への宿題 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

二大政党制の結末--「日本近代史」(坂野潤冶) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「地上最大の手塚治虫」展--17歳の志を実現した大いなる人生 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

徳島県立鳥居龍蔵記念博物館を先日訪問した。 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

我にことばありけり何か嘆かむ--100歳の長寿歌人・土屋文明 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「群れない、慣れない、頼らない」(日本画家・堀文子) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

難病ATLから復帰した浅野史郎さんの「見立て」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「土門拳の古寺巡礼」二つの視点がぶつかった時がシャッターチャンス - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「柳田国男と梅棹忠夫」(伊藤幹治) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「肥前磁器の華 伊万里 柿右衛門 鍋島」展(根津美術館) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

関東大震災に遭遇した先人の風景 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

大学院の「実践・出版プロジェクトマネジメント」に受講者殺到 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

関東大震災と先人の教訓--復旧ではない、復興だ - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

人生は、、。ただ不愉快に服役すると欣然として服役する、(蘇峰) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

NGOの女性幹部が来訪、日刊ゲンダイの女性記者から取材を受ける - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

特別コーナー三島由紀夫−没後40年・生誕85年(神奈川近代文学館) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「多彩型」と「一筋型」の11人−−「遅咲き偉人伝」から - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

長寿化社会は遅咲きの時代である - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「総合力」と「継続力」−−塩野七生{日本人へ リーダー篇」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「知る者、好む者、楽しむ者」−宮脇俊三の「鉄道紀行」人生 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

リンボウ先生(林望)のライフワークへの戦略的取り組み - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

「男女ものでいいんだ。生涯これを書いていこう」−−渡辺淳一 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

有島武郎旧邸、関口雄揮記念美術館を訪問(札幌) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

徳富蘇峰が34年をかけて書いたライフワーク「「近世日本国民史」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

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棟方志功記念館 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

藤田喬平美術館 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

2010年問題 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

早稲田大学 坪内博士記念演劇博物館(坪内逍遥)--「未だ他の為さざることをなす」 - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

安芸高田市(広島県)で講演(教育委員会主催) - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

 

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「名言との対話」3月25日。林周二「実学志向の強弱は、それに携わる人々の呼称に「ist」がつくか「er」がつくかでわかる」

林 周二(はやし しゅうじ、1926年3月25日 - )は、日本の商学者経営学者統計学者

東京生まれ。旧制福岡高等学校を経て、1948年に東京大学経済学部商業学科(現・経営学科)を卒業後、東京大学大学院経済学研究科特別研究生。東京大学教養学部につとめ1966年に教授。東大を定年退官後、1987年静岡県立大学で新設の経営情報学部の初代学部長に就任する。その後、明治学院大学経済学部教授、流通科学大学特別教授に就任する。

中央省庁審議会の委員や、日本国有鉄道の顧問に就任するなど、各種公職も歴任している。

専門経営学であり、特に流通論統計学に関する研究を行った。旺盛な著作活動で知られ、流通論や統計学に関する学術書を多数上梓している。さらに高等学校の教科書の執筆も行った。

日本経済における流通の重要性を早くから学問的に指摘した1人であり、1950年代から、推計統計学を駆使した科学的なマーケティングリサーチの手法の有用性と必要性を提唱。1970年代後半からは、経営組織論経営管理論情報管理論へと関心を拡大した。

流通革命――製品・経路および消費者』は、1960年代ベストセラーとなった予言書だ。大丸最高経営責任者J.フロント リテイリング社長を歴任した奥田務は、学生時代にこの本に感銘を受け、大丸への就職を決意するなど、大きな影響を与えた。

以下、林周二の言葉から。

・(よい)経営戦略には「バカな、なるほど」が必ず含まれている。

実学志向の強弱は、それに携わる人々の呼称に「ist」がつくか「er」がつくかでわかる。サイエンティスト、エコノミスト、、エンジニア、マーケター。

・小売業は立地産業だ。

時代や分野が違うこともあり、この人の本をうかつに手にしたことがなかったのは残念だ。以下、多数の著書の中から関心を持ったものを選び、「BOOK」データベースの内容説明を記す。専門分野の本以外の本も面白そうだ。

『現代の商学』(有斐閣)。流通研究のパイオニア:林教授が10年の沈黙を破って書き下ろした久々の意欲作!!21世紀へむけて実学としての新しい商学の理論体系を展開する。“商学総論”講義のテキストとして最適。 

『明日の開拓者たちへ』流通科学大学出版)。「自らを磨かずして何も生み出すことはできない。学問の世界もビジネスの世界もデスマッチのリングだと思え…。明日の開拓者たちへ贈る想い」。大学の研究者たちへの熱いメッセージだ。

『智恵を磨く方法ーー時代をリードし続けた研究者の思考の技術』(ダイヤモンド社)。「自分で考える力」の鍛え方。「知恵」を語り尽くした一冊」。ベストセラーや名著を世に送り出してきた90歳の著者の知恵と思考についての方法論、技術論は興味深い。

比較旅行学―理論と実際』(中央公論社)も林の著書である。「人生は一個の旅である。旅は比較体験の重ねと蓄積により効用を著しく累加させる。本書は、比較旅行へのいざない、旅行・比較旅行の効用、比較旅行のあれこれ、比較旅行のノウハウなどで比較旅行学の理論を示し、アジアとインド洋の国々の旅行録で実際を示す」と紹介されている。「比較」という方法を用いて旅行の理論に挑戦した本のようだ。

『研究者という職業』(東京図書)では、「流行のテーマを追うのでなく、自身が本質的に考える主題に取り組むならば、研究者は生涯かけてその研究生活を楽しむことができる。問題は発想の泉を涸らさないことだ」。50年を超える研究生活の結論は何だろうか。

以上、眺めてみると、林周二と学者は真正の知的生産者であり、その自覚が強い人だ。知識よりも知恵を獲得する工夫、自分で考える力の鍛え方、自分を磨く意識、新しい領域へ向かう勇気、発想の泉を涸らさない方法、実学の精神、高齢での出版を含む旺盛な発表活動など、本日の誕生日で95歳となる林先生は生き方のモデルとして励みになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以下、削除。

k-hisatune.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図解塾のテーマは「日本文化」ーー「生け花。囲碁。浮世絵。神道。わび・さび。マンガ。落語」

本日の図解塾のテーマは「日本文化」でした。裏番組(田原真人さんの「出現する参加型社会」ド読書会が強力なので、参加者は少なめでしたが、その分充実した内容となりました。図解の発表と批評を行ったのは、「生け花。囲碁。浮世絵。神道。わび・さび。マンガ。落語」でした。

「和歌。能。文楽。茶道。禅。歌舞伎。俳句」については、またの機会にしたいと思います。

f:id:k-hisatune:20210325072624j:image

以下、ブログに書きこまれた塾生の感想。

  • 今夜も濃い時間をありがとうございました。改めて、この歳になるまで日本文化について無知であったことを思い知らされました。これまでに、本やさまざまなメディアで文化に関する多くの文章を読んできたはずですが、表層的で、「わかったつもり」になっていたり、分からないところは無意識のうちに見て見ぬふりをしていたのだと思います。図解は一見ソフトですが、文章で表すよりもごまかしが効かないということが実感できました。最初の、プロフェッショナルと言える人たちの共通項を「俯瞰と鳥瞰」だと読み解いてくださったのも感動的でした。俯瞰的・鳥瞰的に物事を見る見方というのは、どうしたら育つのかな、ということを考えました。学校教育でいえば、これまでは細かい断片的な知識を一方的に教師が詰め込む授業でした。しかし、総合的な見方や考え方を身に付けることが求められています。今日、現在の中学2年生が大学受験をするときの共通テストの科目が発表され、サンプル問題も提示されました。例えばこれまで「日本史」と「世界史」は別でしたが、今後は「歴史総合」となるように、教育界でも総合化が進みつつあります。
  • 今日は田原さんの『出現する参加型社会』の読書会キックオフなどとかぶっていたりで、YAMI大縁の方など、参加者少な目でしたが、その分、お一人お一人の図解のプレゼン・説明や感想をゆっくりお伺いすることが出来、本日も濃厚で素敵な、勉強になる濃密な時間でした。みなさんがお話されるときの、それぞれの主題や主題の合間などでのちょっとした(いや、ちょっとした、ではないのですが)コメントや言葉に感じられる、雑学的×専門的見識の深さにも感嘆しましたが、それらをすべて横断して話題を提示できる久恒先生の「怪物」ぶりにも、改めて驚嘆しました。(驚異的に)続ける力の凄まじさを感じます。でも、それもこれも、みなさんが非常に難しいテーマと文章に対して図解をしてきた情熱がベースにあるからだと感じます。偶発的関係が必然的な共感性を生むということを体感・実感しています。図解の技術は経験により磨かれるものだと思いますが、ひとつひとつの要素は難しい訳ではなく、取り組む、ということ自体が大事なので、是非、ニューカマーも歓迎です!!今日の授業のキーワードは絞り込むのが難しいぐらいでしたが、印象に特に残ったものを列挙しておきます。・偉人と達人の共通項「俯瞰と鳥瞰」×「虫瞰」×「図解」・俯瞰してみることで「個」の視点への固着が無くなる。 あなた/わたしの仕事だけではなく、わたしたちの仕事が来るし、出来るようになる。・図解をすると、そのテーマに対してアンテナが立ち、磁石になる。そうすると、興味が増し、専門家になる。・憂し世から浮き世・神道に書籍はない。自然から自然と学び。環境学習への入り口に。・日本の理科の教科書の指導要領の最初は「自然に親しむ」から始まる。次回は4/7です。4/14は課外授業、続ける技術編です。
  • 今宵も熱い学びの時間を有り難うございました。■学びの感想.。今回のお題、皆様の図解全編を通して「日本の美と思想」を感じて、日本に生まれたことに感謝する思いが致しました。図解は本当に、俯瞰・鳥瞰だと思います。今回、学者さんが書かれた「神道」の文章を図解した私ですが、最初は文章が難しくて、どう図解すれば良いのか迷いました。しかし、心を静めて「この文章が言いたいことは何か?」とシンプルに鳥瞰した時に、「学者さんの論争の二つの流れが書かれている文章だ」と見え、その瞬間にパぁっと視界が広がり、図の構成が一瞬にして描けました。図解には《視点の広がり》《ロジカルなのに自由》《全体と細部のダイナミズム》があり、本当に図解が大好きです。コーチという仕事を通じて経営者やリーダーの方々のご支援をしておりますが、まさにコーチングの時間は「俯瞰力・鳥瞰力」を磨いて頂く時間です。そのご支援において、私自身が図解を学ぶ意義を改めて感じた次第でした。有り難うございました。■次回の課題。「いき」「和服」「受験戦争」のいずれかを希望します。■先生のご企画。インタビューアーや御著書へのご協力など、私でお役に立てることがありましたら、手を挙げさせて頂きます。■付録。2015年に大学院のご講義で白洲正子さんの『茶道』の文章を図解しました。今回の課題の文章とは異なっているのかもしれませんが、発表にありませんでしたので稚拙ながら付録として添付致します。2015年の当時のままの図解ですがお許しください。私の母が表千家の教授として40年程茶道を教える家庭で育ちましたので、今回の神道と同様に馴染み深く、自分のルーツを感じる時間となりました。
  • 今夜もありがとうございました。冒頭の「優れた職業人に共通するあるキーワード」。非常に腑に落ちるものでした。目の前に見えることに集中することも大切ですが(没頭できることも大切だと思います)一歩引いてみることで全体をつかむことが出来る。個人、チーム、組織、企業、業界、社会、環境。視点は数多くあり、新たな一歩に進める予感がします。日本の文化の図解。私の課題が図解化しやすい紹介のような課題であったのに対し、回顧録やエッセイのような文体を図解化される方、単語や背景を深く調べておられる方が多くいらっしゃり、未熟を痛感した次第でした。次回の日本文化、「ファミコン」を希望します。私と同じ1983年生まれ、功罪だけではない深掘りをしてみたいです。
  • 本日もありがとうございました。みなさんの図がどんどん進化されており刺激をいただいております。課題の文章だけでなく、様々調べ、わかりやすく説明する必要があると感じました。しかし時間も有限なのである程度どのくらいの時間でまとめあげるか計画をたてて今後は図解してみたいと思います。(3時間くらいで出来たら良いですよね…現実的には5時間くらいでしょうか…)課題は、和服、富士山、演歌 のどれかを希望します。
  • 本日もありがとうございました。日本の文化のそれぞれの図解と説明を聞いて、名前と目に見える部分以外の、内的なことを少し垣間見れました。皆さまのお話が楽しかったです。図解しても、声に出して説明すると止まってしまうときは、分かっていないところ、つながりが見えてないところなんだとわかりました。次回の日本文化ですが、「インスタントラーメン」、「カラオケ」、「すし」、「いき」、「演歌」でしょうか。よろしくお願いいたします。

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 「名言との対話」3月24日。林土太郎「遍路旅に終止符を打った。これにて映画裏方街道遍歴人生は満願成就となった」
林 土太郎(はやし つちたろう、1922年3月24日 - 2015年7月9日)は、日本録音技師である。
京都生まれ。活動写真好きが高じて片岡千恵蔵プロダクションなどに出入りするようになる。1937年、日活京都撮影所録音部に入社し、録音助手としてマイク係、録音係など担当。1942年、大映設立にともない大映京都撮影所録音部に継続入社。応召復社後、1953年に『水戸黄門 地獄太鼓』で録音技師として一本立ちする。以後、大映京都撮影所録音技師として活躍した。1970年に独立し京都シネ・スタジオ設立。その後、勝プロ作品、映像京都、東映テレビ作品などを担当する。一貫して映画録音畑を歩んだ。
』(草思社)を読んだ。
日本映画の創成期、全盛期、衰退期などすべての時代を経験した者として「何かを書き残しておきたい」と思うようになって書いた本である。映画界で辛酸をなめ、喜怒哀楽を味わい、幾山河を越えてきたという15歳からの60年の活動屋人生の述懐がつづられている。「長井い道標を脇目もふらず、ただ一筋に歩みたどろし映画街道」など文体が活弁口調で、歯切れが、また監督、俳優、スタッフなどと織りなす映画製作の現場が見えるようだった。
録音を一生の仕事とするのは入社時のちょっとした偶然だが、その道をただひたすら前向きに進んでく姿には感心する。下記にピックアップしたように、仕事に関する自己啓発に余念のない真面目で素直な人は、何をやっても成功するだろうと思わせる。
天運を授かった。叱られることは自分を培う肥になる。日就月将。若いうちに基本を身につける。なにはともあれ勉強。同志を裏切れず助監督への誘いには乗らない。映画街道の遍路旅。巡礼。お礼奉公。業をともにする人に不信を抱かせない言動。毎日の蓄積が心の糧となり己を伸ばす。信頼されて仕事を成し遂げる。狭い崖っぷちの細道を一本の杖で修行へ挑戦。巡礼歌を唄う気持ちで前進。裏方は表方に磨きをかけて光り輝かすのが本分。脚本訂正から作詞まで何でもこなす録音技師。、、、、、
黒澤明が監督『羅生門』、荒井良平監督『水戸黄門地獄太鼓』、岡本喜八監督の勝プロダクション作品『座頭市と用心棒』、黛りんたろう監督『RAMPO』、監督三隅研次監督の『子連れ狼』シリーズ、、、などの多くの作品で腕を振るった。
マキノ正博伊丹万作川口松太郎市川雷蔵勝新太郎長谷川一夫北大路欣也、、、、など映画界のスターたちとの交流の様子も詳しく書かれており、それぞれの人柄もよくわかる。長男の林基継は同じく録音技師の道を歩んだ立命館大学映像学部映像学科教授だ。録音という世界に打ち込む父の姿に影響を受けたのだろう。
偶然に触れた分野でひたすら精進し、それがいつか天命となっていく。日本映画界の歩みと自身のキャリアを重ねて80代半ばで一冊の本を遺すことで満願が成就する。この終始一貫したすがすがしい物語に感銘をうけた。人はどの分野でも、一能一芸に秀でていればそれでいい。そう思わせる爽やかな読後感だった。

 

映画録音技師ひとすじに生きて―大映京都六十年

映画録音技師ひとすじに生きて―大映京都六十年

  • 作者:林 土太郎
  • 発売日: 2007/02/24
  • メディア: 単行本